ろくすけの雑記帳goo

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小佐古官房参与が辞意 政権の原発対応「その場限り」

2011年04月29日 | インターネットニュース
小佐古官房参与が辞意 政権の原発対応「その場限り」

2011年4月29日(金)22:48
 内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東大大学院教授(61)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判した。

 小佐古氏は会見に先立って首相官邸を訪ね、今月30日付の辞表を提出した。

内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東大大学院教授(61)が29日、東京・永田町で記者会見を開き、参与を辞任する意向を表明した。小佐古氏は菅政権の福島第一原発事故対応について「法律や指針を軽視し、その場限りだ」と批判した。

 小佐古氏は会見に先立って首相官邸を訪ね、今月30日付の辞表を提出した。

 会見では特に、小学校などの校庭利用で文部科学省が採用した年間20ミリシーベルトという屋外活動制限基準を強く批判。「とんでもなく高い数値であり、容認したら私の学者生命は終わり。自分の子どもをそんな目に遭わせるのは絶対に嫌だ」と訴えた。「通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とも述べた。

 また、緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)による放射性物質の拡散予測が4月下旬までに2回しか公表されなかったことも批判。「今のやり方は、東京で数字をぼっと決めてやっている」と指摘し、政権の対応について「私がやってきたことからは外れているので、これ以上とどまっている理由はあまりない」と語った。

 小佐古氏は放射線安全学などが専門で、東日本大震災発生後の3月16日、原発事故の助言を政権に求められて参与に就任した。菅直人首相は小佐古氏ら計6人の原子力専門家らを次々に内閣官房参与に任命した。

gooインターネットニュースより抜粋引用

「小沢氏側に裏金1億円払った」 水谷建設元社長証言

2011年04月27日 | インターネットニュース
「小沢氏側に裏金1億円払った」 水谷建設元社長証言
2011.4.27 11:25
 小沢一郎民主党元代表(68)の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた衆院議員、石川知裕被告(37)ら元秘書3人の第10回公判が27日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で開かれ、中堅ゼネコン「水谷建設」の川村尚・元社長(53)が証人として出廷。石川被告らに手渡したとされる小沢事務所への裏金計1億円について「衆院議員会館の小沢先生の部屋で大久保隆規被告(49)から要求された。その後、お支払いした」などと証言、裏金の提供を明言した。

 小沢元代表側への裏金提供を当事者が公の場で言及したのは初めて。

 検察側の質問に、川村元社長は小沢事務所に営業活動を行った理由を「小沢先生の地元のダム。力が強い小沢事務所に反対されると工事に参入できないと聞いていたため」と証言した。

 平成15年の社長就任以降、受注したい具体的工事名2つを挙げて大久保被告にあいさつや料亭接待を続けたところ、16年9月になって「それぞれの工事業者決定後に5千万円ずつ」と要求され、「同年10月15日と17年4月中旬ごろに支払った」と語った。

 15年末には大久保被告の自宅で、お歳暮として現金100万円と高級牛肉を渡したとも明かした。

詳しくは、下記URLサイトで
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/trl11042711260003-n1.htm

インターネットニュースより抜粋引用

福島原発、50代女性社員が被曝限度3倍超 ほか2人も恐れ

2011年04月27日 | インターネットニュース
福島原発、50代女性社員が被曝限度3倍超 ほか2人も恐れ
2011.4.27 13:18

記者会見する東京電力の担当者=27日午後、東京・内幸町の東京電力本店
 東京電力は27日、福島第1原発で働いていた50代の女性社員1人が、3月11日の東日本大震災発生後に17.55ミリシーベルトの放射線量を被ばくしたと発表した。女性の放射線業務従事者について国が定めた被ばく線量限度「3カ月で5ミリシーベルト」の3倍以上となっている。

 女性は医師の診察で健康に影響がないことが確認されたという。福島第1原発には女性社員がほかに18人おり、このうち2人は同様に限度を超えた恐れがあるとみて東電は詳しく調べている。東電は、3月23日に同原発構内から女性社員を退避させ、それ以降は作業させていない。

 経済産業省原子力安全・保安院は27日の事故対策統合本部の席上、東電に原因究明と是正策を求めた。東電福島支店は同日の記者会見で「管理を厳密に行わなければならなかった。認識が甘かった」とした。

 東電によると、女性は屋外での消防ポンプ車への給油業務や、免震重要棟内での作業に従事。これらの作業による外部被ばくは計3.95ミリシーベルトだった。ほかに13.6ミリシーベルトの内部被ばくがあった。

詳細は下記URLサイトで
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/dst11042711440006-n1.htm

インターネットニュースより抜粋引用

Internet Explorer 9 製品版公開

2011年04月27日 | WINDOWS
本来なら2011.03.17日に全世界同時に公開される筈だったが3/11日の東日本大震災の影響で日本版だけ
延期になっていましたが昨日4/26日から日本版も公開されダウンロード出来るようになりました。

マイクロソフト日本法人よりInternet Explorer 9製品版日本語版が
ダウンロード可能の正式アナウンスがありました。

下記サイトからダウンロードできます。32bit
http://www.microsoft.com/downloads/details.aspx?FamilyID=46110ac1-d77f-4492-b887-c30977865d8c&displayLang=ja

下記サイトからダウンロードできます。64bit版
http://www.microsoft.com/downloads/details.aspx?FamilyID=87a37c57-7e6b-440d-948f-7660a4ebabe1&displayLang=ja

allバージョンは下記サイトからダウンロードできます

http://windows.microsoft.com/ja-JP/internet-explorer/downloads/ie-9/worldwide-languages

2011.04.27 09:35
byろくすけ

「年間被曝量の10倍でも安全」という政府は国民切り捨てだ

2011年04月27日 | 週刊誌立ち読み

「年間被曝量の10倍でも安全」という政府は国民切り捨てだ

2011.04.26 16:00

 原発事故が長引く中で、政府は、「被曝限度量を引き上げる」と言い出した。

 1つは原発作業員で、すでに100ミリシーベルトを超えた者が30名近くいるのに、さらに限度引き上げを検討しているのだ。

 100ミリでも、がん死亡率が0.5%上がるというのが医学の定説であり、「東電と関連会社の職員はがんになってもいい」といわんばかりの対応は、国民切り捨て政治だ。

 本人たちは責任感から困難な作業をしているが、その犠牲に国民が“タダ乗り”するだけでいいのか。作業員たちの親や妻子が、どんな思いで日々の報道を見ているか、政治家も国民も想像すべきだ。

 もう1つは一般市民の限度量で、政府は年間20ミリシーベルト以下は居住できることにしようという。

 確かにこれは国際放射線防護委員会の提言に基づいた案だが、日本人が環境から受ける被曝量が年平均1.5ミリシーベルトであるのに、その10倍以上の量を「安全だから住め」というのは、これも国民切り捨てだ。

 子供や妊婦が本当に安心して暮らせるかは、科学だけでなく心の安寧の問題として、まさに政治決断が必要ではないのか。特に子供たちに対しては、現在の科学的常識より幅をもった安全思想があってよい。

※週刊ポスト2011年5月6日・13日号

newsポストセブンより抜粋引用

Internet Explorer 9 のダウンロード(日本語製品版)

2011年04月27日 | WINDOWS
2011.03.11の東日本大震災の影響でIE9日本語版だけがダウンロード出来ませんでしたが本日
ろくすけがマイクロソフトダウンロードセンターにアクセスして確認しましたらダウンロード出来るよう
に成っていましたので早速ダウンロードして使って見ました。
元々IE9ペーター版を今年初めから使っていましたのでベーター版に上書きしました。
最初は戸惑いましたが新機能満載で現在快適に使っております。

現在マイクロソフト日本法人から正式のアナウンスがない様ですが実際は下記サイトから言語を選んでから
OSを指定してダウンロード可能です

http://windows.microsoft.com/ja-JP/internet-explorer/downloads/ie-9/worldwide-languages

左窓コントロールパネルやや下方のブックマークにIE9ダウンロードセンター登録してあります。

2011.04.27 01:40
byろくすけ

石原都知事 会談にカメラを連れてきた蓮舫大臣を激しく非難

2011年04月26日 | 週刊誌立ち読み

石原都知事 会談にカメラを連れてきた蓮舫大臣を激しく非難

2011.04.21 07:00

東京電力管内の電力不足が見込まれる夏に、「自販機はなくても生きていける」と節電強化の持論をぶち上げた石原慎太郎・東京都知事(78)。これに対して、「石原都知事がどういう思いでいったかはわからないが、節電と経済効果への支障を最小限に抑える知恵は、同時進行で取り組むべきだ」と異論を唱えた蓮舫・節電啓発担当大臣(43)。

ふたりの対立の第1ラウンドとなったのは、蓮舫大臣が節電要請のために石原都知事の元を訪れた3月14日。後に石原都知事は、この会談について、

「蓮舫なる人物がやってきて、握手してテレビ映って帰っていったけど、そんなものはスタンドプレーでしかない」

と、わざわざテレビクルーを連れてやってきた蓮舫大臣を激しく非難したのだった。石原都知事がここまでいうのには理由があった。某政治部記者がこう話す。

「この会談のときに石原都知事は、節電について蓮舫大臣に、“都が条例でできることは限りがある。政府が強制力のある政令を出すべきだ”と提言しました。その後も何度も政令を出すことを呼びかけてきたんですが、まったく聞く耳を持たない蓮舫大臣の姿勢に我慢ならなかったんでしょうね」

実生活にもかかわってくるだけに、一般の人たちも、ふたりの意見について賛否両論あるはず。そこで、女性セブンは女性読者100人にこの自販機を巡る論争で、<どっちの言い分を支持するか?>の緊急アンケートを行った。

結果は、「蓮舫派」が27人、「石原派」が41人、「どちらでもない」が32人と石原都知事を支持する人々が多かった。

※女性セブン2011年5月5日号

newsポストセブンより抜粋引用

震災後緊急停車新幹線で「降ろせ」と恫喝した朝日新聞御一行

2011年04月26日 | 週刊誌立ち読み

震災後緊急停車新幹線で「降ろせ」と恫喝した朝日新聞御一行

2011.04.26 16:00

 醜態を晒したのがこれまで舌鋒鋭く不正を糺してきた大新聞社の社員、それも3月11日だったというから、余計にばつが悪い。
 
 朝日新聞関係者が苦虫を噛み潰したような顔でいう。

「先日、お客様オフィスに読者の方から朝日社員に関する抗議が寄せられたんです。その方がいうには震災当日、地震で緊急停車、カンヅメ状態にあった新幹線でうちの社員と見られる5、6名が酒盛りしていた。挙げ句の果てに『早く降ろせ』って車掌に恫喝したと」

 まさか――当初は一蹴した会社側も、当日の勤務状況を確認するや唖然とした。

「読者が指摘する、“東北新幹線はやて”のグリーン車には同社販売局社員たちが複数乗っていた。浅虫温泉(青森)への慰安旅行中だったというのです」(同)

 以下は読者の抗議や、JR関係者への取材をもとに再現した“事件”の様子だ。

 正午頃。東京を発車した「はやて」グリーン車の後部にひときわ賑やかな一団が陣取る。団体はすぐに酒瓶を開け、騒ぎ始めた。

「朝日も読売のやり方を真似てみるか」「それ、押し紙やるってことかい(笑い)」と言葉の端々に業界人であることを臭わせていた。

 14時46分。地震で新幹線が八戸(青森県)手前のトンネル内で緊急停車する。停電で車内は暗闇に包まれた。車掌は客席を巡回しながら「大丈夫ですか」と、冷静な対応を呼びかける。

 しかし、団体内で「部長」と呼ばれていた中年の男(新聞販売所経営者団体の幹部)が喚きはじめた。

「はやく外に避難させろ」

 車掌は「今は車両内にいるのが一番安全です」と宥めたが部長は相手にしない。

「2時間半もあればトンネルから歩いて出られるぞ」

 部長が毒突くたび車掌の声が滞り、乗客は不安を募らせる。さらに暴言は続く。

「とにかく降ろせ。俺のいうことを聞けないならうちの社長、アキヤマコウタロウの名前で抗議するぞ」

 秋山耿太郎といえば、朝日新聞社の社長だ。この時点で、団体が朝日新聞社員ということが周囲にはっきり露見した。だが、他の人間も部長の暴言を諫めようという素振りを見せない。

 ちょうどJR女子職員が、「子供さんはいらっしゃいませんか」と、客室を歩いていた。すると、団体の一人が頓狂な声を上げる。

「子供ならここにいるよ」
 
 振り向いた彼女に団体はどっと笑った。20時頃。車掌がアナウンスした「朝までこの場所で待機」という処置に対して、またも部長が憤った。今度は車掌室に出向いての激昂。

「なぜ明日まで待つんだ。何なら俺が先導するぞ」

 22時頃。車両からの脱出に観念した団体は再度アルコールを飲みだす。今度は女子社員の名前を出して「あの子は胸が大きい」「俺に気があるんじゃないか」

 乗客が寝入る23時過ぎまで酔狂は続いたという。翌日8時頃。JR職員の手引きで、乗客は線路を歩き、トンネル外に脱出した。団体は緊急バスで八戸駅に。そして前夜の傍若無人ぶりを詫びることなく、タクシーで浅虫温泉方面に消えていった。

「調査の結果、部長と称する人間は新聞販売所経営者団体の幹部で他はやはり販売局の社員だったようです。うちは事実確認をした上で、抗議をお寄せになった読者に非礼をお詫びしました。でも、その方からは『俺に詫びてどうする。緊急時なのに冷静に対処してくれたJRの職員に謝罪しろ』と返されたと。当然でしょう」(朝日新聞関係者)

 この騒動について朝日新聞広報部に問い合わせると、「当該社員を厳重に注意しました。新聞販売所経営者団体幹部らに対しても注意を促し、JR東日本に謝罪しました。なお、弊社社員が“社長名を用いて車掌を恫喝した”という事実はありません」との回答が寄せられた。

※週刊ポスト2011年5月6日・13日号

newsポストセブンより抜粋引用

田中好子さん夫「一気に悪くなった。悔しいと思ってるはず」

2011年04月26日 | 週刊誌立ち読み

田中好子さん夫「一気に悪くなった。悔しいと思ってるはず」

2011.04.26 07:00

 キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが、乳がんのため55歳で逝った。彼女が亡くなった4月21日の夜、故・夏目雅子の兄で夫の小達一雄さんは、闘病と最期のときをこう語った。

「平成4年(1992年)に、左の胸の乳がんがわかりました。早期発見だったため、腫瘍をとって、定期検診をしていましたが、転移はなかった。ところが、昨年10月に十二指腸潰瘍で入院した後、体力がなかなか回復せず、今年の2月にまた入院。乳がんが再発し、肺とか肝臓、その他の臓器に転移していることがわかりました。

 そのことは本人にも知らされ、頑張って闘っていた。妹(故・夏目雅子)もがんで亡くなっていますが、がんは早期に治療すれば、助かる病気で、怖い病気ではないと妻も知っていた。
 
 だけど、多臓器不全がわかってから一気に悪くなったんです。本人は悔しいと思っていると思う。今朝、『おはよう』と病室を訪ねた時は、もう反応がありませんでした。最後は静かに息を引き取りました」

newsポストセブンより抜粋引用

東北新幹線東京―仙台再開

2011年04月26日 | インターネットニュース
東北新幹線東京―仙台再開 復興へ期待広がる










JR仙台駅の新幹線ホーム。震災後初めて、乗客の姿が戻った=25日午前8時30分ごろ



 東北新幹線福島―仙台間が再開した25日、1カ月半ぶりに東京―仙台間が新幹線で直結した。震災で被害を受けた仙台駅の新幹線ホームも復旧し、乗客の姿が戻った。首都圏と結ぶ大動脈の復活に地元では震災復興への期待感も広がった。

 仙台駅の新幹線ホームには、朝から列車を待つ人の列ができた。静岡県に出張する名取市の会社員山本輝幸さん(32)は「運転再開が早まって新幹線を使える」と喜んだ。福島まで通勤する仙台市宮城野区の地方公務員山崎麻知子さん(30)は「不便だった生活が元に戻りつつある感じ」と、上り列車に乗り込んだ。下りの一番列車の乗車率は始発の東京駅で40%。出張で仙台を訪れた東京都港区の会社員関洋二郎さん(26)は「震災後は夜行バスで仙台まで2往復した。これからは日帰りできる」と再開を歓迎した。
 この日、上りの一番列車をホームから見送ったJR東日本の里見雅行仙台支社長は「震災後、仙台駅にとって一番うれしい日だ」と語った。
 東北新幹線は昨年12月4日に東京―新青森間が全線開業、3月5日に新型車両「はやぶさ」が投入された。交流人口の増加など経済効果への期待が膨らむ中、同11日の震災で出はなをくじかれただけに、地元経済界も再開を歓迎した。仙台商工会議所の間庭洋専務理事は「待望の再開だ。復興の原動力はヒト。ヒトが動けばモノ、カネも動く。経済的に大いにプラスで復興に弾みがつく」と全線復旧に期待した。

◎運休や遅れ/1万3000人に影響

 東北新幹線は25日、新白河―白石蔵王間で午後1時半ごろから断続的に停電が発生し、東京―仙台間で運転を停止。午後6時10分に運転を再開したが、運休や遅れが相次いだ。
 区間運休を含め上下線計21本が運休し、22本が最大3時間36分遅れ、約1万3000人に影響が出た。同区間では点検作業で、再開後の午後7時20分すぎにも約30分間、運転を一時休止した。
 JR東日本によると、福島駅北側で架線の一種の保護線がたるみ、通常の架線と接触し、ショートしたとみられる。震災で切れ、補修した箇所だったという。保護線は過電流などが流れた場合に逃がす役目がある。
 仙台駅では、駅員に事情説明を求める乗客の姿が見られた。横浜市の自宅に戻るという主婦野村貴子さん(48)は「飼い犬と一緒なので、車内に持ち込める新幹線で帰るしかない」と、うんざりした表情。大宮に出張する仙台市若林区の会社員吉田幸弘さん(31)は「再開初日なのでトラブルは仕方ない」と話した。


2011年04月26日火曜日

インターネットニュースより抜粋引用


スーちゃん、別れ告げる録音「天国で役立つことが務め」

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
スーちゃん、別れ告げる録音「天国で役立つことが務め」
2011年4月26日(火)00:14
 元キャンディーズの「スーちゃん」、田中好子さんの葬儀が営まれた東京都港区の青山葬儀所で25日、田中さんの「幸せな、幸せな人生でした」「もっともっと女優を続けたかった」などという声が流れ、集まった約2100人のファンや関係者の涙を誘った。

 3月29日に録音し、夫の小達一雄さんに託していたもの。最後にあいさつに立った一雄さんが、田中さんの女優としての「第2章」の始まりを告げると、田中さんの声が普段よりゆっくりした口調で響き、場内は驚きに包まれた。

 元キャンディーズの「スーちゃん」、田中好子さんの葬儀が営まれた東京都港区の青山葬儀所で25日、田中さんの「幸せな、幸せな人生でした」「もっともっと女優を続けたかった」などという声が流れ、集まった約2100人のファンや関係者の涙を誘った。

ランさん、ミキさん大好きでした 田中好子さん録音全文
 3月29日に録音し、夫の小達一雄さんに託していたもの。最後にあいさつに立った一雄さんが、田中さんの女優としての「第2章」の始まりを告げると、田中さんの声が普段よりゆっくりした口調で響き、場内は驚きに包まれた。

 死を覚悟していた田中さんは、東日本大震災の犠牲者を悼み、「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています」と語った。

 葬儀の始まった午前11時には晴れていた空が、別れの時が近づくにつれてにわかに曇り出し、激しい雨がさっと降った。田中さんの声が流れる頃にはまた青空に戻っていた。

 出棺を告げるクラクションが鳴り終わった時、通夜と葬儀を通じて1曲も流れなかったキャンディーズの曲が突然、大音量でかかった。明るいテンポのデビュー曲「あなたに夢中」。熟年になった男性ファンらが彼女のイメージカラーである青色の紙テープを一斉に投げ、声を震わせながら「スーちゃん」と叫んで最後の見送りをした。(石飛徳樹、大室一也)

ランさん、ミキさん大好きでした 田中好子さん録音全文2011年4月25日19時55分


 田中好子さんのメッセージ全文

 こんにちは。田中好子です。

 今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

 私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。

 今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。

 特に、ランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。

 映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。

 お礼の言葉を、いつまでも、いつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。

 いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さった皆さまに、社会に、少しでも恩返しが出来るように復活したいと思ってます。カズさん、よろしくね。その日まで、さようなら。

gooインターネットニュースより抜粋引用


蘭さん・美樹さんに小達さん感謝

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
蘭さん・美樹さんに小達さん感謝


 
田中好子さんの通夜の会場に入る、伊藤蘭さん(左)と藤村(現・尾身)美樹さん=24日午後、東京都港区の青山葬儀所(代表撮影)

夫の小達一雄さん「幸せだったと思います」

 21日に乳がんのため亡くなったアイドルグループ、キャンディーズの元メンバーで女優、田中好子さん(享年55)の通夜が24日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。

 通夜の冒頭、喪主で夫の小達一雄さん(56)が遺影を前にあいさつ。参列した元キャンディーズの2人について、「最愛の友人とめぐり逢って、幸せだったと思います」と感謝し、「55年は決して長い時間ではなかったかも知れませんが、キャンディーズ時代、女優時代と充実した時間を過ごせたと思います」と偲んだ。

 小達さんは「故人の最後の望みは女優として復帰して、お世話になった方々に恩返しすることでした」と明かし、「人生の第1章は幕を下ろしましたが、第2章を再び、なんとかスタートさせたい。その日が来るのを願っています」と天国の田中さんに呼びかけた


夫の小達一雄さん「幸せだったと思います」

 21日に乳がんのため亡くなったアイドルグループ、キャンディーズの元メンバーで女優、田中好子さん(享年55)の通夜が24日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。

 通夜の冒頭、喪主で夫の小達一雄さん(56)が遺影を前にあいさつ。参列した元キャンディーズの2人について、「最愛の友人とめぐり逢って、幸せだったと思います」と感謝し、「55年は決して長い時間ではなかったかも知れませんが、キャンディーズ時代、女優時代と充実した時間を過ごせたと思います」と偲んだ。

 小達さんは「故人の最後の望みは女優として復帰して、お世話になった方々に恩返しすることでした」と明かし、「人生の第1章は幕を下ろしましたが、第2章を再び、なんとかスタートさせたい。その日が来るのを願っています」と天国の田中さんに呼びかけた。

gooインターネットニュースより抜粋引用

「私たち永遠にキャンディーズ」美樹・蘭さんが弔辞

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
「私たち永遠にキャンディーズ」美樹・蘭さんが弔辞



 元キャンディーズのメンバーで、乳がんのため21日に55歳で亡くなった俳優の田中好子さんの葬儀が25日午前11時から、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。芸能界関係者、大勢のファンが参列し、田中さんとの別れを惜しんだ。

 キャンディーズのメンバーだった藤村美樹さんと伊藤蘭さんが弔辞を読んだ。藤村さんは「本当にキャンディーズは楽しかった。本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。私たちは永遠にキャンディーズだからね」、伊藤さんは「私たちはみんな、大好きなあなたの笑顔を、最後まで病気と闘い立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません」と述べた。

gooインターネットニュースより抜粋引用

田中好子さんの最期 蘭さん・美樹さんみとる

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
田中好子さんの最期 蘭さん・美樹さんみとる







田中好子さんの通夜で遺影を前に親族にあいさつする藤村美樹さん(左)と伊藤蘭さん=24日夜、東京都港区、代表撮影

田中好子さんの通夜から出て、報道陣の質問に答える伊藤蘭さん=24日夜、東京都港区、西畑志朗撮影
 元キャンディーズのメンバーで、21日に乳がんで55歳で亡くなった俳優の田中好子さんの通夜が24日夜、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。キャンディーズで仲間だった伊藤蘭さんや藤村美樹さんをはじめ多くの芸能関係者やファンら計約2千人が訪れ、故人の冥福を祈った。

 伊藤さんは焼香の後、報道陣のインタビューに答えた。3年前に田中さんからがんで治療中であることを知らされ、今月21日に危篤になった際、藤村さんと病院に駆けつけ、家族とともに最期をみとったという。

 「一番年下で甘えん坊だったんですが、いつのまにか強くて頼もしい大人の女性になっていた」と振り返り、「あともう1回3人で集まりたかった。ずっとそばで一緒に年を重ねたかった」と声をつまらせた。

 また、2001年のNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で田中さんの娘役として共演した俳優の国仲涼子さんは、田中さんががんとは知らず、体調を崩したと聞いて16日にお見舞いに行ったのが最後になった。「笑顔でかわいい声で、(娘役の名前で)『えりぃ』と呼んでくれた姿が印象的だった」と当時の思い出を語った。

 会場には熱狂的なファンも弔問に訪れた。

 川崎市の会社員・永井由文さん(55)は78年の「さよならコンサート」、08年に都内であった解散30周年記念イベントも見に行き、この日は袖に「好子」と書いたパーカやリストバンドを身につけて訪れた。

 「スーちゃんは明るいところが魅力だった。コントに出ても真剣だった。還暦になったメンバー3人がもう一度そろう姿を見たかった」と残念がった。

gooインターネットニュースより抜粋引用



ランちゃん憔悴…絶句 田中好子さん死去

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
ランちゃん憔悴…絶句 田中好子さん死去



 親友の突然の訃報に、キャンディーズのランちゃんこと、女優の伊藤蘭(56)は言葉を失った。


 伊藤が所属するエイベックスによると、関係者から田中さんの悲報を伝え聞いた伊藤は、大変なショックを受けており「憔悴しきっています。現時点でコメントできる状況ではありません」という。

 1972年のキャンディーズ結成以来、40年近く人生をともにした仲。78年に解散してからも、ミキこと藤村美樹さん(55)は結婚して芸能界を引退したが、伊藤は田中さんとともに女優に転身。同じ道を歩んできた。

 そんな伊藤にとって、田中さんは良きライバルであり、理解者であり、芸能界で一番の心の支えだったに違いない。

 解散後も、一般人として生活している藤村さんを交えて定期的に会い、近況を報告し合ってきた。伊藤は、藤村さんと連れだって、先日、病床の田中さんを見舞ったというが、これが最後の別れになってしまった。

gooインターネットニュースより抜粋引用