国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

神話と天使

2019年10月31日 | 歴史仮説

 出口王仁三郎によれば、人間と同じ形態の異星人は存在しないという。

 すると、天使や神々という存在は宇宙人ではなく、いわば神界、幽界の異次元人ということになる。
 天使や神は神道でいう幽とよばれる異次元の世界にいると考えられている。

 太古はこの異次元とこの世界の次元が近く、比較的容易に行き来できたといわれている。

 この世界は異次元の存在が先にあり、そこから幾柱かの神々が受肉し、その後人が作り出された。

 つまり最初は神人がこの世に肉体をもって現われ。これが、いうところの肉体をもった天使であり、人間に先だって何柱も生み出されたというのである。

 それからつぎにアダムとイブの神話にみられるようにこの世界で創造された存在もあるらしく、これは土ではなく木から生み出されと出口王仁三郎は書いている。これらの人間は先の天使人類より性質、能力において劣るらしい。

 異次元から肉体をもって現れた神々は、木から創造したアダル彦エバ姫らのような人間と交配ができたらしく、のちにいわゆる混合種も産み出されたという。このあたりはなんともグロい話である。

 宇宙人か超古代人が自分の遺伝子クローンを作りそれと交わって繁殖したというSFがあるが、にたようなもので、宇宙人を異次元の天使と言い換えれば想像できるのではなかろうか。

 聖書の人間がつくられた時期のおいては、すでにたくさんの天使人類が存在していた、創世記で神が複数で語られているのは、天使が数にはいっているからである。

 霊界物語を見ると、最初の神々は天地創造の厳かな神々が語られているが、途中から邪気が発生して、神々の戦争が延々と続く。

 これが太古現界の神話なのか、神の世界つまり幽の世界の争いなのかはっきりとわからなくなってくる。霊界物語自体が現実の出来事の描写なのか、過去の出来事の描写なのかわからなくなることがある。

 話をとばしたり、ぼかしてある部分がある。

 神々も戦争をするとすれば、人間よりも優れているとはいいがたい面もあるということではなかろうか。

 聖書学?からみると神々の戦争の大きなものはルシファーという知の天使、光の天使の堕落である。これがイブを誘惑した蛇の正体イブリス、サタンらしいが、人間の堕落は蛇となったルシファーのせいである。

 このくだりは霊界物語の76巻あたりに、パレスチンの伝説として、イブリスという悪魔が人間の創造に嫉妬して、蛇の形をとってイブを誘惑したとして載せてある。

 この伝説ではアダムに先だってリリスという妻が存在したが、アダムに従わずに、イブリス=サタンに仕えて悪魔を増やしたという説が書いてある。こうした説は想像の産物として断ってある。

 しかしながら、古代人が創作したものとしても示唆にとんでいる部分もある。

 霊界物語では、世界の混乱のもともとの原因は人間のせいではなく、女神天使の不倫のせいとなっているところもある。

 夫神が失踪している間に妻神が、不倫したため、一夫一婦の天則をやぶった。天界のリーダーたる女神が、それをやってしまったので、世が乱れたというのである。

 幽の世界の混乱がうつし世である現界にあらわれているとしたら、原因は人間の堕落に先だって神々が堕落したのが原因ということになる。

 したがって大本では原罪説をとらない。女神の浮気である。男神の浮気は、日本の神道神話では比較的寛容ではあるが、女神の浮気にたいしては手厳しい。 

 男性については優性な種は増やすべしとでも言わんばかりに登場人物に語らせているところがある。現代の価値観からいうといささか批判を浴びそうな部分ではある。

 異次元にはたくさんの階層がある。異次元は別の場所というよりもこの場所に重なって存在し、存在するものの波長が異なっているためにぶつからず、見えもさわれもしないという。天国はあなた方のただなかにあるというイエスのことばはそのあたりをかたっているのではないか。

 天皇は異次元階層のトップから生まれた天使人類の遺伝子を持っているということになる。
 ナガスネヒコという人物が古事記に登場するが、長らく神と人の区別がつかなかったことが、記されている。彼はそのため、神武天皇に抵抗して、さきに到着していた人物をたてていた。外見上はあまり差がないというわけだ。

 天使人類の子孫という言葉はそのままノストラダムスの預言にも登場する。最後の時、天使人類の子孫が助けるというような内容であったかと思う。

 イスラエルは神の選民と呼ばれてはきたが、出口王仁三郎は選民は神の直系ではないという。だからイスラエルの神話はアダムイブから始まり、それ以前の記載が十分ではないのたではなかろうか。

 日本の神話は神々の誕生から始まる。神々とは神と天使たちを含めた表現で、一神教多神教の区別は意味がない。天使とは日本でいう神々のことであり、神々には幽の幽、幽の顕、顕の幽、顕の顕の四つの態様があるという。中心の見えない神は幽の幽、天皇陛下は顕の顕の神の子孫として神と呼ばれていたのである。つまり、エホバと天皇はまったくことなるが、日本語ではいずれもカミと読んで間違いではない。

 人類には神々から生まれた直系と、アダムイブから生まれた人類がいたがいまは混じりあっていて、その混合の度合いにより様々な性質が見られるという。皇族天皇でさえ混じりあっている。ただ男系がまもられれば遺伝子に刻まれたなにかが保存されるのであろうか。

 太古の天皇は超人的な能力をもっていたが、神武天皇からは人皇と呼ばれ、極めて人間的である。時代が下るに従い、アダムイブの系統とも混じりあい、太古の能力をうしなっていったのではなかろうか。

 なぜ、神々は、天使たちはアダムイブを創造したのか。

 なぜ、七回も泥海にする必要があったのか。

 これでは人間世界は異次元天使の失敗と試行錯誤の結果ではないのか。
 
 人間側からみるとこうした神々はあまりにも人間的で、全智全能の神ではない。

 時には神もかなわんぞよとさえいっている。

 神自身が作ったルールに神がしばられている。

 いわゆる天使と呼ばれる存在は上位の神々からの内流をうけて上位の神と一体になる。そこで多即一が実現する。
 上位の根元的な神は時間と空間を創造した。そして下位の天使たちにこれを守らせることで、世界を維持する構造を作った。より上位の神が根本的な原理原則をたて、世界の運営はより下位の神が行う。
 故に下位の神にとっては上位の神が創造したルールを変えることはできない。時はより根本的な原理で、簡単にはいじれない。時の流れに沿って創造を展開せねばならず、それゆえ失敗した場合、つくりなおさなければならない。
 根本的な神の目からは老子が書いているように万物は鄒佝であり、百姓(民)は鄒佝となる。それゆえこの世界では無情にも生老病死が存在し、天国と地獄が存在している。ところがそれだけでないというのが神の神たるゆえんともいえる。
 世界を構築するための神々が生まれ、さらにこの世界を運営して行くために人間という存在が生み出された。
 
 こういう構造にしたのは神で、世界はいわば神の芸術ともいえる。人間にはある程度こうした構造を理解し、鑑賞する能力が備わっているようだ。


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