国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

8、バハイ教と大本

2016年03月24日 | Weblog

 バハイ教はイランで生まれた。

 預言者としてのバブ、

 顕示者としてのバハオラ、

 後継者としての息子のアブドルバハー

 によってほぼ確立され、現在はアメリカなどでも信者が多い。

 マホメット以来の新しい基準を確立したといわれている。

 人類の平和と統一を究極の目標とし、真理の自己探求、男女平等、一夫一婦制、科学と宗教との調和、偏見の除去、教育の普及、国際補助語の採用、極端な貧富の差の排除、各国政府と法律の尊重(暴力革命の否定)、アルコールや麻薬の禁止などの教義、戒律を持つ。発祥地のイランや中東に留まらない世界的な普遍宗教としての性格を有する。(ウィキペディア)

 

   男女平等をかなりはっきりと打ち出している。この点についてはおおもとが男女といっても夫婦の役割として針と糸としてその特質を強調しているのと違う。独身の男女と夫婦との違いが認識しがたいことがあり、夫に力仕事や皿洗いをさせることが平等だと思っている節もある。

 世界の共通語の出現を打ち出している。当初エスペラントが有望視されていたが、英語が普及するに従い、明確にどの言語という指定をしていないというところから英語が強く押し出されるようになった。

 万国正義院という評議会があり、世界の諸問題を複数の代表で解決するシステムがある。9名の代表が選出され、世界中の問題を扱う。

 バハイ教については出口王仁三郎の霊界物語に好意的に出ており、当時国際共通語として期待されていたエスペラントと相まって、話題になった。

 しかし両者に組織的な関係が持たれたとは聞いていない。

 バハイはアブドルバハー以後アブドルバハーの孫にあたるショーギエフェンディが守護者としてバハイを世界に広めた。

 伝説では預言者バブは超人的な知識をほとんど勉強することなく習得していたという。そして最後は銃殺されたが、その直前に奇跡がおきて一度銃殺を回避している。

 初めの銃殺隊のリーダーがクリスチャンで、どうしてもバブを撃ちたくなかった。バブに聖者ならなんとかしてくれと言った。時至ってやむ得ず発砲したが、目の前から消え、バブは牢で別の人に伝えなければならないことがあると言って話をしていたという。

 銃殺隊のリーダーはこの奇跡を目の当たりにして銃殺隊の役目を辞退し、別のリーダーがバブを二度目に撃ったという。幻覚だと言ってしまえばそれまでだが、神秘的な人物であり、そのバブがヨハネの如くバハオラを教団の指導者としてたてた。

 バハオラはコーランに匹敵する新しい時代の律法書とでもいうべきキタ・ベアクダスを作成した。

 そのご長男のアブドルバハーが聖約の中心としてバハオラに指名された。

 このバブ、バハオラ、アブドルバハーは特別な存在である。

 大本にあっては、出口直、出口王仁三郎、出口日出麿が存在するようなものだ。当時私はこの三人とバハイの三人を重ねて考えることがあった。

 出口日出麿については、分派した人たちがずいぶん批判的に扱ってはいたが、かつて 道院のフーチで運靈として出口王仁三郎の後継者として評価され、絶大な信頼を受けていた。 日の出の神は別に出口清吉というひとが生きていたなど裏事情はあったが、ともかくも日出麿氏の見識は群を抜いていた。

 救世主の出現はヨハネとキリストによく対比され、霊界物語にもそういう表現が出ている。出口王仁三郎はそういう表現を出しておきながら、実際のナザレのイエスとは別だといったりしている。

 大本の基本的な郷里から、縦と横の糸のからみで経綸が動くことをヨハネ、キリストで説いたのかもしれない。

 ヨハネが預言者と呼ばれようが先ぶれと呼ばれようが縦の役割を背負い、キリストが横の役割を背負っていたともいえなくはない。

 ともあれ、出口王仁三郎のナザレイエス観は少々厳しく、贖罪思想はとっていない。また処女懐胎にも否定的な発言がみられる。

 しかしこの問題を追及して益するところは少なく論争から宗教間の亀裂を生じるより、それぞれの宗教の根幹部分を確認して連帯したほうが賢明だという理解があったのだろう。バハイでもこの問題は答えを回避している。

 出口王仁三郎が示したかったのは原型としての「型」であったろう。

 ヨハネ 神世開基と

 キリスト 神息統合

 その型がイランではバブとバハオラとして顕現したのではないだろうかと当時の私は考えた。バハイ教に対するイスラム教の一部の派からの反発は強くバブの銃殺とバハオラの投獄という結果を生んだ。

 大本は中国で多くの宗教団体との提携を持ち掛けた。それが失敗に終わったのは誰が中心人物かということであったと聞いている。クリスチャンは当然キリストイエスというだろうし、イスラム教徒はマホメットというだろう。距離を保った協力はできるが、それぞれの教理の中心者がだれかについては譲ることが困難である。

 バハイとの提携が困難だったのはおそらく、バハイの信者はバハオラをこの時代の唯一の顕示者として考え、出口王仁三郎を顕示者としては評価していない点である。この部分はバハイ教にとって核心部分であり、道院が出口王仁三郎を尋仁として偉大な指導者として評価したのとはかなり違う。

 霊界物語64巻上にはあなない教の信者とバハイの信者と遭遇がかかれている。出口王仁三郎がこれを書いたのは1923年。アドブルバハーがなくなったの1921年である。

 霊界物語の登場人物にどちらが大聖主かという比較話がでているが、登場人物にはいかに大聖主といえども亡くなってしまっては救済事業に手の下しようがありますまいと言わせている。(まあ後継者がその事業を受け継ぐことはあるがとも言っているが)

 だが後年出口王仁三郎自身にもこのことがあてはまってしまうことになる。

 バハイは万国正義院を中心とした組織とルール確立し、いわゆる大聖者がいなくても組織が運営される組織をつくり、ショーギエフェンディという守護者まで用意するという周到にして遠大な計画をもっていた。これが見事に成功してバハイは世界に広まった。

 ところが大本ではすでに記したように教団内で分裂がおきて後継者が教団を訴えるという事態が起きた。しかも後継者と目される人の思想は出口王仁三郎聖師の思想と異なったことを言い始めた。このため出口王仁三郎が決めた後継者を彼の死後変えざるを得なくなった経緯がある。

 情けない話だと思う反面、結局どちらについていかねばならないかわからくなった信徒こそいい迷惑である。教理をよく腹に入れておかないと間違える。

 実は後から知ったのだがバハイ教にもバブが指名した後継者がいた。

 後にその男はバハオラは対立したという経緯がある。バブが見誤ったのか、魔がさしたのか。

 この男はバブ教という別教団をつくり、最後にはバハオラを暗殺しようとしたらしい。

 暗殺に比べたら訴訟など可愛いものかもしれない。

 そういえば釈迦を敵視し、信者の一部を連れ去ろうとした提婆達多は釈迦の親戚にあたる。

 似たような型が現れるものなのかもしれない。

 釈迦は後継者として舎利弗がいたが、釈迦に先だって逝去した。釈迦に先立つ二人の師匠は釈迦が悟りを得る前に亡くなっている。つまり釈迦は不幸にも師にも恵まれず後継者にも恵まれなかった。

 釈迦は生まれてすぐ転輪王になるか救世主になるかという預言をされた。これは興味深い。

 イエスもまたピラトからユダヤの王とされている。

 転輪王となにか聖なる王というニュアンスで考えれば、政治力を持った宗教的な宿命を担った王ということになる。

 占い師は釈迦の中に同時に二つの可能性のある相をみたが、結局出家して国を捨て、悟りを開き、後者に近い存在となった。ちなみに釈迦族は太陽の末裔と呼ばれた種族だった。太陽族とは太古日本がアジアを支配していたころの末裔ではなかろうか。だとすれば釈迦は皇族の血を引いており、釈迦族の王子として国を治めるべきであったのかもしれない。

 出家して乞食で暮らすという生活形態は日本ではフィットしない。仕事はつかえることであり何らかの職業を通じて修行をするものと考えられている。

 当時のインドだからこそその道を利用できた。

 出口師の預言では、当時救世主は再誕している。エルサレムには再臨する。再誕と再臨は違うといっても、すでに出口王仁三郎師がいないとすればダライラマのように転生していなければならない。

 第三次大本紛争は出口王仁三郎聖師がいうように「栗のいがが内からはぜるよう」におきたことから、大本の使命は終わったと道院の笹目秀和氏の口からも聞いたことがある。しかし私にはそうは思えなかった。

 出口王仁三郎聖師逝去後、出口日出麿氏が心神喪失に見える状態であったがわずかに筆をとって書く単語には私は個人的に感ずるところが多々あった。分派の人たちや後継者といわれる栄二氏は認めようとしなかったが、何らかの神秘が働いていることが、その筆からは感じられた。

 しかしながらその日出麿氏亡き後、教団が正しい道を歩んでいるかどうか、私は判断する立場にない。

 ただ残された祭式、資料などは一級のものであり、日本の太古史を知る上では欠かせない。さらに日本の神社神道・・・が様々の歴史を経て今日の形になっているのでどれが真であるかも難しいものもある。芯でないからと言ってその土地や個人の信仰を覆していいものかどうかわからない。間違っているからつぶすでは、明治維新に仏教を弾圧したような結果になる。

 ゆえに私は大本から距離をとり、大本という教団内のことよりも、世界の中で柱としての日本とユダヤの関係、太古の真実、人類の本来の姿などを探っていきたいと思った。

 

 

 

 



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