ろくすけの雑記帳goo

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石原都知事 会談にカメラを連れてきた蓮舫大臣を激しく非難

2011年04月26日 | 週刊誌立ち読み

石原都知事 会談にカメラを連れてきた蓮舫大臣を激しく非難

2011.04.21 07:00

東京電力管内の電力不足が見込まれる夏に、「自販機はなくても生きていける」と節電強化の持論をぶち上げた石原慎太郎・東京都知事(78)。これに対して、「石原都知事がどういう思いでいったかはわからないが、節電と経済効果への支障を最小限に抑える知恵は、同時進行で取り組むべきだ」と異論を唱えた蓮舫・節電啓発担当大臣(43)。

ふたりの対立の第1ラウンドとなったのは、蓮舫大臣が節電要請のために石原都知事の元を訪れた3月14日。後に石原都知事は、この会談について、

「蓮舫なる人物がやってきて、握手してテレビ映って帰っていったけど、そんなものはスタンドプレーでしかない」

と、わざわざテレビクルーを連れてやってきた蓮舫大臣を激しく非難したのだった。石原都知事がここまでいうのには理由があった。某政治部記者がこう話す。

「この会談のときに石原都知事は、節電について蓮舫大臣に、“都が条例でできることは限りがある。政府が強制力のある政令を出すべきだ”と提言しました。その後も何度も政令を出すことを呼びかけてきたんですが、まったく聞く耳を持たない蓮舫大臣の姿勢に我慢ならなかったんでしょうね」

実生活にもかかわってくるだけに、一般の人たちも、ふたりの意見について賛否両論あるはず。そこで、女性セブンは女性読者100人にこの自販機を巡る論争で、<どっちの言い分を支持するか?>の緊急アンケートを行った。

結果は、「蓮舫派」が27人、「石原派」が41人、「どちらでもない」が32人と石原都知事を支持する人々が多かった。

※女性セブン2011年5月5日号

newsポストセブンより抜粋引用

震災後緊急停車新幹線で「降ろせ」と恫喝した朝日新聞御一行

2011年04月26日 | 週刊誌立ち読み

震災後緊急停車新幹線で「降ろせ」と恫喝した朝日新聞御一行

2011.04.26 16:00

 醜態を晒したのがこれまで舌鋒鋭く不正を糺してきた大新聞社の社員、それも3月11日だったというから、余計にばつが悪い。
 
 朝日新聞関係者が苦虫を噛み潰したような顔でいう。

「先日、お客様オフィスに読者の方から朝日社員に関する抗議が寄せられたんです。その方がいうには震災当日、地震で緊急停車、カンヅメ状態にあった新幹線でうちの社員と見られる5、6名が酒盛りしていた。挙げ句の果てに『早く降ろせ』って車掌に恫喝したと」

 まさか――当初は一蹴した会社側も、当日の勤務状況を確認するや唖然とした。

「読者が指摘する、“東北新幹線はやて”のグリーン車には同社販売局社員たちが複数乗っていた。浅虫温泉(青森)への慰安旅行中だったというのです」(同)

 以下は読者の抗議や、JR関係者への取材をもとに再現した“事件”の様子だ。

 正午頃。東京を発車した「はやて」グリーン車の後部にひときわ賑やかな一団が陣取る。団体はすぐに酒瓶を開け、騒ぎ始めた。

「朝日も読売のやり方を真似てみるか」「それ、押し紙やるってことかい(笑い)」と言葉の端々に業界人であることを臭わせていた。

 14時46分。地震で新幹線が八戸(青森県)手前のトンネル内で緊急停車する。停電で車内は暗闇に包まれた。車掌は客席を巡回しながら「大丈夫ですか」と、冷静な対応を呼びかける。

 しかし、団体内で「部長」と呼ばれていた中年の男(新聞販売所経営者団体の幹部)が喚きはじめた。

「はやく外に避難させろ」

 車掌は「今は車両内にいるのが一番安全です」と宥めたが部長は相手にしない。

「2時間半もあればトンネルから歩いて出られるぞ」

 部長が毒突くたび車掌の声が滞り、乗客は不安を募らせる。さらに暴言は続く。

「とにかく降ろせ。俺のいうことを聞けないならうちの社長、アキヤマコウタロウの名前で抗議するぞ」

 秋山耿太郎といえば、朝日新聞社の社長だ。この時点で、団体が朝日新聞社員ということが周囲にはっきり露見した。だが、他の人間も部長の暴言を諫めようという素振りを見せない。

 ちょうどJR女子職員が、「子供さんはいらっしゃいませんか」と、客室を歩いていた。すると、団体の一人が頓狂な声を上げる。

「子供ならここにいるよ」
 
 振り向いた彼女に団体はどっと笑った。20時頃。車掌がアナウンスした「朝までこの場所で待機」という処置に対して、またも部長が憤った。今度は車掌室に出向いての激昂。

「なぜ明日まで待つんだ。何なら俺が先導するぞ」

 22時頃。車両からの脱出に観念した団体は再度アルコールを飲みだす。今度は女子社員の名前を出して「あの子は胸が大きい」「俺に気があるんじゃないか」

 乗客が寝入る23時過ぎまで酔狂は続いたという。翌日8時頃。JR職員の手引きで、乗客は線路を歩き、トンネル外に脱出した。団体は緊急バスで八戸駅に。そして前夜の傍若無人ぶりを詫びることなく、タクシーで浅虫温泉方面に消えていった。

「調査の結果、部長と称する人間は新聞販売所経営者団体の幹部で他はやはり販売局の社員だったようです。うちは事実確認をした上で、抗議をお寄せになった読者に非礼をお詫びしました。でも、その方からは『俺に詫びてどうする。緊急時なのに冷静に対処してくれたJRの職員に謝罪しろ』と返されたと。当然でしょう」(朝日新聞関係者)

 この騒動について朝日新聞広報部に問い合わせると、「当該社員を厳重に注意しました。新聞販売所経営者団体幹部らに対しても注意を促し、JR東日本に謝罪しました。なお、弊社社員が“社長名を用いて車掌を恫喝した”という事実はありません」との回答が寄せられた。

※週刊ポスト2011年5月6日・13日号

newsポストセブンより抜粋引用

田中好子さん夫「一気に悪くなった。悔しいと思ってるはず」

2011年04月26日 | 週刊誌立ち読み

田中好子さん夫「一気に悪くなった。悔しいと思ってるはず」

2011.04.26 07:00

 キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが、乳がんのため55歳で逝った。彼女が亡くなった4月21日の夜、故・夏目雅子の兄で夫の小達一雄さんは、闘病と最期のときをこう語った。

「平成4年(1992年)に、左の胸の乳がんがわかりました。早期発見だったため、腫瘍をとって、定期検診をしていましたが、転移はなかった。ところが、昨年10月に十二指腸潰瘍で入院した後、体力がなかなか回復せず、今年の2月にまた入院。乳がんが再発し、肺とか肝臓、その他の臓器に転移していることがわかりました。

 そのことは本人にも知らされ、頑張って闘っていた。妹(故・夏目雅子)もがんで亡くなっていますが、がんは早期に治療すれば、助かる病気で、怖い病気ではないと妻も知っていた。
 
 だけど、多臓器不全がわかってから一気に悪くなったんです。本人は悔しいと思っていると思う。今朝、『おはよう』と病室を訪ねた時は、もう反応がありませんでした。最後は静かに息を引き取りました」

newsポストセブンより抜粋引用

東北新幹線東京―仙台再開

2011年04月26日 | インターネットニュース
東北新幹線東京―仙台再開 復興へ期待広がる










JR仙台駅の新幹線ホーム。震災後初めて、乗客の姿が戻った=25日午前8時30分ごろ



 東北新幹線福島―仙台間が再開した25日、1カ月半ぶりに東京―仙台間が新幹線で直結した。震災で被害を受けた仙台駅の新幹線ホームも復旧し、乗客の姿が戻った。首都圏と結ぶ大動脈の復活に地元では震災復興への期待感も広がった。

 仙台駅の新幹線ホームには、朝から列車を待つ人の列ができた。静岡県に出張する名取市の会社員山本輝幸さん(32)は「運転再開が早まって新幹線を使える」と喜んだ。福島まで通勤する仙台市宮城野区の地方公務員山崎麻知子さん(30)は「不便だった生活が元に戻りつつある感じ」と、上り列車に乗り込んだ。下りの一番列車の乗車率は始発の東京駅で40%。出張で仙台を訪れた東京都港区の会社員関洋二郎さん(26)は「震災後は夜行バスで仙台まで2往復した。これからは日帰りできる」と再開を歓迎した。
 この日、上りの一番列車をホームから見送ったJR東日本の里見雅行仙台支社長は「震災後、仙台駅にとって一番うれしい日だ」と語った。
 東北新幹線は昨年12月4日に東京―新青森間が全線開業、3月5日に新型車両「はやぶさ」が投入された。交流人口の増加など経済効果への期待が膨らむ中、同11日の震災で出はなをくじかれただけに、地元経済界も再開を歓迎した。仙台商工会議所の間庭洋専務理事は「待望の再開だ。復興の原動力はヒト。ヒトが動けばモノ、カネも動く。経済的に大いにプラスで復興に弾みがつく」と全線復旧に期待した。

◎運休や遅れ/1万3000人に影響

 東北新幹線は25日、新白河―白石蔵王間で午後1時半ごろから断続的に停電が発生し、東京―仙台間で運転を停止。午後6時10分に運転を再開したが、運休や遅れが相次いだ。
 区間運休を含め上下線計21本が運休し、22本が最大3時間36分遅れ、約1万3000人に影響が出た。同区間では点検作業で、再開後の午後7時20分すぎにも約30分間、運転を一時休止した。
 JR東日本によると、福島駅北側で架線の一種の保護線がたるみ、通常の架線と接触し、ショートしたとみられる。震災で切れ、補修した箇所だったという。保護線は過電流などが流れた場合に逃がす役目がある。
 仙台駅では、駅員に事情説明を求める乗客の姿が見られた。横浜市の自宅に戻るという主婦野村貴子さん(48)は「飼い犬と一緒なので、車内に持ち込める新幹線で帰るしかない」と、うんざりした表情。大宮に出張する仙台市若林区の会社員吉田幸弘さん(31)は「再開初日なのでトラブルは仕方ない」と話した。


2011年04月26日火曜日

インターネットニュースより抜粋引用


スーちゃん、別れ告げる録音「天国で役立つことが務め」

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
スーちゃん、別れ告げる録音「天国で役立つことが務め」
2011年4月26日(火)00:14
 元キャンディーズの「スーちゃん」、田中好子さんの葬儀が営まれた東京都港区の青山葬儀所で25日、田中さんの「幸せな、幸せな人生でした」「もっともっと女優を続けたかった」などという声が流れ、集まった約2100人のファンや関係者の涙を誘った。

 3月29日に録音し、夫の小達一雄さんに託していたもの。最後にあいさつに立った一雄さんが、田中さんの女優としての「第2章」の始まりを告げると、田中さんの声が普段よりゆっくりした口調で響き、場内は驚きに包まれた。

 元キャンディーズの「スーちゃん」、田中好子さんの葬儀が営まれた東京都港区の青山葬儀所で25日、田中さんの「幸せな、幸せな人生でした」「もっともっと女優を続けたかった」などという声が流れ、集まった約2100人のファンや関係者の涙を誘った。

ランさん、ミキさん大好きでした 田中好子さん録音全文
 3月29日に録音し、夫の小達一雄さんに託していたもの。最後にあいさつに立った一雄さんが、田中さんの女優としての「第2章」の始まりを告げると、田中さんの声が普段よりゆっくりした口調で響き、場内は驚きに包まれた。

 死を覚悟していた田中さんは、東日本大震災の犠牲者を悼み、「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています」と語った。

 葬儀の始まった午前11時には晴れていた空が、別れの時が近づくにつれてにわかに曇り出し、激しい雨がさっと降った。田中さんの声が流れる頃にはまた青空に戻っていた。

 出棺を告げるクラクションが鳴り終わった時、通夜と葬儀を通じて1曲も流れなかったキャンディーズの曲が突然、大音量でかかった。明るいテンポのデビュー曲「あなたに夢中」。熟年になった男性ファンらが彼女のイメージカラーである青色の紙テープを一斉に投げ、声を震わせながら「スーちゃん」と叫んで最後の見送りをした。(石飛徳樹、大室一也)

ランさん、ミキさん大好きでした 田中好子さん録音全文2011年4月25日19時55分


 田中好子さんのメッセージ全文

 こんにちは。田中好子です。

 今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

 私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は、必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。

 今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。

 特に、ランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。

 映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。

 お礼の言葉を、いつまでも、いつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。

 いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さった皆さまに、社会に、少しでも恩返しが出来るように復活したいと思ってます。カズさん、よろしくね。その日まで、さようなら。

gooインターネットニュースより抜粋引用


蘭さん・美樹さんに小達さん感謝

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
蘭さん・美樹さんに小達さん感謝


 
田中好子さんの通夜の会場に入る、伊藤蘭さん(左)と藤村(現・尾身)美樹さん=24日午後、東京都港区の青山葬儀所(代表撮影)

夫の小達一雄さん「幸せだったと思います」

 21日に乳がんのため亡くなったアイドルグループ、キャンディーズの元メンバーで女優、田中好子さん(享年55)の通夜が24日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。

 通夜の冒頭、喪主で夫の小達一雄さん(56)が遺影を前にあいさつ。参列した元キャンディーズの2人について、「最愛の友人とめぐり逢って、幸せだったと思います」と感謝し、「55年は決して長い時間ではなかったかも知れませんが、キャンディーズ時代、女優時代と充実した時間を過ごせたと思います」と偲んだ。

 小達さんは「故人の最後の望みは女優として復帰して、お世話になった方々に恩返しすることでした」と明かし、「人生の第1章は幕を下ろしましたが、第2章を再び、なんとかスタートさせたい。その日が来るのを願っています」と天国の田中さんに呼びかけた


夫の小達一雄さん「幸せだったと思います」

 21日に乳がんのため亡くなったアイドルグループ、キャンディーズの元メンバーで女優、田中好子さん(享年55)の通夜が24日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。

 通夜の冒頭、喪主で夫の小達一雄さん(56)が遺影を前にあいさつ。参列した元キャンディーズの2人について、「最愛の友人とめぐり逢って、幸せだったと思います」と感謝し、「55年は決して長い時間ではなかったかも知れませんが、キャンディーズ時代、女優時代と充実した時間を過ごせたと思います」と偲んだ。

 小達さんは「故人の最後の望みは女優として復帰して、お世話になった方々に恩返しすることでした」と明かし、「人生の第1章は幕を下ろしましたが、第2章を再び、なんとかスタートさせたい。その日が来るのを願っています」と天国の田中さんに呼びかけた。

gooインターネットニュースより抜粋引用

「私たち永遠にキャンディーズ」美樹・蘭さんが弔辞

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
「私たち永遠にキャンディーズ」美樹・蘭さんが弔辞



 元キャンディーズのメンバーで、乳がんのため21日に55歳で亡くなった俳優の田中好子さんの葬儀が25日午前11時から、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。芸能界関係者、大勢のファンが参列し、田中さんとの別れを惜しんだ。

 キャンディーズのメンバーだった藤村美樹さんと伊藤蘭さんが弔辞を読んだ。藤村さんは「本当にキャンディーズは楽しかった。本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。私たちは永遠にキャンディーズだからね」、伊藤さんは「私たちはみんな、大好きなあなたの笑顔を、最後まで病気と闘い立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません」と述べた。

gooインターネットニュースより抜粋引用

田中好子さんの最期 蘭さん・美樹さんみとる

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
田中好子さんの最期 蘭さん・美樹さんみとる







田中好子さんの通夜で遺影を前に親族にあいさつする藤村美樹さん(左)と伊藤蘭さん=24日夜、東京都港区、代表撮影

田中好子さんの通夜から出て、報道陣の質問に答える伊藤蘭さん=24日夜、東京都港区、西畑志朗撮影
 元キャンディーズのメンバーで、21日に乳がんで55歳で亡くなった俳優の田中好子さんの通夜が24日夜、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。キャンディーズで仲間だった伊藤蘭さんや藤村美樹さんをはじめ多くの芸能関係者やファンら計約2千人が訪れ、故人の冥福を祈った。

 伊藤さんは焼香の後、報道陣のインタビューに答えた。3年前に田中さんからがんで治療中であることを知らされ、今月21日に危篤になった際、藤村さんと病院に駆けつけ、家族とともに最期をみとったという。

 「一番年下で甘えん坊だったんですが、いつのまにか強くて頼もしい大人の女性になっていた」と振り返り、「あともう1回3人で集まりたかった。ずっとそばで一緒に年を重ねたかった」と声をつまらせた。

 また、2001年のNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で田中さんの娘役として共演した俳優の国仲涼子さんは、田中さんががんとは知らず、体調を崩したと聞いて16日にお見舞いに行ったのが最後になった。「笑顔でかわいい声で、(娘役の名前で)『えりぃ』と呼んでくれた姿が印象的だった」と当時の思い出を語った。

 会場には熱狂的なファンも弔問に訪れた。

 川崎市の会社員・永井由文さん(55)は78年の「さよならコンサート」、08年に都内であった解散30周年記念イベントも見に行き、この日は袖に「好子」と書いたパーカやリストバンドを身につけて訪れた。

 「スーちゃんは明るいところが魅力だった。コントに出ても真剣だった。還暦になったメンバー3人がもう一度そろう姿を見たかった」と残念がった。

gooインターネットニュースより抜粋引用



ランちゃん憔悴…絶句 田中好子さん死去

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
ランちゃん憔悴…絶句 田中好子さん死去



 親友の突然の訃報に、キャンディーズのランちゃんこと、女優の伊藤蘭(56)は言葉を失った。


 伊藤が所属するエイベックスによると、関係者から田中さんの悲報を伝え聞いた伊藤は、大変なショックを受けており「憔悴しきっています。現時点でコメントできる状況ではありません」という。

 1972年のキャンディーズ結成以来、40年近く人生をともにした仲。78年に解散してからも、ミキこと藤村美樹さん(55)は結婚して芸能界を引退したが、伊藤は田中さんとともに女優に転身。同じ道を歩んできた。

 そんな伊藤にとって、田中さんは良きライバルであり、理解者であり、芸能界で一番の心の支えだったに違いない。

 解散後も、一般人として生活している藤村さんを交えて定期的に会い、近況を報告し合ってきた。伊藤は、藤村さんと連れだって、先日、病床の田中さんを見舞ったというが、これが最後の別れになってしまった。

gooインターネットニュースより抜粋引用

ランちゃんミキちゃん、お別れの言葉述べる

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより
ランちゃんミキちゃん、お別れの言葉述べる



 25日、東京・青山葬儀所で営まれるキャンディーズの元メンバーで女優、田中好子さん(享年55)の葬儀・告別式に、グループで苦楽をともにした女優、伊藤蘭(56)と芸能界を引退した藤村美樹さん(55)が参列し、お別れの言葉を述べることが23日、分かった。

 関係者によると、田中さんの夫、小達一雄さん(56)が伊藤と藤村さんに打診し、2人は快諾。弔辞という形ではなく、それぞれ1人ずつ田中さんへ向けた手紙を読むという。

 3人の絆は強く、1978年のキャンディーズ解散後も定期的に食事会を開くなど旧交を温めてきた。田中さんが2月に再入院した際には、見舞いに訪れた伊藤と藤村さんに、自らの口で死期が近いことを告げていた。

 また、田中さんが日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した映画「黒い雨」(今村昌平監督)の美術監督がアイデアを出して、祭壇が彩られるという。通夜は24日午後6時から、葬儀・告別式は25日午前11時から行われる。

gooインターネットニュースより抜粋引用

田中さんは真のプロ…川島なお美

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより

女性3人組、キャンディーズの元メンバーで、女優の田中好子さん(享年55)の訃報から一夜明けた22日、芸能界から早すぎる死を悼む声が相次いだ。




 女優、川島なお美(50)はブログで「女優魂を感じた。真のプロフェッショナルでした」と偲んだ。ドラマで田中さんが妻、川島が愛人役を演じた際「容赦ないビンタが飛んできて私も思いっきりビンタ返してました」。一発OKの後お互い大爆笑して「田中さんがハグしてくださった」と振り返った。打ち上げのカラオケでは、「田中さんが1人キャンディーズをメドレーで歌ってくださった。その時すでに闘病なさっていたとは、みじんも感じさせませんでした」と残念そうに記している。

女性3人組、キャンディーズの元メンバーで、女優の田中好子さん(享年55)の訃報から一夜明けた22日、芸能界から早すぎる死を悼む声が相次いだ。


 女優、川島なお美(50)はブログで「女優魂を感じた。真のプロフェッショナルでした」と偲んだ。ドラマで田中さんが妻、川島が愛人役を演じた際「容赦ないビンタが飛んできて私も思いっきりビンタ返してました」。一発OKの後お互い大爆笑して「田中さんがハグしてくださった」と振り返った。打ち上げのカラオケでは、「田中さんが1人キャンディーズをメドレーで歌ってくださった。その時すでに闘病なさっていたとは、みじんも感じさせませんでした」と残念そうに記している。


gooインターネットニュースより抜粋引用

湯川れい子さん「信じられない」胸中吐露

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより

湯川れい子さん「信じられない」胸中吐露
2011年4月22日(金)08:00
 スーちゃんが死んじゃった-。1970年代の高度成長期に一世を風びしたグループ、キャンディーズのメンバーで、解散後は女優として活躍した田中好子(たなか・よしこ、本名=小達好子)さんが21日午後7時4分、乳がんのため、東京・港区の国際医療福祉大学三田病院で亡くなった。55歳だった。

 田中さんの夫で実業家の小達一雄さん(56)の友人で作詞家の湯川れい子さん(72)はこの日、ツイッターで「元キャンディーズのスーちゃんこと、田中好子さんが亡くなった。私の永年の友人の奥さまだった。テレビ局から取材にいくと言われても、まだ信じられない」と悲痛な胸中を吐露。「とてもとても自然体ですてきな人だった。あまりビックリして、涙も出てこない。心からご冥福をいのる」としのんだ。


gooインターネットニュースより抜粋引用

キャンディーズ田中好子さん死去

2011年04月26日 | 芸能ニュースインターネットより


 アイドルグループ「キャンディーズ」で活躍、スーちゃんの愛称で親しまれた女優の田中好子(たなか・よしこ、本名・小達好子=おだて・よしこ)さんが21日午後7時4分、乳がんのため東京都内の病院で死去した。

 55歳。1992年に乳がんが見つかり、治療を続けていたが、今年2月に容体が悪化したという。喪主は夫の小達一雄さん。

 東京都生まれ。72年に伊藤蘭さん、藤村美樹さんと共にキャンディーズを結成。「年下の男の子」「春一番」「微笑(ほほえみ)がえし」などのヒット曲を生み、人気絶頂の78年に「普通の女の子に戻りたい」の名言を残し解散した。80年に女優として芸能界に復帰、今村昌平監督の「黒い雨」で原爆症に苦しむ女性を演じ、90年、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞、演技派女優として評価を高めた。

「キャンディーズ」田中好子さん、乳がんで死去
2011年4月22日(金)01:30
 アイドルグループ「キャンディーズ」で活躍、スーちゃんの愛称で親しまれた女優の田中好子(たなか・よしこ、本名・小達好子=おだて・よしこ)さんが21日午後7時4分、乳がんのため東京都内の病院で死去した。

 55歳。1992年に乳がんが見つかり、治療を続けていたが、今年2月に容体が悪化したという。喪主は夫の小達一雄さん。

 東京都生まれ。72年に伊藤蘭さん、藤村美樹さんと共にキャンディーズを結成。「年下の男の子」「春一番」「 微笑 ( ほほえみ ) がえし」などのヒット曲を生み、人気絶頂の78年に「普通の女の子に戻りたい」の名言を残し解散した。80年に女優として芸能界に復帰、今村昌平監督の「黒い雨」で原爆症に苦しむ女性を演じ、90年、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞、演技派女優として評価を高めた。


gooインターネットニュースより抜粋引用