ぐっちさんのエントリを読んでふと思ったこと。
1 文章表現
前田先生の文章表現が日本語としてどうかというのは、同感です。微妙な表現や文章の流れが多いですよね。しかも、版を改定するとともに微妙さが増しているようにも思えます。
かといって前田先生の文章力に問題があるわけではなさそうです。先生が書かれた雑誌等の論考を読む限り、教科書を読んで得られる印象とは異なる印象を得ることができ、表現として読みづらいと感じたことはないのです。
そうすると、執筆方法に問題があるのかなとも思えてきます。実際はどうかわかりませんが、テープ起こしを素材にしてまとめているようにも思えるので、話し言葉と書き言葉の差が根本にあるのかなと思っています。
同じことは内田先生の本でもいえるわけで、しかも、両方とも東大出版会だったりします。
ただ、とにかく最近の本は、読みやすさを重視してということで、話し言葉で、かつ平易な言葉で書いているとうたうものが多いと思います。その方針がかえって読みにくさにつながっているとしたら、なんだかなあと思いますね。
2 司法試験に使い難い
よくいわれていたのは、文章をそのまま利用して答案の論証に使うことができない、ということでしょうか。とくに、模範答案暗記派ないし論証ブロック暗記世代(笑)にとっては、なんじゃこりゃということでしょう。
内容面でいえば、判例通説の説明がなく、自説を長々書いている部分があるので、合格後に実務で困るといったことを聞いたこともあります。これは前田・内田共通に。
確かに、前田先生が判例を無理やり行為共同説だと書いている点、内田先生が法律行為論を「かなり」無視して書いている点、などは自分なりに修正しなければならないところだと思います。
まあでも、最後は使い方の問題だと思えます。両先生の本を使ってきた者として、大きな収穫があったなあと思う点は、がんばって読解することで、自分なりのリーガルマインドとかいうものが涵養されたのではないかということです。
意味不明の文章に出会う
↓
がんばって理解しようとする
↓
自分なりの理解が得られる
↓
時間がたってもしっかり覚えている
このようにうまくいくかはわかりませんが、しかも確かに回り道の部分があることは否定できませんが、シケタイやCブックだけでやるよりは能力開発になる本だと思います。
主体性を重視していきたいですね。
1 文章表現
前田先生の文章表現が日本語としてどうかというのは、同感です。微妙な表現や文章の流れが多いですよね。しかも、版を改定するとともに微妙さが増しているようにも思えます。
かといって前田先生の文章力に問題があるわけではなさそうです。先生が書かれた雑誌等の論考を読む限り、教科書を読んで得られる印象とは異なる印象を得ることができ、表現として読みづらいと感じたことはないのです。
そうすると、執筆方法に問題があるのかなとも思えてきます。実際はどうかわかりませんが、テープ起こしを素材にしてまとめているようにも思えるので、話し言葉と書き言葉の差が根本にあるのかなと思っています。
同じことは内田先生の本でもいえるわけで、しかも、両方とも東大出版会だったりします。
ただ、とにかく最近の本は、読みやすさを重視してということで、話し言葉で、かつ平易な言葉で書いているとうたうものが多いと思います。その方針がかえって読みにくさにつながっているとしたら、なんだかなあと思いますね。
2 司法試験に使い難い
よくいわれていたのは、文章をそのまま利用して答案の論証に使うことができない、ということでしょうか。とくに、模範答案暗記派ないし論証ブロック暗記世代(笑)にとっては、なんじゃこりゃということでしょう。
内容面でいえば、判例通説の説明がなく、自説を長々書いている部分があるので、合格後に実務で困るといったことを聞いたこともあります。これは前田・内田共通に。
確かに、前田先生が判例を無理やり行為共同説だと書いている点、内田先生が法律行為論を「かなり」無視して書いている点、などは自分なりに修正しなければならないところだと思います。
まあでも、最後は使い方の問題だと思えます。両先生の本を使ってきた者として、大きな収穫があったなあと思う点は、がんばって読解することで、自分なりのリーガルマインドとかいうものが涵養されたのではないかということです。
意味不明の文章に出会う
↓
がんばって理解しようとする
↓
自分なりの理解が得られる
↓
時間がたってもしっかり覚えている
このようにうまくいくかはわかりませんが、しかも確かに回り道の部分があることは否定できませんが、シケタイやCブックだけでやるよりは能力開発になる本だと思います。
主体性を重視していきたいですね。