ろくすけの雑記帳goo

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世界一の女!沢、メッシと歴史的バロンドール

2012年01月12日 | サッカー
世界一の女!沢、メッシと歴史的バロンドール
2012年1月11日(水)08:00
 【チューリヒ(スイス)10日】国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀賞表彰式が9日、当地で行われ、日本女子代表「なでしこジャパン」のMF沢穂希(33)=INAC神戸=が女子最優秀選手賞に輝いた。アジア人として男女を通じ初の快挙。昨年7月のドイツW杯で日本を初優勝に導き、自身は得点王とMVP。東日本大震災で大打撃を被った日本に勇気を与えた大黒柱は、今年7月のロンドン五輪金も宣言。11日に帰国し都内で“凱旋(がいせん)会見”する。 

 夢にまでみた瞬間が現実になった途端、沢は戸惑った。女子世界最優秀選手の発表で「ホマレ・サワ」とコールされても表情が崩れない。左隣の米国代表FWアビー・ワンバック(31)が「おめでとう」と抱きついて栄誉をたたえ、右隣にいた5年連続受賞のブラジル代表FWマルタ(25)は、悔しそうに唇をかんだ。スピーチのひな壇に向かう沢は、堅い表情のまま口をすぼめる。淡い水色の振り袖姿で、渡された黄金色のトロフィーをそっとテーブルに置いた。

 「このような名誉ある賞をいただき、大変うれしく思う。女子サッカーにかかわってくれたすべての人のおかげです。この賞を糧に、日々精進していきたい」

 01年に始まった女子の年間最優秀賞に輝いたのは元米国代表FWミア・ハム、元ドイツ代表FWビルギット・プリンツとマルタのみ。女子では世界4人目の栄誉、アジアでは初の快挙だ。昨年7月のW杯で得点王&MVP、日本の主将として初優勝に導いた実績は申し分なく、受賞は本命視されていた。得票率で2位・マルタの17・28%を大きく上回る28・51%。堂々の受賞にも、本人には興奮と戸惑いが交錯していた。

 「(壇上では)走った後ぐらい心臓がばくばくして、汗もすごくかいていた。どう落ち着かせようかと…」。世界最高の栄誉は、試合で見せる頼りがいのある姿勢を一変させてしまった。

 15歳で代表入りしてから18年。「本当にいろんな重みが入ったトロフィーでした」。W杯優勝で一気になでしこブームに火がつき、今月1日の全日本選手権決勝(国立)でも、沢が所属するINAC神戸と新潟の一戦は観衆が2万人を超えた。1年半前の同カードの観衆は100分の1。代表の中にも練習の合間に仕事に従事する選手がいる。酸いも甘いも知るだけに、喜びにひたるのは一瞬だ。黄金色のトロフィーを抱え男子のバロンドール、バルセロナのメッシと握手をしながらも、視線は7月のロンドン五輪に向いている。

 「一番いい色のメダルを獲りたい」

 サッカー界には、バロンドールを獲得した選手は、その年の世界大会に勝てないというジンクスがある。目指すのは、そんな“バロンドールの呪い”のジンクス打破。世界NO・1の地位獲得から一夜明けた10日朝、宿舎近くをランニング。佐々木則夫監督(53)らとともに帰国の途についた。11日に凱旋帰国。有言実行のロンドン五輪金メダルへ、走り続ける。


インターネットニュースより引用抜粋

世界一の女!沢、メッシと歴史的バロンドール

2012年01月11日 | サッカー
世界一の女!沢、メッシと歴史的バロンドール
2012年1月11日(水)08:00





 【チューリヒ(スイス)10日】国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀賞表彰式が9日、当地で行われ、日本女子代表「なでしこジャパン」のMF沢穂希(33)=INAC神戸=が女子最優秀選手賞に輝いた。アジア人として男女を通じ初の快挙。昨年7月のドイツW杯で日本を初優勝に導き、自身は得点王とMVP。東日本大震災で大打撃を被った日本に勇気を与えた大黒柱は、今年7月のロンドン五輪金も宣言。11日に帰国し都内で“凱旋(がいせん)会見”する。 

 夢にまでみた瞬間が現実になった途端、沢は戸惑った。女子世界最優秀選手の発表で「ホマレ・サワ」とコールされても表情が崩れない。左隣の米国代表FWアビー・ワンバック(31)が「おめでとう」と抱きついて栄誉をたたえ、右隣にいた5年連続受賞のブラジル代表FWマルタ(25)は、悔しそうに唇をかんだ。スピーチのひな壇に向かう沢は、堅い表情のまま口をすぼめる。淡い水色の振り袖姿で、渡された黄金色のトロフィーをそっとテーブルに置いた。

 「このような名誉ある賞をいただき、大変うれしく思う。女子サッカーにかかわってくれたすべての人のおかげです。この賞を糧に、日々精進していきたい」

 01年に始まった女子の年間最優秀賞に輝いたのは元米国代表FWミア・ハム、元ドイツ代表FWビルギット・プリンツとマルタのみ。女子では世界4人目の栄誉、アジアでは初の快挙だ。昨年7月のW杯で得点王&MVP、日本の主将として初優勝に導いた実績は申し分なく、受賞は本命視されていた。得票率で2位・マルタの17・28%を大きく上回る28・51%。堂々の受賞にも、本人には興奮と戸惑いが交錯していた。

 「(壇上では)走った後ぐらい心臓がばくばくして、汗もすごくかいていた。どう落ち着かせようかと…」。世界最高の栄誉は、試合で見せる頼りがいのある姿勢を一変させてしまった。

 15歳で代表入りしてから18年。「本当にいろんな重みが入ったトロフィーでした」。W杯優勝で一気になでしこブームに火がつき、今月1日の全日本選手権決勝(国立)でも、沢が所属するINAC神戸と新潟の一戦は観衆が2万人を超えた。1年半前の同カードの観衆は100分の1。代表の中にも練習の合間に仕事に従事する選手がいる。酸いも甘いも知るだけに、喜びにひたるのは一瞬だ。黄金色のトロフィーを抱え男子のバロンドール、バルセロナのメッシと握手をしながらも、視線は7月のロンドン五輪に向いている。

 「一番いい色のメダルを獲りたい」

 サッカー界には、バロンドールを獲得した選手は、その年の世界大会に勝てないというジンクスがある。目指すのは、そんな“バロンドールの呪い”のジンクス打破。世界NO・1の地位獲得から一夜明けた10日朝、宿舎近くをランニング。佐々木則夫監督(53)らとともに帰国の途についた。11日に凱旋帰国。有言実行のロンドン五輪金メダルへ、走り続ける。


インターネットニュースより引用抜粋

佐々木監督、万感…女子最優秀監督賞

2012年01月11日 | サッカー
佐々木監督、万感…女子最優秀監督賞
2012年1月11日(水)08:00



 【チューリヒ(スイス)9日】日本女子代表(なでしこジャパン)の佐々木則夫監督(53)は、女子チームの最優秀監督に選出された。男女を通じてアジア勢初の快挙を、男子チーム最優秀監督となったスペインリーグ・バルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督(40)ら世界的名将も絶賛した。日本はフェアプレー賞も受賞し“3冠”を達成した。男子の世界最優秀選手には、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(24)=バルセロナ=が3年連続で輝いた。

 日本女子サッカー、いや日本という国が持つ力を世界が認めた瞬間だった。アジア初となる女子チームの世界最優秀監督選出が告げられると、タキシード姿の佐々木監督は、目を若干潤ませ、壇上でのスピーチに熱い思いを込めた。

 「われわれなでしこジャパンは、W杯で多くの日本のみなさんに感動、元気、勇気を与えることができました。すべてのみなさん、妻、家族に深く感謝いたします。ありがとうございました」

 夫人の淳子さん(53)、長女・千尋さん(26)を伴って出席した表彰式。用意していた山形弁での挨拶は「一番最初で緊張して」すっかり忘れてしまったが、「日本にもう1度、パワーとか、絆とか未来とか、そういうものがわれわれの賞にはあったのではないか」と同時受賞したフェアプレー賞との“3冠”に胸を張った。

 女子では異色のパスサッカーでW杯を制覇。献身性、運動量、足下の技術を全面に押し出し、旋風を起こした。そんな革新的なプレーに、男子の最優秀監督候補として出席したグアルディオラ監督、ファーガソン監督(マンチェスターU)からも「女子もすごく質の高いサッカーをやれるんだと感銘を受けた」などと直接、賛辞を受けた。

 男子部門で受賞したグアルディオラ監督の41・92%を上回る45・57%の得票率にも、世界の驚きが表れている。FIFAのブラッター会長も「日本が世界の女子サッカーの地位を確立した」と最敬礼した。

 千尋さん妊娠中に脳炎を患った妻の看病で、2年近くサッカーから離れたこともある。しかし、妻の「やめないで」との思いで復帰し、つかんだ栄冠だった。「2人(妻と娘)の美女に率いられて会場に来ました。家族にも感謝しています」。愛妻に選んでもらった蝶ネクタイを右手で触り、満面の笑みを浮かべた。

 「金が信念(謹賀新年)なので、僕が率いたなでしこジャパンの完成形をロンドンで見せ、日本のみなさんにさらに元気を与えたい」。得意のダジャレで締めた佐々木監督。被災地への思い、家族への感謝…大きな原動力を胸に、ロンドン五輪での集大成を誓った。

インターネットニュースより引用抜粋



なでしこ・沢、誉れ高き勲章 サッカー・FIFA年間表彰

2012年01月11日 | サッカー
.ニュース >スポーツ >記事なでしこ・沢、誉れ高き勲章 サッカー・FIFA年間表彰
2012年1月11日(水)08:00
































 なでしこジャパンのW杯制覇とロンドン五輪出場に貢献し、W杯で最優秀選手と得点王に輝いたのに続く女子最優秀選手の受賞に、沢は「びっくりしているし、うれしい」とほほ笑んだ。

 欧州中心に回りがちなサッカー界に、なでしこの大黒柱が世界最高選手であると認めさせた。6年連続受賞を狙ったマルタとワンバック(米国)とのノミネートだったが、代表の望月コーチは「みんなを引っ張る力、自身の取り組む姿勢、受賞はおかしくない。それに値するプレーヤーだし、人間だと思う」とたたえる。

 15歳で代表デビューしてから18年。苦しい時代もあった。2000年のシドニー五輪出場を逃したことも影響し、女子サッカーの人気は低迷した。「女子サッカーを支えてくれた人、先輩たちの重みが詰まっている」の言葉は、逆境を乗り越えた関係者すべてへの感謝の念だった。

 念願する競技普及への起爆剤にもなりそうだ。「日本の選手でも世界最優秀選手になれるという夢を、子供たちに与えられたことに意味があると思う」。本人が位置づけるように、女子サッカーの盛り上がりに与える影響は大きいだろう。

 「夢は見るものではなく、かなえるもの」と自身に言い聞かせながら、数々の栄光をつかんできた。名実ともに世界最高の選手となった33歳。今度は7月に開幕するロンドン五輪で、まだ手にしたことがない五輪のメダルに挑戦する。(奥山次郎)


インターネットニュースより引用抜粋



沢バロンドール「W杯時のように夢の中」

2012年01月11日 | サッカー
沢バロンドール「W杯時のように夢の中」
2012年1月11日(水)07:49

(日刊スポーツ)
 なでしこジャパン主将のMF沢穂希(33=INAC神戸)が9日(日本時間10日未明)、スイス・チューリヒで行われたFIFA(国際サッカー連盟)年間表彰式に出席し、年間女子最優秀賞を受賞した。佐々木則夫監督(53)も年間女子最優秀監督賞を受賞で、いずれもアジア勢初。昨年の女子W杯ドイツ大会優勝などの功績が評価された日本人ダブル受賞は、日本の女子サッカーが名実ともに世界に認められた1日となった。

 沢らしく、そして“なでしこ”らしい言葉だった。壇上から「このような名誉ある賞をいただき大変うれしく思う。会長、監督、コーチ、チームメート、家族、友人、今まで女子サッカーに関わってくれたすべての方々のおかげだと思います」と、仲間への感謝の気持ちをあいさつに込めた。

 「ホマレ、サワ」。大歓声の中、1人だけ現実を受け止めきれなかった。「名前が呼ばれた時は頭が真っ白でした」と振り返るように、あでやかな水色を基調とした振り袖姿の華麗さとは正反対に表情は硬いまま。隣に座る米国代表FWワンバックから祝福の声がかけられ、ようやく少しだけ笑顔が出た。

 壇上に上がると緊張は最高潮。トロフィーを左手に抱え、FIFAブラッター会長と握手。アルゼンチン代表のFWメッシ(バルセロナ)と名実ともに肩を並べても最後まで表情が緩むことはなかったが、式典後には笑顔がはじけた。

 沢 W杯の時のように夢の中にいるような感じ。世界に認められたということは自分だけでなく、日本女子サッカー界にとっても意味のあること。子どもたちが目標を持つ夢を与えられたという点でも重みのある賞だと思う。

 昨年11月にはAFC(アジア・サッカー連盟)年間最優秀選手賞で3度目の受賞が有力視されていたが、体調不良で欠席。なでしこジャパンの同僚でW杯、ロンドン五輪アジア最終予選で全試合出場して活躍を続けていたMF宮間(岡山湯郷)が初受賞した。だが、沢には喜びもあった。「W杯だけをみれば得点王になってMVPもいただいたけれど、五輪予選は体も重くて納得したプレーができていない。チャンスがあるなら宮間や大野たちも評価してもらえたらうれしい」と話していた。今回の投票でも、沢は1位に宮間の名前を記している。

 女子は01年に新設された。プレーやチームへの貢献度だけでなく、ピッチ内外の人間性も評価の対象だといわれている。過去の3人は偉大な各国のエース。だが、大きすぎる名誉だけに、重圧となる可能性もある。男子の年間最優秀賞を受賞した年にはW杯で優勝できないという「バロンドールの呪い」が有名だが、女子も五輪の金メダルは手にしていない。

 沢 初めてアジア人が獲得して、女子サッカー界を変えたという気持ちはある。みんなは絶対できないと思っていたことが実現できた。今年は勝負の年。ロンドンで一番きれいな色のメダルがとれるようにチーム一丸として頑張りたい。

 女子W杯と五輪との連覇も過去1度もない。最高の名誉を得た世界の女神は、仲間とともにロンドンでも勝利の女神を振り向かせるため、一夜明けた10日朝、帰国便までの時間を惜しむように、早速ランニングで体を動かした。

 ◆沢穂希(さわ・ほまれ)1978年(昭53)9月6日、東京都府中市生まれ。中1の91年読売ベレーザ(現日テレ)入団。その後デンバー、アトランタ、ワシントン、日テレを経て11年1月からINAC神戸。15歳で日本代表デビュー。国際Aマッチ176試合出場、男女通じ最多80得点。11年W杯ドイツ大会では主将として優勝に導き得点王、MVP。164センチ、55キロ。



インターネットニュースより引用抜粋