国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

原発事故調査分析

2012年05月30日 | 原発

 原発事故について的外れな議論が出ているのは、菅叩きのためのデマを流している人間がいて、それがどうにも修正されていないからだ。

 なぜ菅氏を非難するかといえば、原発事故の責任を転嫁し、今後原子力規制委員会で国家の首相に直接介入させないためだ。

 しかしこれは危険かつ極まりない。
 菅氏の肩を持つわけではないが、あの時点であのような行動に出たことに関して、総理としてはやむをえない面もあり、むしろ他の総理ではあそこまでできなかっただろう。

 1、海水注入に関して、最初に東工大物理を出た菅の頭にひらめいたのは海水注入であったが、東電が廃炉を嫌って海水注入に反対していた。

 2、ベントについては官邸側、斑目、総理も早くから判断し、現場の吉田所長も早くから準備をしていた。

 しかし、ここで東電側の組織としての決定が遅く、武黒フェローが催促し、ようやく結論が出て官邸側が了承するという形をとった。1時30分。午後3時にベントが行われるよう要請した。
 それでもなかなか始まらない。しかも始まらない。

 その理由が官邸に伝わってこなかった。

 そのため、菅氏は6:14現場にヘリで飛び立ち、海江田経産相が6:50炉規法によりベント実施命令を出した。


 7:11菅氏が第一原発に到着。武藤副社長は停電のために電動便が開かないと説明した。


 その後吉田所長と菅氏が話し合い、「決死隊を作ってでもやります。」ということで8時に9時を目標に手動で弁を開ける指示を出した。
 この経緯についてはいろいろ議論がある。

・指示の遅れというのはデマで、官邸からベントのため避難命令を11日の21時23分から出している。

 ただこの時点でも斑目がドライベントの存在を失念していて知らずに非難範囲を狭く見積もってアドヴァイスするというミスを犯している。
 ベントがはじまらないまま翌日5:44に避難区域の拡大指示が出た。

・官邸ははなからベントをやるつもりで避難指示を出していた。
 東電の意思決定がまず遅かった。武黒フェローの催促が必要だった。つまり問題は東電である。

・さらに1:30から菅首相が現場に行く7:11までベントは始まっていない。この間東電が作業努力をしていたのかどうか。ここが問題だ。

東電はTBSの報道に対して
「・・・速やかに発電所長は現場での手動操作を含めたベントの準備を進めるよう指示しており(3月12日午前0時6分頃)、指示が遅かったということはありません。ベントの現場操作のために出発するまでの間は、国にベントを提案し、了解を得るとともに、作業手順や現場線量、作業時間の確認、周辺被ばく線量評価の作成・連絡、住民避難状況の確認を行っており、時間を要しました。すなわち、ベント操作を実際に開始したのは、大熊町(熊地区)の避難完了を確認した後の12日午前9時過ぎでした。・・・」
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65763678.html
としている。

菅氏は7:11~8:04分の間、免震重要棟で武藤副社長に面会し、彼が電源喪失のため電動でベントが開かないことを説明した。しかし管総理はこれで納得せず、吉田所長に会い、ベントの話をしたところ、吉田所長は決死隊をつくってでもやりますといいい、菅氏は納得し現場を去った。

 決死隊というのは死を決したグループである手動の操作のため致死量を超える被爆があることが想定されていたのではないだろうか。

 軍隊でもないのに菅総理が死地に赴く命令を出す権限はない。


 「“なぜ遅れているのか?”と聴いても“わからない”と言われた。困った。私自身がF1の責任者に直接聞くことが必要だと思った。吉田所長と武藤副社長が同席し、その中で炉の図面などを見せられ状況を聞かされた。“ベントをなんとか早くやってくれ”と言ったら、吉田所長は“わかりました。決死隊を作ってもやります”と言った。この所長ならやってくれると思った」。(国会事故調査委員会)

 つまり、この時点まで手動指示がでておらず、菅氏が吉田所長に要請してようやく事態が動き出した

 吉田氏がベントを手動であける指示を出したのは8:03分。つまり菅氏との話し合いの直後、菅氏が飛び立つ直前で、それまで手動の指示が出ていなかったことになる。菅氏が来たことでベントが遅れたとは考えにくい。
 また「決死隊をつくってでもやります。」という発言は裏を返せば、それまでつくっていなかったということになる。指示から開始まで約1時間。
 
 東電側は後に大熊町の避難完了を待ったということになっているが、それを8:03吉田所長が遅れていたことを知って9時の決断を指示を出していたわけはない。
 避難完了ができていないとわかったのは8:27分だからだ。

 
 つまり吉田所長は0時ごろから準備はすすめてはいたが、手動ベントの決定は菅氏が来るまで出していなかったことになる。

 更に大熊町の退避を待ってベントを行ったということを東電がとってつけたようにがだいぶ後になって発表しているが、枝野長官は数ヶ月後にこの事実を聞かされている。

 菅首相が吉田氏との会話をオープンにすれば、このあたりのことは明らかになるだろう。 

 時間経過と官邸側の証言をみるだけでも、東電側の説明には矛盾がある。

 ベントについては東電幹部が手動で開ける指示を出していなかったということは明らかである。

3、斑目春樹は爆発しないといったが、爆発した。まったくこの斑目春樹は二重三重のミスを犯している。これだけミスを犯せば総理としては頼りにならないと判断するのが正当である。他の見識者を当たろうとするのは当然である。

4、海水注入に関しては斑目春樹は「再臨界の可能性がゼロではない」などと何が起きても責任を負われないようなお役所的な、どうとでもとれるようなコメント(※海水で再臨界が起きることはない。)をしたため官邸で議論がはじまり、それをみた武黒フェローが東電本社と話し合って、勝手に吉田所長に海水注入の中止を指示した。この件について官邸の指示だったと自民党は糾弾したが的外れで、これは東電武黒フェローの判断で、彼はこのことについて今年3月謝罪している。

5、撤退については、全部か一部かということであるが、関係ない職員はすでに退避はじめていた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1271605417

ゆえにそんなことをいちいち官邸に連絡する必要もない。

 また、「制御できないから駄目だ」といった海江田氏に対して、枝野に電話して
「現場はこれ以上もちません。」と清水社長が返している。
 そこで細野補佐官が吉田所長に確認したところ、まだ「やれます」との返答。これは社長と吉田所長の連携がとれていないことがわかる。

 「現場が持たない」といった以上、この時点で清水社長は放棄しての撤退を考えていたことになる。

 東電は必要な人員を残すことを考えていたというが、なんら具体的な人員を考えていたという報告はない。
 現場がこれ以上持たないので、一部を残して退避したら、それはそれで残されたものは持たないとわかった上で残されることになる。

 東電責任者が「退避」という以上、現場放棄と考えるのが普通で、そうではないというなら説明が必要であった。

 以上こうした追求が事故調査委員会で行われず、簡単な質問でおわってしまっているのは残念であり、事故調査としては不十分なのではないかと思われる。