FIVENINE佐久間雅一独言

いつまで続くか....
佐久間くんの悪戦苦闘仕事日記
たまに脱線あり

松宮一彦さんとの思い出

2011-10-15 13:41:31 | Weblog
一昨日「松宮一彦さんを偲ぶ会」が赤坂某所で催されました。
松宮さんはTBS出身の才気あふれるアナウンサー、DJでした。
気がつくとお亡くなりになってから12年の月日が....
僕もその昔、まだ松宮さんのTBS看板番組SURF&SNOWが始まる前の事ですが、FUNHOUSEの自社スポンサー番組
でご一緒したこともあり、幹事の方に呼んでいただきました。
そこには多くの懐かしい顔ぶれが。久々の方々ばかりで松宮さんの話をしながら、良き偲ぶ会になったと思います。

ご一緒した番組とは1984年に始まったアーティストマガジン「週刊ファンハウス」という番組でした。
設立されたばかりのレコード会社ファンハウスの当時の宣伝部長広瀬氏の号令の元、僕も担当としてTBSおよび代理店との折衝を任され東奔西走した事を覚えています。
どうしてもレコード会社がスポンサーになるといろいろ選曲面でも限界がありましたが、それはそれで当時としては
かなり画期的な番組になったような気がします。多くのファンハウス所属以外のアーティストの選曲、そしてゲストトークもふんだんに紹介されました。
編成を担当されたTBSの故林さんが後に始まるSURF & SNOWの番組立ち上げの後に僕に「あの週刊ファンハウスがなかったら、SURF & SNOWはなかったかもしれない」と僕に言ってくれた時は本当に嬉しかった。

この週刊ファウンハウスでの僕の最大の思い出は沖縄からの放送出しにのぞんだ事でしょうか。
ゲストは稲垣順一さんだったと思います。放送は深夜なのでその前にイベントもやりました。
実は僕は沖縄には数えるほどしか行った事がありません。(3回かな4回かな....)
そのうちの1回がこの放送とイベント目的での沖縄でした。みんな真っ黒になって、そして良きイベント、番組ON AIRされ、出来立てホヤホヤのレコード会社ファウンハウスのアピールもかなり出来て...意気揚々と東京に帰ってきた事を偲ぶ会に出席させていただいて思い出しました。あれからファウンハウスは飛ぶ鳥を落とす勢いで当時の音楽界を席巻していきます。この番組もそうしたファンハウスの礎の一つだったんだと思います。

まだ同録のテープとか持ってる人いるかなぁ....特に第1回の放送とかもう一度聴いてみたいなぁ....。

当時ファンハウスからこんなアルバムもリリースしました、これも確か僕が担当だったかな....

(自分でも忙しかったので、よくは覚えてないんですが....)屋根裏にあるCDの中にあるかなぁ....
引っ張りだして聴いてみたくなりました。

あの溌剌とした番組進行は希有のモノでした。彼のスタイルを継承出来てる人っていないんじゃないでしょうか...


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