国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

神々が嘆き悲しむ日本国憲法

2013年11月09日 | 日本国憲法

 天皇陛下は内閣総理大臣を任命し、最高裁判所の裁判官を任命し、国会を召集し、憲法改正、法律、政令及び条約を公布し、衆議院を解散する。いかに内閣の助言と承認といっても任命召集、広布するといえば主体は陛下にあります。
 たとえば総務部長の助言と承認印があっても社長が任命していれは経営権限がないとはいいません。
 歴史的にみても陛下の地位は天与のものとされ、国政に関する権能は国民由来のものではない。ゆえに占領軍は行為を象徴として残し、実質国民の代表が政治をとるようにしたのです。

 ほかならぬ国民が陛下の権威を利用して政治を行っているということです。

 これは君主制度に民主政治を組み込んだよじれです。建国来の日本の政治構造をひっくり返して民主主義という「機構」をかぶせたためにおこりました。

 これを修正するにはまず日本のデモクラシーが他国とは違うということを理解する必要があります。日本の天皇は欧米の独裁専制政治とちがって「天は民のために君をたてた」とされています。これは民主ということとは違う、主権は天皇陛下にありますが、その地位は「天が民のために与えた」ものという解釈です。
 憲法のこの部分を改正しないと君主と民主が併存することになり論理的ごまかしが解消されません。

 これをいうと神話を現実の憲法に介在させるなという批判を受けるますが、神の存在は否定されたわけではありません。もし存在するのであれば、神なしで運営するのは不条理で、結局左翼勢力に抗することができなくなります。左翼は神なしですから。
 神、あるいは天というのは人間が神聖なものを敬うその神聖と感じる感覚の源泉です。それがなければ人間も国家も劣化します。ゆえにあれだけ民主主義にうるさいアメリカでも大事な場面で聖書に手を置きます。人間にとっても国家にとってもこの「神聖さ」が必要であることはみなわかっているはずです。知識が神を否定した。まさに知識の実を食って楽園から追い出されたのです。

 我が国は昔から国家の大本を神聖という感覚の極みにおいてきました、そしてそれに仕える者として私たち同様肉体を持つ存在のトップ天皇陛下を極身、すなわちキミと呼び、国民を手身すなわちタミと呼んできました。そしてそれによって統治することを徳治と呼んだ。我が国はもともと徳治国家であったのです。