比較言語は面白い。そこでちょっと普段皆さんが思ってもいないであろう問題を提起!
わたし自身は普段英語を主要言語としていて、家だとロシア語と日本語が半分ぐらい。マックのノートは英語ヴァージョンでこれに向かうときは英語モード、他にロシア語XPのデスクトップと日本語XPのデスクトップとでそれぞ頭の言語モードを使い分けているのですが。
>英語は...入り口は広いが内側は多方向に分岐している
これはヒロさんの、ブログでの発言なのですが、おっしゃるとおりですね、これは古代ゲルマン語起源の言語はこの構造を持つようです。広義から狭義へと展開していく。この仕組みを理解してしまえば、英語学習者はずいぶん楽になるだろうと思うのですが。それと特徴的なのは、言葉の入り口の段階で抽象的概念と具象的概念が言語により厳然と区別されていることでしょうか。
例えば、
「BOOk」と言う言葉(今はテキストですが、音でもかまいません)でなにを考えますか。英語圏の人々はそれを今回のようにテキストならばBOOkという文字の固まりとして、それが音ならばbukという音の固まりとして捉えます。つまりこれは、非常に抽象的な物ですよね。つまり、チェブラーシカの絵本でであれ医学書であれ具体的に言わばイメージをもたらすためには、必ず冠詞もしくは複数形が必要なのです。a book, the book, booksではじめて本のイメージが出てくるのです。MYやYOUR等の所有代名詞は定冠詞と同じ役目ですので、冠詞は付きませんが。英語圏(古代ゲルマン語起源の言語の中でその影響が強い言語ほど厳格です、例えばドイツ語)以外の方はこれが苦手、良く冠詞を落としますよね。日本人も同じですね、本と言う言葉はテキストもイメージも兼ねますよね。この点ではロシア語も同じ。今度皆さん奥方に聞いてください。そして機会があったら、英語圏の方ににもどうぞ質問して確認してください。ことほど左様に古代ゲルマン語起源の言語をもつ人々の頭脳は論理的思考に即していると言えますでしょうか。日本人の言語学者はこのあたり理解できているのかな....ぼそり。