今度の土曜日と日曜日、東大阪市と生野区で「オレの心は負けてない」の上映会を開催します。
この映画は私の人生の中でも、転機となった映画でした。
昨年6月、私は「つながる歌 つながる舞 つながるいのち」コンサートを仲間と一緒に主催をしましたが、そのコンサートはこの映画なしでは語ることができません。この映画を観た感動をバネに、コンサート実現までこぎ着けたのです。それだけ見る人に衝撃と感銘を与える映画でした。
この映画は団体としてのリブ・イン・ピース☆9+25の主催ではありませんが、これまで「慰安婦」問題を一緒にとりくんできた様々な人たちとの信頼関係を基に実現しました。
この映画上映会は「戦争と女性の人権博物館」建設支援として取り組まれています。見に来ていた一人一人の参加協力費が、人権博物館建設実現へと一歩一歩押し進めることになり、ひいては被害女性たちのためになります。
観ていない方もすでにご覧になられた方も、是非ともご参加下さい。
by カラン
***
「オレの心は負けてない」 上映会
~「戦争と女性の人権博物館」建設に向けて~
□7月4日(土)
日時: 7月4日(土) 午後6時半~(開場6時10分)
場所: 夢広場(近鉄布施駅前 ヴェル・ノール5階)
□7月5日(日)
日時: 7月5日(日) 午後1時半~(開場1時)
場所: 生野区民センター(JR桃谷駅下車15分)
いずれも
上映協力券: 前売800円(当日1000円)
学生(大学生・高校生)・障がい者・高齢者500円
主催:「オレの心は負けてない」生野・東大阪上映実行委員会
***
以下、一昨年の10月、初めて「オレの心は負けてない」を観たときの、私の当時の日記を採録します。
あれから私はこの映画を2回観ていますが、何度観ても新しい発見と感銘を与えてくれます。
この映画上映会が終われば、改めて感想を書きたいと思います。
***
土曜日、映画『オレの心は負けてない』を観た。
この映画に向けて宋神道さんのことは事前に勉強していたから、神道さんの人となりや裁判の経過については一応知っていた。それでもやっぱり本と映画は違う。この映画を観て、動いている宋神道さんを観て、新たに気付かされたことや感じ入ったことがいくつもある。
まずなににもまして、あの宋神道さんの存在感、言葉、発声。一世特有の訛りのある東北弁で、辛辣な言葉をマシンガンのように次々と放つ。それは戦後、日本という差別社会で暮らす間に身につけた鎧なのだろう。「針の穴の隙もないほどの鎧を身につけている人」という梁澄子さんの評価が印象的だが、まさに映像を見てもそう思った。「こんなおばちゃんいるな」と思ったが、こんな人と一緒に闘えるのかどうかとなると話は別だ。(支援者の戸惑いや苦労を、改めて思う。)それが10年の裁判闘争の中で、言葉はそのままだが、心が確かに変わっていく。時間の短い映像表現のなかでも、それはありありと見て取れた。
一審、二審と裁判闘争を重ねるにつれ、マシンガンのような言葉は変わらないが、相手を気遣い信頼関係が醸成されてるのが、その内容や表情から伝わってくる。人間不信が溶け、ひとりの尊厳を持った人間へと生まれ変わっていく。
神道さんの口から発せられる言葉、声色は、まさに彼女の生き様そのものだ。彼女の存在感、画面を圧倒していて観客の心をわしづかみにしていた。
二審敗北後の集会で、「いくら負けてもオレは錆びはせぬ」と即興で歌う姿が、印象的だった。神道さんの声と、拾い出した言葉と、節回しが、彼女の存在そのものだった。
他にも印象的だったシーンはいくつもある。
神道さんが高校生の前で証言したとき、それはいつものマシンガンのように言葉を放つ神道さんではなくて、本当に可哀想なほどカチコチに固まっていて、自分が中国の慰安所に連れて行かれたのと同じ年齢の少女たちを前にして「懐かしいんだか思い出すんだか」と目を拭う姿に、こちらも涙を堪えられなかった。
神道さんには、同世代に自分の体験談を信じてもらえるのか分からないという不安もあっただろう。(だから戦争体験者がいると逆に安心する。)でも自分の境遇を、女子高生の前で話さなければならないというのは、自分の体験と目の前の女の子がダブるし、ゴマカシもきかないだろうし、いろんな意味で本当に辛いに違いない。それでも神道さんは自分の思いをぶちまけて(ぶちまけることがないというのが神道さんの印象なのだ)、若い人との心の交流によってカチコチに固まった心が融けた。それはありありと目に見えた。すっごくうれしかったのだろうと思う。講演の最後には、笑う神道さんの姿があった。
もしあのシーンがなかったら、神道さんと他の被害女性との相違ばかりが目に付いていたかも知れない。生半可でない彼女の傷の深さに気付かなかったかも知れない。
神道さんは、本当に辛いことは証言しない。上手にはぐらかす。本当に辛いことは証言されないが、されないからこそなかなか気付かない。女子高生の前の神道さんを見て、彼女の傷の深さを思い知らされた。
また、宋神道さんが訪韓して、望郷の丘に河再銀さんの遺骨を納めたシーンにも泣いた。
実は私は宋神道さんの河再銀さんに対する気持ちがよく理解できなかった。日本に渡ってきて、傷つき、右も左も分からない宋神道さんを救い一緒に永い年月を暮らしたのが河再銀さんだった。世間的にも外国人登録上も夫婦となっている。でも神道さんは、再銀さんと性的関係はなかったのだという。
私は信じられなかった。そして支援者も最初は疑っていたのだという。だって、それは普通ありえないだろう?
でも望郷の丘で号泣する神道さんの映像を観て、それは真実なのだろうと理解した。それまで愛のある性体験を経験したことのなかった神道さんは、敬愛する再銀さんとは、性的関係を持つことは出来なかったのだ。……私は本を読んでそのことを論理的には理解したが、直感的には理解できなかった。でも望郷の丘で号泣する神道さんの姿を見て、何故かスッキリと胸に落ちた。なぜ、どうと言葉で説明するのは難しい。活字で理解できなかった感情――つまり宋神道さんの河再銀さんに対する想いがスクリーンに溢れていた。
そしてそれはとりもなおさず、それは彼女の傷の深さそのものでもある。被害体験が「愛する」という(行為だけでなく)気持ちそのものを許さないのだ。
この映画を観て最大の収穫は――今更こんなことを言うのも本当に恥ずかしい話なのだが――被害女性にとってこの問題が、過去ではなく現在の問題なのだということを実感させられたことだ。
私は被害女性が裁判を起こすことに共感しながらも、どこかで「現行法と現情勢では時効の壁を乗り越えることは難しいだろう」とか、……なんていうんだろう、“アタマでっかち”に考えていたのだと思う。「被害女性が何故今になって名乗り出て、訴えるのか」という批判に対して、「韓国の軍事独裁政権の下で被害者が名乗りでることなどできなかったのだ」とか「死を自覚する年齢になってこそ解きたい恨があるのだ」とか思ってきたけれど、でもそれはみんな“リクツ”だよな。「今だから」とか「今でしか」ではない。そんなのは、全部“リクツ”だ。
宋神道さんにとって、被害は今の苦しみであり、訴えたのも今が苦しいからであり、決して半世紀以上前のことではないのだ。今こそが問題なのだ。だから時効を適用するなんて、本当にちゃんちゃらおかしな話で、どこまでもあの判決は理不尽でしかない!!!
これまでこの問題に関するたくさんの書籍を読んできたし、たくさんの被害女性の証言集会にも参加してきたのだが、これまでどうしてこんな単純なことが実感できてこなかったんだろう。そりゃ「今の問題だ」とも思ってはいた。でもこの映画を観て宋神道さんの姿や声、生き様をみて、私の思ってきたことは全部“リクツ”だと思い知らされたのだ。――少なからずショックだった。
宋神道さんが「在日」だということで、身近に感じられたせいかもしれない。あの「鎧」も強烈な個性も、支援者のようにつきあえるかどうかは別にして、見知ったものではある。何よりも宋神道さんの存在感が私にとってはどこまでもリアルで、リアルで、リアルで……。
「在韓」であれば心の随まで共感できなくて、「在日」であるから共感できるなんていうのは、己の感受性の狭さを告白するようで本当に辛いのだが……でも多分そういうことだったのだろう。
私はなんにも分かっていなかったのだなと思う。本当に恥ずかしい。
さて、私に何が出来るだろうか? 正直よくわからない。でもなにかしなければならないとは思う。
宋神道さんだからこそ教えられたことが沢山あった。「在日」で名乗り出て、しかも裁判まで闘い抜くという、本当に奇跡のような存在を前にして、これまでの私のままで許されるなんて、そりゃ嘘だとさえ思う。
日本人の私が、私たちがこれからどう生きるべきか、それが問題だ。
この映画は私の人生の中でも、転機となった映画でした。
昨年6月、私は「つながる歌 つながる舞 つながるいのち」コンサートを仲間と一緒に主催をしましたが、そのコンサートはこの映画なしでは語ることができません。この映画を観た感動をバネに、コンサート実現までこぎ着けたのです。それだけ見る人に衝撃と感銘を与える映画でした。
この映画は団体としてのリブ・イン・ピース☆9+25の主催ではありませんが、これまで「慰安婦」問題を一緒にとりくんできた様々な人たちとの信頼関係を基に実現しました。
この映画上映会は「戦争と女性の人権博物館」建設支援として取り組まれています。見に来ていた一人一人の参加協力費が、人権博物館建設実現へと一歩一歩押し進めることになり、ひいては被害女性たちのためになります。
観ていない方もすでにご覧になられた方も、是非ともご参加下さい。
by カラン
***
「オレの心は負けてない」 上映会
~「戦争と女性の人権博物館」建設に向けて~
□7月4日(土)
日時: 7月4日(土) 午後6時半~(開場6時10分)
場所: 夢広場(近鉄布施駅前 ヴェル・ノール5階)
□7月5日(日)
日時: 7月5日(日) 午後1時半~(開場1時)
場所: 生野区民センター(JR桃谷駅下車15分)
いずれも
上映協力券: 前売800円(当日1000円)
学生(大学生・高校生)・障がい者・高齢者500円
主催:「オレの心は負けてない」生野・東大阪上映実行委員会
***
以下、一昨年の10月、初めて「オレの心は負けてない」を観たときの、私の当時の日記を採録します。
あれから私はこの映画を2回観ていますが、何度観ても新しい発見と感銘を与えてくれます。
この映画上映会が終われば、改めて感想を書きたいと思います。
***
土曜日、映画『オレの心は負けてない』を観た。
この映画に向けて宋神道さんのことは事前に勉強していたから、神道さんの人となりや裁判の経過については一応知っていた。それでもやっぱり本と映画は違う。この映画を観て、動いている宋神道さんを観て、新たに気付かされたことや感じ入ったことがいくつもある。
まずなににもまして、あの宋神道さんの存在感、言葉、発声。一世特有の訛りのある東北弁で、辛辣な言葉をマシンガンのように次々と放つ。それは戦後、日本という差別社会で暮らす間に身につけた鎧なのだろう。「針の穴の隙もないほどの鎧を身につけている人」という梁澄子さんの評価が印象的だが、まさに映像を見てもそう思った。「こんなおばちゃんいるな」と思ったが、こんな人と一緒に闘えるのかどうかとなると話は別だ。(支援者の戸惑いや苦労を、改めて思う。)それが10年の裁判闘争の中で、言葉はそのままだが、心が確かに変わっていく。時間の短い映像表現のなかでも、それはありありと見て取れた。
一審、二審と裁判闘争を重ねるにつれ、マシンガンのような言葉は変わらないが、相手を気遣い信頼関係が醸成されてるのが、その内容や表情から伝わってくる。人間不信が溶け、ひとりの尊厳を持った人間へと生まれ変わっていく。
神道さんの口から発せられる言葉、声色は、まさに彼女の生き様そのものだ。彼女の存在感、画面を圧倒していて観客の心をわしづかみにしていた。
二審敗北後の集会で、「いくら負けてもオレは錆びはせぬ」と即興で歌う姿が、印象的だった。神道さんの声と、拾い出した言葉と、節回しが、彼女の存在そのものだった。
他にも印象的だったシーンはいくつもある。
神道さんが高校生の前で証言したとき、それはいつものマシンガンのように言葉を放つ神道さんではなくて、本当に可哀想なほどカチコチに固まっていて、自分が中国の慰安所に連れて行かれたのと同じ年齢の少女たちを前にして「懐かしいんだか思い出すんだか」と目を拭う姿に、こちらも涙を堪えられなかった。
神道さんには、同世代に自分の体験談を信じてもらえるのか分からないという不安もあっただろう。(だから戦争体験者がいると逆に安心する。)でも自分の境遇を、女子高生の前で話さなければならないというのは、自分の体験と目の前の女の子がダブるし、ゴマカシもきかないだろうし、いろんな意味で本当に辛いに違いない。それでも神道さんは自分の思いをぶちまけて(ぶちまけることがないというのが神道さんの印象なのだ)、若い人との心の交流によってカチコチに固まった心が融けた。それはありありと目に見えた。すっごくうれしかったのだろうと思う。講演の最後には、笑う神道さんの姿があった。
もしあのシーンがなかったら、神道さんと他の被害女性との相違ばかりが目に付いていたかも知れない。生半可でない彼女の傷の深さに気付かなかったかも知れない。
神道さんは、本当に辛いことは証言しない。上手にはぐらかす。本当に辛いことは証言されないが、されないからこそなかなか気付かない。女子高生の前の神道さんを見て、彼女の傷の深さを思い知らされた。
また、宋神道さんが訪韓して、望郷の丘に河再銀さんの遺骨を納めたシーンにも泣いた。
実は私は宋神道さんの河再銀さんに対する気持ちがよく理解できなかった。日本に渡ってきて、傷つき、右も左も分からない宋神道さんを救い一緒に永い年月を暮らしたのが河再銀さんだった。世間的にも外国人登録上も夫婦となっている。でも神道さんは、再銀さんと性的関係はなかったのだという。
私は信じられなかった。そして支援者も最初は疑っていたのだという。だって、それは普通ありえないだろう?
でも望郷の丘で号泣する神道さんの映像を観て、それは真実なのだろうと理解した。それまで愛のある性体験を経験したことのなかった神道さんは、敬愛する再銀さんとは、性的関係を持つことは出来なかったのだ。……私は本を読んでそのことを論理的には理解したが、直感的には理解できなかった。でも望郷の丘で号泣する神道さんの姿を見て、何故かスッキリと胸に落ちた。なぜ、どうと言葉で説明するのは難しい。活字で理解できなかった感情――つまり宋神道さんの河再銀さんに対する想いがスクリーンに溢れていた。
そしてそれはとりもなおさず、それは彼女の傷の深さそのものでもある。被害体験が「愛する」という(行為だけでなく)気持ちそのものを許さないのだ。
この映画を観て最大の収穫は――今更こんなことを言うのも本当に恥ずかしい話なのだが――被害女性にとってこの問題が、過去ではなく現在の問題なのだということを実感させられたことだ。
私は被害女性が裁判を起こすことに共感しながらも、どこかで「現行法と現情勢では時効の壁を乗り越えることは難しいだろう」とか、……なんていうんだろう、“アタマでっかち”に考えていたのだと思う。「被害女性が何故今になって名乗り出て、訴えるのか」という批判に対して、「韓国の軍事独裁政権の下で被害者が名乗りでることなどできなかったのだ」とか「死を自覚する年齢になってこそ解きたい恨があるのだ」とか思ってきたけれど、でもそれはみんな“リクツ”だよな。「今だから」とか「今でしか」ではない。そんなのは、全部“リクツ”だ。
宋神道さんにとって、被害は今の苦しみであり、訴えたのも今が苦しいからであり、決して半世紀以上前のことではないのだ。今こそが問題なのだ。だから時効を適用するなんて、本当にちゃんちゃらおかしな話で、どこまでもあの判決は理不尽でしかない!!!
これまでこの問題に関するたくさんの書籍を読んできたし、たくさんの被害女性の証言集会にも参加してきたのだが、これまでどうしてこんな単純なことが実感できてこなかったんだろう。そりゃ「今の問題だ」とも思ってはいた。でもこの映画を観て宋神道さんの姿や声、生き様をみて、私の思ってきたことは全部“リクツ”だと思い知らされたのだ。――少なからずショックだった。
宋神道さんが「在日」だということで、身近に感じられたせいかもしれない。あの「鎧」も強烈な個性も、支援者のようにつきあえるかどうかは別にして、見知ったものではある。何よりも宋神道さんの存在感が私にとってはどこまでもリアルで、リアルで、リアルで……。
「在韓」であれば心の随まで共感できなくて、「在日」であるから共感できるなんていうのは、己の感受性の狭さを告白するようで本当に辛いのだが……でも多分そういうことだったのだろう。
私はなんにも分かっていなかったのだなと思う。本当に恥ずかしい。
さて、私に何が出来るだろうか? 正直よくわからない。でもなにかしなければならないとは思う。
宋神道さんだからこそ教えられたことが沢山あった。「在日」で名乗り出て、しかも裁判まで闘い抜くという、本当に奇跡のような存在を前にして、これまでの私のままで許されるなんて、そりゃ嘘だとさえ思う。
日本人の私が、私たちがこれからどう生きるべきか、それが問題だ。
お楽しみに。
体育館みたいなところに、たくさんのパイプ椅子に人がいっぱいでした。
勉強不足ですし、根性もない自分ですから、みなさまの熱い支援運動を目の当たりにして、肩身の狭い思いもしていました。
しかし、映画を観ていくと、そんな思いはどこえやら…、宋神道さんが川田さんに言う「…私の話しは全部ウソじゃないから…」から惹き込まれてしまいました。人に信じてもらえなかったから「人を信じない」鎧も強い。それでも人に信じてもらいたい当然の気持ちが底にあって、それを支える会の人々が根気よく受け止め共に生きていく。本来は、日本政府が先頭に立って、早期に真実を解明し、謝罪と保障をしていかなければならないのに…。
「支える会のおなごたちが守ってくれているから幸せなもんだ。」そういう宋神道さんはすごい。民族も時空も超越している。支える会の根性も忘れてはならない。
さらに、若いイケメン2人組(「志遠」チウォン…大阪朝鮮高級学校卒)が歌う、亡くなられた元「慰安婦」の悲しみ・恨みを綴った鎮魂歌が美しいやら悲しいやらで、また国家権力の歌もあり、1人密かに盛り上がってしまいました。
最後には名残惜しく、何か買いたい・何かしたい病にかかり、映画のパンフとDVDを購入、署名もさせてもらい、販売のおかげでちょっとだけ自己満足してしまいした。
活動も不十分な自分ですが、継続して関心を持ち続けていきたいです。できるだけパンフ持ち歩きます。
映画本当に良かったですよね。
私も今回新しい発見がいっぱいありました。
一番「おおっ」と思ったのは、宋神道さんに「オマエらに最後まで裁判を闘う覚悟はあるのか」と問われ、みんなが「あるっ」と答えるシーンです。今更ながらですが、あのあると答えた梁澄子さんの声、すっごく必死そうなんです。多分予測できない問いかけに対し、一瞬のうちに覚悟をせまられたのだなあ……と。
「じゃあ、げんまんすっぺ」と返した宋神道さん、さすがです
志遠、よかったですよね。実行委員会の中で、CDがないことに触れ、「これから私たちがメジャーにするのよ」と。なんかまた企画ができたらいいなあ。