大本には型の思想がある。世界で起きることは日本に、日本で起きることは大本に規模が違い時間が違っても起きるといわれている。なんらかの関連性をもって起きるとも言われている。
世界の貧富の差は日本に移しだされている。
貧富の格差は政治家や官僚が想像する以上。学者が想像する以上で、これが先進国といえるのかどうかというほどになっている。
おにぎりが食いたいと言って心中した親子の話がある。
制度的な問題、町役場の役所的対応。
だが根本にあるのは資本主義の行き過ぎと、政治家と経済的勝者の奢りであろう。何が悪いのか、正当な戦いで正当に勝ち得たものを享受するのは当たり前というのが資本主義者の考えである。
しかし皇道ちがう。
財産は天皇のもので、天皇かからの借り物である。経済的成功は神がそういう働きをさせているというだけである。
ではモチベーションをどこにおくのかと言えば、己の欲望ではない。かみに使えることである。だから日本人は労働というよりも仕事という。
仕事を神に捧げる。天皇から土地と財産をお借りして天皇にお返しする。
必要以上の財はもたないのが未来の姿である。
とまあ、私が読みとって描いた世界像であるが、なかなか人は納得しまいて。
だが経済が機械的に動くとばかりはいえず、また欲望ばかりで動くものではない。国民が太古のように天皇と神を信じ、役人がまともになればいまの経済機構をちょっと手直しするだけで替わるような気がする。
一つの例としてあげられるのが、所有権を拝借権とするということである。
所有していると思うから、いけないので、すべての財産は天皇のものとして拝借しているという考え方を持ち始めると、使い方にも差が出てくる。
言葉が思想を変え始める、
立て替え立て直しは手のひら返すようにといわれるが、こんな風に、資本主義至上、富裕層や先進国にあつまり財産や株が一気に神と天皇のものであるといわれる日が来ることを夢想する。
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