日々の記録、ときどき本の感想

最近はときどきどころかたまーに本の感想、ほとんど日常の記録です。

「神さまと神はどう違うのか?」

2023-08-13 15:30:46 | 本の感想

【注意!】この本は哲学的な話が多くて、正直私には難しかったので、多分かなり話が逸れます。

この本がどんな本なのか知りたいという目的の方には、ほぼ役に立たない自信があります。

それでも良い方は↓↓↓

 

なぜこの本を手に取ったかというと、通信制の大学で勉強していた時期に、主に経済学に興味があって「宗教とは代替的な役割をするのかも」と考えて以来、人が神をどう考えるのかということに興味を持っているから。

(経済学も宗教も「最大多数の最大幸福」を目指しているのは同じだけど、モノを増やしたり分配の方法を変えたりしてより欲を叶えることで満足を高めようと思考するのが経済学で、欲を抑えて満足のハードルを下げることで幸福感を高めようとするのが宗教の考え方だなと思った。もちろん極端に単純化した考えなことは自覚しているので、そういう側面があるのではないかと思ったいうお話。)

この本で「神さま」というのは信じる人の心の中にいる信仰の対象のことで、「神」というのは客観的に(人が信じる信じないに関わらず)存在する(かもしれない)存在のこと、かな?

ここまでの内容ですでになんとなく察せられるかもしれないけど、その定義で行くと、私には「神さま」はいるけど「神」に対しては懐疑的かも。

懐疑的とかなんかカッコいい響きの単語を選んでしまったけど、この本に「『神はそれを信じる人にとってはいる』というような人はあまり神について考えたことがないのかもしれない」という記述があって、私はそれに当てはまるような気がする。

心の中にいる「神さま」は自分が生きていく上で救いになるものだから大事にしたいけど、本当にこの世界に神が存在するかどうかについては、正直わりとどうでもいい。

この世に全知全能の存在がいたとして、別に私のことをそれほど気にするとも思えないから、あまり私の人生に関係ないと思ってる。

そもそも神やそれに近い存在を語るときにわりと出てくる、悪いことをしたら罰が下る(因果応報?)という考え方があまり好きではない。

悪いことをしたら罰が下るということは、逆説的に厳しい状況にいるのは悪いことをしたからなのか?と考えてしまうんだけど、私が見た限りでは違うときも多々ある。

(前に源氏物語を読んだときに、源氏の君の美しさに驚嘆した誰かが「この方は前世にどんな徳を積まれたんだろう?」というシーンがあったんだけど、そこで「ということは、逆に美しくなく生まれたのは自分の前世の行いのせい(因果応報)で自分が悪いってこと?」と思った。平安時代、超厳しいルッキズム社会だったかもしれない‥)

わりと無作為で適当に辛いことは起こる、と思う。

聖書や仏教の教えを説いてもらったときに、生きる心構えとして素晴らしいと思うときはあるんだけど、それは神が存在すると信じているからというのとはちょっと違う気がする。

理由もなく理不尽な目に合う(かもしれない)のは不安もストレスも大きいから、納得するために神の存在が必要になってくるのはわかるんだけど、そう考えること自体、神が人を作ったのではなくて人が神の存在を作ったと考えている(つまり神さまはいるけど、人の信仰に関係なく客観的に存在する神はいない)という考えがベースにある証のような気もする。

「神は存在する」ということを証明するために思考した西洋の哲学者の理論がいくつも紹介されていたけど、「腑に落ちる」とはいかず‥

神の存在はやっぱり文化の高い壁かもしれない

 

あと神の存在を語るときに、必ずといっていいほど出る「死後の世界」について考えるにあたって、「魂とは何か」というのも、この本では論じている。

ある時、超文明の宇宙人が目の前に現れて、研究プロジェクトのために

①あなたに死んでもらうけど、精巧なレプリカを用意して、あなたの脳に蓄えられた情報も完全に再現するので、体も脳も完全に再現される。心配しないでね。

②気づいていなかったと思うけど、すでに①をやっちゃったんだよね。実質的な被害はなかったんだからいいよね?

③太郎に死んでもらって、①と同じようにすり替えたけど、誰も気づかなかったし太郎に被害は何もないよね?

④あなたの体も脳も再現した精巧なレプリカを作って研究用に持ち帰りたい。謝礼もはずむし、あなた自身にはデメリットはないから協力してくれない?

と言ったらどう考えるかと問うことで、脳や身体とは別の私(魂)とは何かについて思考するようになっている。

この話の④のところで「おそらくもっとも冷静でいられるのはこれではないか」と記されているんだけど、私が4つの中で1番マシだと思ったのは②だったんだよね。

①と④は宇宙人が信用に値するかどうかわからないから怖いけど、②はもうすでに済んでしまっていて私が私だと認識しているならそれは私だから別にいいかなーと思ってしまった。

(③に関しては、私では太郎が本当に太郎かどうか判別する術がないから何とも言えない‥。)

性格的な傾向があるかも。

私は予期不安が強いから、これから起こる(かもしれない)ことに対してはすごく心配するけど、逆に起こってしまったことはもう変えようがないし受け入れるしかないかなーと思っちゃうんだよね。

④は私(らしい存在)が2人存在した場合、やっぱりレプリカは私ではないかなと思うけど、これから殺される前提で「OK」とは言えない。

オリジナルなのかレプリカなのかはともかく、どちらかが「間近に迫る死の恐怖」と抱えることになるから。

レプリカもオリジナルと同じように自らを「私」と認識していて、感情も意識もある前提の話みたいだし。

以前、「AIが進化して自我を持ったら人権が発生するのか」というテーマの話を読んだとき、私としてはAIに「疲れた」という感情が芽生えたら人権を認めざる得ないかなと思ったんだよね。

自分の代わりに働いてもらう前提でAIのことを考えていたんだけど、もし「疲れた」という感情とか意識があるなら、交代で半分は私が働かないといけない気がした。(疲れないなら全部やってほしい!)

さらに話が逸れていってしまんだけど、私は実は②に近いことを考えたことがあって、3Dプリンターみたいなので身体だけでなく脳の情報とか電気信号まで完全に再現できれば、瞬間移動マシーンができるんじゃないかって思っていた。

例えば日本でデータをスキャンして、イタリアで再現すれば、実際の物体(身体)を超高速で移動しなくてもいけるじゃん!っていう‥

データを保存しておいて時間を経て再現すればタイムスリップもできるなって‥(多分過去には戻れないけど)

でもこの話で④が一番マシで②は抵抗を感じる人が多いんだったら、多分このプロジェクト(勿論まったく始動していない)は世間に受け入れられないってことだよね、残念。

イタリアに現れた私が私だと認識していればそれは私だと思うんだけどなー。

 

結構前に読み終わって感想を書こうと思ったんだけど、とっ散らかっていてなかなか手を付けられなくて今になりました。

多分また再読します。

その時は全然違うことを考えるかも?

 

 



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