本屋さんでなんとなく手に取った「資本主義の宿命」を読み終わった。
この本は色々なデータに基づいて格差問題について論じている本。
格差をどの程度容認するかは、立場と嗜好によるので、「それぞれより良いと思う政党を支持していく」というのが結局は一番穏当な落としどころなんだろうな。
社会を構成する一員として、考えることと選挙の投票はさぼらない大人であろうとは思っている。
内容についてさらに論じれるような脳みそはないので、いつものように気になったことだけ書き留めておく。
①教育レベルが高くなることは本当に良いことなのか?
こういった本の中ではいつも、教育レベルが高くなることは無条件で肯定されているような感じがする。
社会主義国家で知識階級が迫害を受けた歴史があることを考えると、挑戦的に聞こえてしまうかもしれないけど、もっとミクロな意味で。
個人レベルでの幸福度は教育レベルが高くなるとあがるんだろうか?
統計があるなら見てみたい。
経済学が「最大多数の最大幸福」を目指すなら、無視できないデータのような気がする。
個人的にはそんなに変わらないのではないかと予想している。
②お金はどこに行くのか?
世界には超富裕層という人達がいて使い切れないような富を持つ一方、貧しくてその日の食事にも困る人もいる。
生まれた環境とか資質とか、本人の努力ではどうにもできないことも多々あるので、それがいい世の中と言い切れないかなとは思う。
けど、その超富裕層が持っているお金はどこに行くんだろう?と考えた。
なにかを消費するならば、そのお金が誰かに回ることになる。
銀行の残高として存在するならば、そのお金は間接的に投資等に回されてお金が回ることになる。
投資しているなら、もちろんどこか世の中を回っている。
タンス貯金でもない限り、自分の手元にお金をホールドし続けれない気がするんだけど、違うのかな?
仮にそんな巨額をタンス貯金していたら、世の中に回るお金(マネー供給量)が減る→中央銀行がお金の発行を増やす→お金の価値が下がるというストーリーになってしまいそう。
そもそもお金の全体量の管理ってどうなっているんだろう??
古くなった紙幣が日本銀行で交換されていることは知っているけど、1度発行したら交換し続けて半永久的に使える?
でも人知れず破損したり、無くなったりするから、誰も把握できない状況で減ってはいくよね?
銀行の残高とか数値上だけのお金だったら、半永久的になくならないし、実物よりも管理ができそうだけど、そもそも最初からデータだけのお金の発行はアリなんだろうか?
日銀が銀行とやりとりするお金は最初から現物がなくてデータだけ‥とか。
誰か、日本円が今総額いくら出回っているか知ってるのかな?
それとも、そんなことは知らなくても回るのが資本主義なのか??
ビットコインは理屈上最大量が決まっていて、それを超えることがないけど(だよね?)、お金は別にいくらでも増やせるよね?
謎。。
とりあえず「日本円 総量」でググったら、「2023年の大晦日、家庭や企業、金融機関で年越しした銀行券(お札)は124.6兆円」と出てきた。
発行数を足してるんじゃなくて、存在する紙幣をカウントしているらしい。
家庭で年越しした銀行券の枚数はどうやって調べてるんだろう??
‥‥
眠くなってきてしまったので、また時間のある時に日本銀行のホームページをウロウロしてみよう。
お金は大好きなのに、私はあなたのことを何も知らなかった‥