魯露西亜夢酔談

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ロシア人は頑固者が多い?

2006-03-01 22:42:57 | コミュニケーション

わたしの身近な人たちを含め、知り合いのロシア人を見渡してみると、確かに頑固者が多い。

その頑固さを考えてみると、ごく大まかですけど二つの理由に起因するように思われる。その1は教条的であること、原理原則の信奉者だ。教科書で学習したところのものから、抜け出ることがない。これは長かった共産党支配の後遺症かしらと、思ったりする。ソヴィエト崩壊後に出生し、教育を受け成人した人たちも変わらない。最もこれは、親の世代のフィロソフィが変わっていないのだから、旧時代を引きずっているということでしょうか。

その2は、非論理的な思考構造をしていることによるかもしれない。その点では日本人も決して論理的思考ををする民族ではなく、論理的な思考構造を、その言語、しいては文化の中に構築しているとは言い難いのだが。

こんな笑えないような話がある。あるとき、ロシア人と論争の末、相手の論旨があまりにも非論理的なので「あなたの言ってることは、かくかくしかじかの点でロジカルではない、従ってかくかくしかじかの誤謬がある」と、わたし。

「それはあなたのロジックである。わたしのロジックはそうではない」と、ロシア人。

「..........しかし、ロジックとは普遍的であるがゆえロジックであるはず。あなたのロジックやわたしのロジックなどと言う存在は有り得ない」と、わたし。

「それはあなたの意見で、わたしの見解は違う。あなたは異なる見解の人を容認しないのか」と、ロシア人。

だいたいこのパターンが多い。決して教育程度が低いわけではない、それどころかかの国でも有数の高等教育を受けた人との会話である。このことは、ロシア人は現実を認識して、自己の置かれている状況を分析することを嫌う性格によるのかもしれない。それは計画的でないと言えるかもしれないしまた、保守的であるといえるかもしれない。

あるいはまた、彼らのロジックが直線的でないことによるのかもしれない。論理ではなしに現実社会では、行き着く先が、彼らと同じ場合が他多々ある。数学で言う”エレガントな解”ではないところを、思考していると言うことなのか。

いずれにせよ、現実社会で弁証法的思考にドップリつかり生活している我々にとり、彼らロシア人の頑固さは特筆すべきものがある。次回この話を発展的に、もう少し書き込みたいと思います。