前稿でミハルコフの誕生日での、プーティン大統領との交友についてふれた。翌月に実現した、フョドール・バンダルチュク Федор Бондарчук の大統領別荘への招待は、 何らかの関連があるかもしれないと考えた。
ロシアへ電話して事情通に聞いてみたところ、面白い話が出てきた。勿論、二人の間で交わされた会話が、わかるはずもないのだが、
事実を繋ぎ合わせてみると興味深い推察が出来る。
鍵はフョドール・バンダルチュク の父親、セルゲイ・バンダルチュク Сергей Бондарчук にあった。1920年に生まれ 1994年に亡くなったセルゲイは、旧ソビエト時代を代表する映画監督で、 社会主義レアリズムの担い手でもあった。代表作に" Судьба человека (1959) " " Война и мир(1965-67) " " Они сражались за Родину (1975) " がある。
ソビエト崩壊後は、旧時代の価値観が否定された彼にとり苦難の晩年であった。その彼を良く擁護し続けたのがミハルコフだった。 その辺の状況はミハルコフの自伝に詳しい。
共産政権時代、ソビエト映画制作を一手に担っていたモス・ フィルムの役員でもあったミハルコフにとっても、状況は同じで、時代の変化に挑戦し映画界の存在意味をロシアに証明することが、 自身の旧時代の意義であり、それが映画界全体の擁護となるべく活動した。
確かに、プーチン大統領も祝杯のスピーチで「あなたはロシアの大きな芸術の家族を創りあげた、わたしはあなたの創造性を愛している」 と持ち上げている。11月のフョドール・バンダルチュク とプーチン大統領接見は、フョドールの亡き父親セルゲイの復権の儀式でもあったはずだ。そしてそれをセットしたのが、 ミハルコフだという考えには十分な整合性があると思えるのですが。
" Война и мир(1965-67) " は、 皆さんご存じの文豪トルストイの原作「戦争と平和」を、当時のソビエト政権が国の総力を挙げて映画化した大作、ぜひご覧下さい、 日本語版があります。