象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「水車小屋攻撃」に見る、エミール•ゾラのオチに対する拘り

2018年04月13日 07時49分02秒 | バルザック&ゾラ

 エミール•ゾラと言えば、長編モノというイメージが定着してるが、短編もなかなかのモノ。
 "オチに拘り、読者に強い印象を残す為の最後の一捻りは、ジャーナリスト生活で身につけた技巧である"と訳者が解説する様に、コミカルなユーモラスを全面に押し出し、笑いと感傷を誘う。全てにおいて落とし所が絶妙で、読者を唸らせるゾラの7つ短編集。


『水車小屋攻撃』

 戦争の残酷さと愚劣さと、二人の若くて純朴で安直な熱情と愛のエゴイズムがメルリエ爺のプランを狂わし、全てを不幸に導く様をコミカルに描く。

 娘のフランソワーズはプロシア軍の捕虜となった婚約者のドミニクを敢えて逃し、ドミニクもこれまたメルリエ爺の忠告を無視し、その血気盛んな反抗心で銃をぶっ放す。
 結果、ドミニクは再び捉えられ銃殺され、メルリエ爺も流れ弾に当たり死亡する。”フランス軍が戻って反撃するまで待つように”との爺の必死の説得も、全くの無駄に終わる悲しい物語。

 やがてフランス軍は反撃に出て、プロシア軍を絶滅させる。フランソワーズは呆然と立ち尽くし、隊長は勝利のお叫びを上げる。若者に辛抱はタブーなのか。
 ”必ず終わりは来る、今は辛抱だ”のアンジェロ•ダンディのアドバイスに従い、ハーンズとの苦闘を制したレナードを思い出す。


『小さな村』

 普仏戦争(1870)で最も激戦の地となったウルト、ナポレオンがロシア•オーストリア軍を破った(1805)アウステルリッツ、ナポレオン3世がオーストリア軍を破った(1859)北イタリアの街マジェンタ、そしてナポレオンの最後の闘い(1815)のワーテルロー
 そのどれもが全く目立たない小さな村だった。前日まで全くの無垢だったその地名に、血と火薬の臭いが纏わり付き、人々は永遠に、その地名が口に上るたびに震えるようになる。
 戦争とは、戦場となった村の名前のあり方まで一変させるのだ。


『シャブール氏の貝』

 穀物商で財を成した44歳になるシャブール氏と22歳の若く美しきシャブール夫人エステル。唯一の悩みが子供に恵まれない事。田舎町のピアリックで新鮮な貝を食べると、子宝に恵まれるという噂を聞き、早速出かけるが。
 エステル夫人はその地で、美男子で長身のエクトール青年に一目惚れ。互いに熱愛し、夫人にとっては、この地すら官能的に映る。彼女はこれまで、こんなにも広大で甘美な逸楽が、身体に染み込むのを感じた事はなかった。

 パリに戻り9ヶ月後、無事男の子を出産する。勿論、若き青年との子供だ。この物語の本当の主役は若い男女を堪能の世界へと誘った海。つまり、子宮という海が子供を宿すのだ。
 身分の違うもの同士の、子供を残したいという男女の本能と、それを支える海の存在。全くこの"寝取られ男"のテーマは、フランスの滑稽話の定番でもある。


『周遊旅行』

 若い二人の愉快でも滑稽な新婚旅行。雑貨屋を一人で切り盛りするラリヴィエール未亡人。娘のオルタンスの新婚生活までをも仕切ってしまう。
 流石に、養子のリュシアンの父親は二人を不憫に思い、ノルマンディー周遊の切符を持ってくる。
 二人は喜び勇んで出掛けるも、全く退屈で落ち着かない。若き熱情の前には、ガイドブックなんて当てにならない事を思い知る。そこで偶然にも、グランヴィルの田園風景に目を奪われる。
 彼らはそこで、残りの1週間を何処へも出掛けず二人きりで過ごす。最後の最後で充実した新婚旅行を満喫するのだ。

 勿論、土産話など何もない。父親に名所旧跡の印象を聞かれても何も答えられない。片田舎での二人っきりの時間しか記憶にないのだ。金物屋の親父は呆れ返り、倹約家の未亡人は二人の馬鹿さ加減に安堵する。
 つまり、新婚夫婦に一番必要なのは二人だけの時間であり、旅行そのものではないのだ。"ガイドブックなんて捨てちゃえ、二人きりで思い切り楽しもうぜ"っての開き直りが実にいい。


『ジャック・ダムール』

 パリ•コミューンに揺れ動くダムール一家の悲劇
 過酷な運命を何とか生き延び、かつては自分を裏切った悪友との友情を支えに、離れ離れになった娘の愛情を取り戻すダムールの復讐劇でもある。

 普仏戦争の結果、パリの動乱はパリ•コミューンを生み、悪友べリュの扇動はダムールとその息子ユジューヌを狂気に走らせた。息子は政府軍の銃弾に倒れ、ダムールは囚人となるも脱走し、アメリカ、イギリス、ベルギーへと逃亡生活を続ける。
 何の迷いも思いも希望もなく、”土に埋もれたように眠った10年”が過ぎ、大赦が可決したパリに戻る。かつての妻は裕福な肉屋の親父と結婚し、40を過ぎるも充実し成熟した女に輝いてた。妻に問い詰めると、娘は金持ち預け、居場所は知らないと言う。

 結局、彼は典型の不運で無一文な"寝取られ男"に成り下がるのだ。しかし、運命は彼を見放す筈もない。偶然にも悪友べリュと出会い、これまた九死に一生を得る。
 悪友は妻への復讐を彼に扇動するも、彼女も際限ない悲しみに覆われ、人生の後悔と幻滅に満ちてた。”彼女の幸せを奪う事は出来ない”と覚悟した彼は、妻と永遠の別れを告げ、一人娘のルィーズだけが唯一の頼みとなる。 

 神も悪友も娘のルィーズも、彼を見放さなかった。悪友べリュは東奔西走し、娘の居場所を見つける。すっかり大人に成熟した娘ルィーズの無垢で透き通った暖かい微笑みが父親を迎え入れる。
 ダムールは娘が所有する別荘に居を移し、心安らかに穏やかに余生を過ごすのだ。

 全く運命に散々弄ばれた男は、神の摂理によって与えられた休息を、最後には勝ち取るのだ。この7つの短編の中では一番のお気に入りですな。


『一夜の愛の為に』

 両親を若い頃に亡くし、寄宿舎で育った25歳の小市民ジュリアン•ムーアの悲劇。彼の唯一の楽しみはフルート。このフルートの音色に導かれたのは、隣のド•マルサンヌ宮殿に住む一人娘のテレーズ嬢。しかし、この令嬢には恐ろしき秘密が隠されてた。

 ジュリアンは決まった様に彼女に恋をする。激しい内面の葛藤が故に、怒りにも似た獰猛な熱情が彼を支配する。一方テレーズ嬢は、かつての召使であり、幼馴染の小男コロンベルを殺してしまう。
 彼女は小さい頃この下男を虐待し続けた。彼女の粗暴な振る舞いは、高貴な品位を保つ為に生まれる奇怪な悪徳であったのだ。その持って生れた奇怪で粗暴な気質を和らげようと、18歳まで修道院に入れられる。

 修道院を出て、再びこの館に戻ると、この下男との昔の虐待の関係が再び始まる。しかし、今度はこの下男が令嬢を支配する。
 長年の仕打ちを全て晴らすかのように。この雄の獣は獰猛な欲望に惑乱され、テレーズ嬢を犯すのだ。
 この不均等な愛の行為は次第にエスカレートし、令嬢はこの闘いにケリをつける。勿論、それは愛でも遊戯でもなく殺意そのものだった。

 彼女は死体の処理に全く困惑した。そこで醜い番犬のように愛に飢えたジュリアンを思い浮かべた。2年も前から、この野良犬は令嬢への愛に腹を空かしてたのだ。"あの馬鹿を利用しよう"と。
 テレーズにとっては厄介者で、ジュリアンにとっては恋敵である下男コロンバルが死んだ今、彼は密やかな幸福と共に、恐怖に満ちた嫌悪感が覚えた。彼女が提示した血生臭い共犯の約束が二人を腐れ縁で結びつける。

 彼はこの小男の死体を抱え、娘の言うとおり、ジャンドクレール川へ投げ込もうとしたが出来なかった。彼は激しい虚脱感に襲われるのだ。小男の死体と自分が全く同化したのだ。
 ジュリアンは頭の中で彼女を追った。恋のイメージを辿ろうとするも、それは勝ち目のない戦いだった。彼の恋は打ち負かされ、”永遠に眠りたい”という欲望しかなかった。テレーズへのイメージは輝きを失い、消えかける彼の恋には死体の匂いが纏わり付く。
 結局、彼は死を選択する。テレーズの名を3度呟いた後、小男の死体と共に川の中へ墜ちるのだ。2つの死体が川から上がった3ヶ月後に、テレーズ嬢は若伯爵と式を挙げた。

 愛に臆病な醜い大男のジュリアンは、令嬢との”虚空の愛”よりも友情との”崇高な死”を選択した。彼は令嬢に恋をした時点で有罪の判決を受け入れ、その罪を償う為に死を受け入れ、召使のコロンバルも彼女を犯した時点で死の宣告を受けたのだ。愛と死が同じ恐怖と脅迫を受入れる事を教えてくれる。
 仏語版では『ある愛の物語』とのタイトルが付けられてる。ロマンチスト特有の崇高な愛の抒情詩といった所か。全く泣けてきますな。


『アンジェリーヌ』

 ”アンジェリーヌ、アンジェリーヌ”少女の亡霊の叫びだと思ってたのが、実は新しく生れた生命の目覚めだった。
 一人の娘の死というものが、全てを不幸のどん底に突き落とす。しかし、死者の無念の叫びが娘を再生させる。新しく生れた美しく輝く希望と共に生まれ変わるのだ。
 不幸に満ちたこの荒れ屋敷は、確かに取り憑かれていた。しかし、取り付いてたのはもはや、亡霊ではなく子供の目覚めなのだ。そして、館はすっかり若返り、幸福になり、再び見出された喜びの中にある、永遠の喜びの中に。
 全くゾラのユートピアを夢見るロマンチストとしての一面がユーモラスに鋭く描かれてる。

 ゾラ特有の"オチと捻り”に拘り、よりユーモラスさを全面に押し出し、突飛な笑いを誘う。実に愉快で感動的な短編小説でもある。



2 コメント

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ゾラ的、ある愛の詩 (ootubohitman)
2018-06-04 00:05:46
水車小屋攻撃とは、懐かしいです。

この中では、『一夜の愛の為に』が一番心に響きました。愛に飢えた貧しい男と、それを利用し、まんまと罪をを隠し伏せた令嬢の物語です。

虚構の愛と崇高な死。つまり、愛と死は同じ恐怖を、互いにもたらすんですね。この哀しい『ある愛の物語』は、令嬢が若伯爵と結婚する所で終るんですが。出来れば、この令嬢が若旦那に騙され、首吊り自殺を決意する瞬間で終わっても面白かったかな。
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Re:ゾラ的、ある愛の詩 (lemonwater2017)
2018-06-04 04:55:13
おはようございます。

 ゾラ特有の分裂症気味な、ロマンチシズムと残忍性の融合こそが、この作品のテーマでもありますね。

 でも、対照的な登場人物を配する事で、読者の感情を揺さぶる辺りは、憎い演出というか。愛というものを様々な角度で描く手法は、何と言っていいか。
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