魯露西亜夢酔談

何でも話そう、ロシア状況のあれこれ
未来、芸術、多様な社会

ロシア人の暮らし

2006-03-06 11:22:57 | ロシア

母方の親戚に、つまりロシアでの話ですが、内務省エム・べー・デー МБД(Миннстерство вхытренних дел) に勤務する者がいる。

警察官 ミリツヤー(Милиция) が彼のキャリアの出発点で現在は、内務省組織犯罪総局の緊急対応特別支隊、ソーブルСОБР (Спеч Отряг Выстрого Реагирования)、で働いている。

だいたいが行政機構というか、官僚機構というか、とにかくどこの国でもわかりずらいのが通例なのですがロシアでもその点、他に引けをとりません。ロシアの内務省は大まかに、日本の国家公安委員会と警察庁を併せたような機構を持つ内務機関(米国のFBIを例にたとえる人もいる)と、軍人からなる内務省軍との二つに分かれている。この内務省軍がまた、準軍隊パラ ミリタリーと言うよりは、国防省正規軍МО(Михистерстбо обороны)と何ら変わらない。正規軍と一緒に作戦行動をとるし、徴兵の配属も受けている。

で親戚の話ですが、警察官から内務省軍に志願してソーブルに配属されているわけですが、簡単に転属できる話ではなくて、命をかけたリスクのある大変なこと。ソーブルの隊員は全員が、チェチェンでの戦闘の経験者で構成されている。つまりソーブルに配属されるためには、チェチェン行きを志願しなくてはならない。チェチェン問題のことの是非は別にして、全員が志願兵で構成されていることと、戦闘を経験することで部隊の志気は、すこぶる高いようだ。しかもことは、一度の実戦経験で済むのではなく、ソーブルの部隊は毎年チェチェンに派遣されるとのこと。そうまでしても志願するほどの見返りは、よほどのものがあるのだろうとかと興味が起きる。

親戚の話はロシア人の中でも、非常に特殊な生活になるのかもしれないのだけど、それはそれでロシア人の現実の生活ではあるし、日本人とは異なる社会の有り様の紹介になるでしょう。次回にさらに、お話しします。


総量規制?

2006-03-03 22:23:37 | 日常生活

なにやら金融関連のトピックスみたいなタイトルなのだが、実はインターネットの話題。

三週間ほど前から、自宅PCでのネットサーフィンがえらく遅くなって不便極まりなかつた。ブラウザーでサイトを開くのに時間がかかるだけならまだしも、開かない状態がしばしあった。

最初にウイルスを疑い、次に回線の速度をチェックしてみた。時間帯により、わたしが使用している回線業者、プロバイダーの標準的な速度が出ている場合もある。その場合は、ストレスがなくネット出来る。問題は夜間のアクセスが集中するであろう時間帯に、発生する。光の100Mbpsを契約しているのだが、計測してみると下りで9Mbpsしか、でていないではありませんか、これでは開くどころか止まってしまう。

回線業者、プロバイダーのサポートとあれこれ何日か話し合ったのだが、事態は改善されない。結論的に、原因がつかめたのだが、それはプロバイダーのサポート担当者のある言葉からだった。

プロバイダーの方では、「回線業者のように総量規制を実施していないが、端末のプログラムに規制をかけている。その場合は、ブラウザーでサイトを開けなく、止まることもあり得る」とのこと。

「いかなるプログラムに規制をかけているのですか」と、訪ねる。

「ファイル共有プログラムですね。それとSkypeですね。これらを使用する人が増えて、回線の増設強化、改善が追いつかないしその費用をユーザーに負担させられる状況でもないので、規制しております」とのこと。

そういえば確かに、この三週間ほどSkypeの調子が悪かった。電話番号が存在しないと言うメッセージが度々でて繋がらない、あるいは話し中だと言ってくる。これらは皆、止められていたのかと、原因については納得する。

ことの発端は、LANで接続している3台のPC中、2台のポートを外部に開放したためパケット量が増大したことによる。そのために回線業者の総量規制、プロバイダーのプログラムの規制がかかったと言うことらしい。しかしビジネスをやっているわけでもないし、家庭での使用でこのような状況が生じるとは驚きであった。

正直言って、使用しているプログラムに規制をかけるとは、プロバイダーさん、やってくれるじゃないのと言う感じです。どのようなプログラムに、どのような指針で規制しているのでしょうかね。公表できないものなのですかね。この問題に詳しい方、ぜひ情報下さい。


ロシア人論から

2006-03-02 16:57:24 | コミュニケーション

たまたま前稿「ロシア人は頑固者が多い、その2」を書いている際に、知人であるロシア人の日本文学者から電話がきた。

ロシア人論の話題の中、知人の文学者は、彼の知り合いの袴田茂樹氏の著作にロシア人の優れた分析が見られるとの話に及んだ。わたしは、予てから氏の旧政権時代の著作に関して、ロシア人的な思考が色濃く反映している点に興味を抱いていたのだが、その点に関して逆に質問してみた。

「袴田氏の著作はあなた達ロシア人にとり、分かり易いのではないですか。なぜならば、著述を裏打ちしている思考がどうもロシア人的だと感じられるのだが、つまり日本人の学者的ではないのだけれど」と、わたし。

「ほほう、確かに彼の著作は少なくともわたしには分かり易い。そういう観点から読んだことはありませんでした。それでは彼と反対の立場に立つ、日本人のロシア学の研究者がいるのですか」と、知人のロシア人。

「ロシア学で反対の立場とは言えないにしても、袴田氏の著作に反論している学者がいますよ、○○○先生です。」と、わたし。

氏のインタービュウーを拝見していても、その断定的で直裁的な言及は深くかつ幅広い知識の裏付けと、感性に富んだ直感力の両方兼ね備えた学者であることを思わせる。その意味では妹である、イリーナ・ハカマダの方がロシア人には珍しいと言って差し支えないほど、切れのあるロジックを展開するタイプの政治家だ。

お断りしておきますが、わたしはここで氏を誹謗中傷する、何らの意図もございませんのでご了承下さい。それどころか、こと崩壊前の著作に関して、各所の指摘の中に未だ秀逸なものがあると、敬愛しております。お気に障りましたらごめんなさい、袴田先生。

参考までに「文化のリアリティ」」袴田茂樹著-筑摩書房


ロシア人は頑固者が多い?その2

2006-03-02 15:36:25 | 日常生活

頑固と言えば、自分の非を認めないことにかけてはロシア人の右に出る人種は無いのかもしれない。

「過ちては、改むるを憚ることなかれ」 という儒教の影響を強く受けて育っている日本人は、幼少の頃から自己の誤りをを認めそして、謝罪することをよしとして奨励される。

最も近頃はそうでもないらしいが、とくにこの国のリーダーと呼ばれる人々にその傾向が強いみたいだ。ライブドアをめぐるメール事件の国会議員もそうであるが、その党の指導者にしても大同小異。政治家ならずとも、事件を起こすたびにに見聞きする、大会社の経営責任者の言動のあり方、その非を認めることにかけては極めて歯切れが悪い。

とすれば、この国のリーダーたる資質の条件とは非を認めないことで、それを巧みに糊塗出来る能力に長けている人たちが、その階層のヒエラルキーを登り詰めると言うことでしょうか。

話を元に戻すと、ヨーロッパ人と議論すると非常に疲れる。彼らの哲学の根底にあるのは”物事は対立する存在の連続である”というものだ。彼らと議論するときには、ぐうの音も出ないように徹底して相手を論破する必要が多々ある。中庸は有り得ない。自分より優れていると認めたときに初めて、意見を聞くようになる。どちらがより整合性があるかで、勝つか負けるかの勝負をしているみたいで実にそのことで疲労するのだけど、そうまでしなければヨーロッパ人を動かす際に機能しないことが多い。だがしかし、一度この課程を経た後はわりと尊重もしてくれるし、意に適う動きをしてくれる。

さて、ロシア人である。かれらにヨーロッパ人に対するこの手法は通用しない。その意味では明らかに、ロシア人はヨーロッパ人の一員ではない。合理性、整合性はみなロジックの問題なのだが、このことがストレートに通用しないならば、他に残るものは感情と言うことになる。日本人はこちらの部分に、ウェイトを置く民族ではあるのだが。果たしてロシア人は、その思考が感情で左右される民族性なのでしょうか。

確かにロシア人にその面は、色濃くあるのかもしれない。自己の外的規範、たとえば社会に存在する法律やルールと言ったものよりも、自己の内的規範つまり己を支配する感情や宗教というようなものに、重きを置いているように見受けられる。このことがロシア人を、個として頑固にさせているのかもしれない。しかし、ロシア人同士でさえ、その内面的規範を誰もが互いに、共有でき無いのだから社会的に個を適合させていく方法に、独特のスタイルがあると思われる。このことは、実はロシア人を理解するキーポイントかもしれないので別稿で述べたい。

それでも日本人にはかなりの部分、理解できるものがある。だがしかし、アメリカ人にとってこのことは、ロシア人を非常にわかりづらくしている点だし、そのわかりづらさは日本人を理解する以上に困難のようだ。これはまた、別の話題になるので機会を改めましょう。

わたしが述べていることは、勿論極めて粗雑な論議の展開であって、一般論といえども当てはまる場合もあるし、異なる場合もあることは至極当然のことであることを、ご了承下さい。


ロシア人は頑固者が多い?

2006-03-01 22:42:57 | コミュニケーション

わたしの身近な人たちを含め、知り合いのロシア人を見渡してみると、確かに頑固者が多い。

その頑固さを考えてみると、ごく大まかですけど二つの理由に起因するように思われる。その1は教条的であること、原理原則の信奉者だ。教科書で学習したところのものから、抜け出ることがない。これは長かった共産党支配の後遺症かしらと、思ったりする。ソヴィエト崩壊後に出生し、教育を受け成人した人たちも変わらない。最もこれは、親の世代のフィロソフィが変わっていないのだから、旧時代を引きずっているということでしょうか。

その2は、非論理的な思考構造をしていることによるかもしれない。その点では日本人も決して論理的思考ををする民族ではなく、論理的な思考構造を、その言語、しいては文化の中に構築しているとは言い難いのだが。

こんな笑えないような話がある。あるとき、ロシア人と論争の末、相手の論旨があまりにも非論理的なので「あなたの言ってることは、かくかくしかじかの点でロジカルではない、従ってかくかくしかじかの誤謬がある」と、わたし。

「それはあなたのロジックである。わたしのロジックはそうではない」と、ロシア人。

「..........しかし、ロジックとは普遍的であるがゆえロジックであるはず。あなたのロジックやわたしのロジックなどと言う存在は有り得ない」と、わたし。

「それはあなたの意見で、わたしの見解は違う。あなたは異なる見解の人を容認しないのか」と、ロシア人。

だいたいこのパターンが多い。決して教育程度が低いわけではない、それどころかかの国でも有数の高等教育を受けた人との会話である。このことは、ロシア人は現実を認識して、自己の置かれている状況を分析することを嫌う性格によるのかもしれない。それは計画的でないと言えるかもしれないしまた、保守的であるといえるかもしれない。

あるいはまた、彼らのロジックが直線的でないことによるのかもしれない。論理ではなしに現実社会では、行き着く先が、彼らと同じ場合が他多々ある。数学で言う”エレガントな解”ではないところを、思考していると言うことなのか。

いずれにせよ、現実社会で弁証法的思考にドップリつかり生活している我々にとり、彼らロシア人の頑固さは特筆すべきものがある。次回この話を発展的に、もう少し書き込みたいと思います。