出口王仁三郎師に言わせると日本は天立君主立憲で立憲君主ではない。
どういうことかというと、君主は憲法で立てられたものはではなく、まず天が君主を立て、君主が憲法に権威を持たせることになっている。
この点が民主主義からは批判され絶対王政と混同されるところではある。
憲法をなくして、君主がすべて指示を出すわけではない。君主が憲法に権力を与え、改廃の権限もまた君主にある。そこに議会の関与するよちがあるかというとそれはある。君主の意向に沿って議会が関与する。ただし議会は君主の意向を制限するためのものではない。君主の意向をいかに実現するかということを検討するものである。
それでは専制君主ではないかと言われるかもしれないが、それを専制君主というのであればそうであろうし違うといえばそうであろう。専制君主とか独裁とかいう言葉の定義は微妙であるからそのことについてはやりたいものがすればいい。太古の政治形態を欧米の政治形態の分類に当てはめてもあまりいみはないどころか、見えるものすら見えなくなる。
君主の権力は天から与えられたもので、憲法はそれを制限するものではない。欧米の憲法がそうであるからと言ってそれを日本に当てはめたのが日本の憲法であるがそれは明治憲法でも昭和の憲法でも同様である。それでも明治の憲法では解釈により天皇の威光を発揮できたが天皇機関説を導入すれば明治憲法は天皇の平和への御意志を封じ、軍部に抬頭を促し、日本国内の総覧を引き起こす危険があった。
このことに気づいていたのは真崎甚三郎であり、彼は北一輝と大川周明の理論が左翼理論であり、それによって青年将校が惑わされていることを憂いていた。
統制派は天皇機関説であり、時に謀略を用いて改革を推し進めていた。
石原莞爾はどちらにも属していなかったが、彼は田中智学の国柱会に傾倒しており、法華経から天皇の威光を発見した田中智学の思想に傾倒していた。
法華経は大乗仏教で釈迦の説ではない。と私は思う。
評価が高いのは理由がある。聖徳太子の時代から研究されていたということもあるが、それ以上に裏がある。
広がった仏教は土着の宗教を吸収して広がったが、法華経はかつて日本が大陸にいたころに流布させていた高天原の宗教を吸収して作られていた。誰かが、天才的な誰かが釈迦の宗教に仮託して太古の宗教とくに皇室の祭祀に関する話を入れたといわれている。
つまり皇室祭祀に関連する部分を経に織り込んだといわれている。ちなみに空海の真言密教は皇道の言霊の原理を織り込んでいるという。
この二大仏教が日本で開花した理由は、もともと皇道の教えつまり高天原教とでも言うべき教えが、大陸に残っていて誰かが仏教の名のもとに教として作り上げたのである。
空海はとある行者にいざなわれて修行をしていたという伝説がある。
実は四国は皇室祭祀を司っていた忌部氏の故郷阿波の国がある。空海の故郷は讃岐。
空海はこの行者に言霊の基本を教わって、裏のルートで中国大陸に渡った。
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