象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

ベーブ・ルースの真実”その1”〜近代ベースボールの巨人と、その孤独な少年時代と〜

2017年12月16日 10時46分30秒 | ベーブルース

 マリリン•モンロー(1926-1962)事を書いてたら、急にベーブ•ルース(1885-1948)を思い出した。モンローも規格外だったが、ルースはそれ以上だった。奇行も偉業も実績も桁外れで、破格外であった。
 英雄伝説とは真実が嘘で嘘が真実の世界。真実が矛盾を内蔵し、神話が真実を裏付ける世界なのだ。

 彼に関する自伝は結構出てるが、殆どがイラストチックで安直な英雄伝説の類で、この英雄ベーブ・ルースの内幕」(R•クリーマー)が一番忠実に再現されてるといっていい。因みに正式な名前は、ドイツ系らしく“ベーブ”ジョージ•ハーマン•ルースJrと長い。愛称は”バンビーノ”(赤ん坊)で知られた。


ヤンキースタジアムを建てた男

 ルースと言えば、今更言うまでもないが、最初にアメリカ野球殿堂入り(1936年)を果たした5人の中の1人だ。タイカップ、ベーブ•ルース、ホーレス•ワグナー、クリスティー•マシューソン、ウィルター•ジョンソンの5人である。
 ルースは本塁打50本以上のシーズン記録を初めて達成した選手で。1927年に記録した60本塁打は、ロジャー•マリスにより破られるまでの34年間MLB最多記録であった。それも154試合制の時で、現行のルールなら104本に達してたろうと評する作家もいる。また、生涯通算本塁打714本ハンク•アーロンに破られるまで、39年間MLB最多であった。

 グラウンド外での歯茶目茶な行動ばかりが揶揄され、それに”ヤンキースタジアムを建てた男”も、放埒で粗野という負のイメージが先行するが。彼の人間性は複雑過ぎたし、野球に関する知性は全く評価されなかった。
 しかし、彼こそが名門ヤンキースを創り上げ、"アメリカ球界最大の巨人"と評される、近代ベースボールの巨人でもあるのだ。
 "腹を立てる奴はいたが、嫌う奴はいなかった"これこそがルースの実像なのである。


孤独な少年時代とジャクソンの再来と

 波乱に満ちた貧しくも孤独な少年時代。この孤独と放蕩と虚無こそが、ベーブ•ルースそのものであり、恐怖であり、彼を生涯悩ませ続けるのだ。
 しかし、ベーブには野球に恵まれた。神は孤独な彼に野球の才を与えた。彼の生き甲斐でもあり、唯一の友でもある野球は、セントメリー工業学校で目覚め、マシアス神父(ルースの卒業後に校長となる)との出会いにより、一気に開花した。 
 この神父こそが、ルースの実質の父親的存在となる。2m110kgを超える巨漢は片手で軽く100m飛ばした。この”神父のノック”こそが、ルースの打撃の原点となる。

 ジョー•ジャクソン(要Click)の再来と、早くも騒がれたルースは運命のスローブを登るが如く、憧れの大リーグ、名門中の名門ボストン•レッドソックスに入団する。神が与えたこの黄金の左腕はボストンの黄金時代を支え、牽引した。
 因みに、彼が在籍したボストンでの5年間では、4度の世界一に輝いた。まさにルースが君臨したボストンは"王者の街"であった。

 そして、1920年。レッドソックスはルースをヤンキースに売った。ボストンのファンは現実を見た。"レッドソックスは崩壊する。野球は金なんだ。メンチな事言っても駄目なんだ"
 一方、ニューヨークは"ホームランの高価な値段"とベーブを揶揄し、NYっ子にはまたとない朗報となる。
 上巻では、投打であらゆる大リーグ記録を打ち立て、ベーブルースがアメリカの至宝に君臨するまでの前半の24年間の生涯を描く。 



1 コメント

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Unknown (頑張るおじさん)
2017-12-18 20:31:57
読者登録ありがとございます。

春日で静電気対策をしています。

今後とも宜しくお願いいたします。
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