ろくすけの雑記帳goo

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知事、涙声で訴え 東電社長、訪問・陳謝

2011年04月24日 | インターネットニュース
2011年04月23日




佐藤雄平知事(右)との会見の席で子供の願いが書かれた手記を渡される東京電力の清水正孝社長=22日午前、福島市、小宮路勝撮影


 福島第一原発の事故後、22日に初めて佐藤雄平知事と佐藤憲保県議会議長に謝罪に訪れた東京電力の清水社長。「県民にあらためて深くおわび申し上げる」と陳謝したが、知事や議長の怒りは収まらなかった。


 午前10時、知事室。穏やかだった佐藤知事の表情は、清水社長以下幹部4人が入室すると一変した。約80人の報道陣に取り囲まれ、清水社長は佐藤知事の目の前で深々と一礼。「私自身、知事の『築城10年、落城1日』という言葉を肝に銘じてきただけに、今回の事故は痛恨の極み」とか細い声で話した。


 佐藤知事は手元に用意していた、ふるさとに帰りたいという気持ちをつづった富岡町の中学生の手記を紹介する新聞記事を清水社長に見せ、「この気持ちが分かりますか。子どもたちが6千人近く県外に避難している」と涙声で訴えた。


 佐藤議長との会談で、原発事故の責任についての考えを問われた清水社長は「まだ事態の収束に取り組んでいるところだが、具体的な設備上の原因は調査の必要がある」。すると佐藤議長は「事故はあり得ないと言ってきたのに、なぜ東電が責任を持って対応すると言えないのか」と質問。「補償については、国と協議しながら進めるつもり」と答えた清水社長に「東電として責任を持ってやるという一言でいい。国がどうのという話ではない」と強い口調で話した。清水社長は「これから何年かかるかは別にして、重い十字架を背負っているという覚悟です」と述べ、深々と礼をして議長室を後にした。


 会談後の記者団の取材では、知事が「再稼働はあり得ない」と語ったことについて清水社長は、「福島第二原発などに関してはしっかりと検証しなければならない。安全安定運転が確認されなければ再開はあり得ない」と述べた。(井上亮、村上晃一)

インターネットニュースより抜粋引用


石原軍団被災地へ炊き出しに

2011年04月24日 | 芸能ニュースインターネットより
石原軍団トラック28台で被災地へ「渡さん待ってたよ!」

 俳優、渡哲也(69)が社長を務める石原プロモーションが14日、東日本大震災で被災した宮城・石巻市を訪問し、大規模な炊き出しを開始した。95年の阪神・淡路大震災でも行った石原軍団は、トラック28台で現地へ。20日までの1週間分、カレー、おでんなど約1万4000食を用意し、初日は2800食を振る舞った。寝袋で泊まり込む渡は「東北が持つ不屈の精神で、復興をあきらめないでほしい」と励ました。


記事本文の続き 不屈の軍団が、会場の石巻中央公民館の駐車場に登場すると、被災者の顔が一気に華やいだ。

 「渡さん、舘さん、待ってたよ!」。老若男女の声援に手を振るエプロン姿の渡は、やきそばを手際よく盛りつけ、舘ひろし(61)もぜんざいを笑顔で振る舞った。

 今回の炊き出しは、カレー5000人分を作ることができる特大釜などを使い、昼夜各1000食×7日間の計1万4000食を用意。初日の開門には500人が押し寄せ、開始を30分早めた。

 軍団は真っ先に石巻中央公民館の避難民を招待し、昼だけで1800食をオーバーした。おでん、豚汁、天ぷらそば、ぜんざいを待つ列は常時500メートルにも及んだ。

 震度6強を記録した7日の余震の影響で石巻は断水。1カ月も準備を重ねた炊き出しの決行が危ぶまれたが、10トン給水車を急きょ調達して実現にこぎつけ、軍団の面々は安堵の表情を浮かべた。


 95年の阪神・淡路大震災でも炊き出しを行った渡は、今回も“出動”。13日に舘、徳重聡(32)らと車で石巻市内に入り、その足でがれきの山と化した漁港や荒れた街を目に焼き付けた。

 「震災から1カ月以上経つのに…悲惨以上の言葉がない」と涙をこらえ、「少しでもみなさまに元気になっていただきたい。明日の力になれば」と料理を作り続けた。

 舘は、同じ宮城県の仙台市で刑事ドラマ「西部警察」のロケをした当時を述懐。先代社長の故石原裕次郎さんが「これから1週間、仙台の軒先をお借りして撮影します」と頭を下げた話に触れ、「軒先をお借りしたご恩返しができたら」と、被災者の食事を運ぶなど大活躍。チビっ子から手作りの「ありがとう」メダルをもらい、感激した。

 俳優陣をはじめ、石原プロ関係者80人は公民館正面の施設を借り、1週間滞在。神田正輝(60)は仕事を終えた足で17日から合流する。“渡団長”は「全員寝袋で雑魚寝」と語りながら、「被災者の皆さまと比べたら、暑い寒いと言ってられません」と気合十分だった。

インターネットニュースより抜粋引用

<東日本大震災>芽生えた恋 避難所の男性とボランティア女性婚約--宮城・南三陸

2011年04月24日 | インターネットニュース

2011年4月23日(土)18:00
 ◇「この町で一緒に歩んでいく」

 東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の避難所で愛を育んだカップルがいる。町立志津川小で避難生活を送る阿部誠輝(せいき)さん(42)と、奈良県生駒市からボランティアに駆け付けたマナー講師、村上希望(のぞみ)さん(28)。16日に婚約。お互いの両親にあいさつした後、同町役場に婚姻届を提出する予定だ。「これからの町の歩みと同じ。ゆっくりでもこの町で一緒に頑張って歩んでいきたい」。2人は歩調を合わせ、新たな人生に踏み出す。【泉谷由梨子】

 「役場に婚姻届を取りに行こう」

 阿部さんが申し出たのは、村上さんが帰宅する予定の16日。避難所で思いを告げた。村上さんの返事はイエス。2人はその足で津波で流された後に設置されたプレハブの町役場に行き、婚姻届をもらった。「職員はとても驚いていた」(阿部さん)

 阿部さんは消防団に所属。3月11日の巨大地震後、勤務先の鮮魚店から高台に一度避難した後、再び海岸沿いに戻り消防車で避難を呼び掛けた。大津波が町を襲う瞬間も目撃。消防車の後ろ1メートルまで津波が迫ったが、どうにか逃げ切った。避難所では炊き出しの手伝いなどをこなす。

 一方、村上さんは3月26日にボランティアとして避難所を訪れた。「阪神大震災で父親がボランティアに行った姿が目に焼き付いている」。水くみやまき割りに加え、妊婦に必要な物を調達するなど気遣いが光っていた。

 2人はいつしか会話するようになり、阿部さんは「一生懸命に皆のことを考えてくれる村上さんの姿にひかれた」。村上さんは「こんな時だからこそ、お金や物ではなく正義感や責任感が強い彼の姿が見えた」。「もう会えなくなるね」という何気ない阿部さんの一言も背中を押したのかもしれない。思わず「私、来てもいいよ」と答えていた。2人の間で結婚が現実味を帯びていった。

 ただ、生活基盤は不安定だ。阿部さんが働いていた鮮魚店は津波で流失。そして阿部さんには「がれきだらけの町に呼びたくなかった」との迷いもあった。でも「村上さんが『この町はいい所。来てもいいよ』と言ってくれて腹をくくった。一緒にがんばろうと決意できた」。

 村上さんはシングルマザー。長男の優之介君(5)と一緒にこの町で暮らすことを決め、こう話した。「先のことは分からない。でも(阿部さんは)一緒にがんばってくれる人だから大丈夫」

 何もかも失われた町で新たな生活を築こうとしている2人を祝福しようと、被災者らは避難所で結婚式を挙げてもらおうと計画している。

gooインターネットニュースより抜粋引用

石破政調会長「スーちゃんありがとう忘れない」

2011年04月24日 | 芸能ニュースインターネットより

 自民党の石破政調会長(54)は22日、アイドルグループ「キャンディーズ」の元メンバーで女優の田中好子さんの死去について、「私たちの世代のあこがれだったし、青春そのもの。大事な友達をなくしたような思いだ」と述べ、早すぎる死を惜しんだ。

 国会内で記者団に語った。

 石破氏は、政界きっての熱烈なキャンディーズファン。CD全集を持っており、カラオケで全曲を歌うことができるという。

 田中さんと交流する機会はなかったというが、アイドル当時の姿を「スーちゃんは明るくて元気いっぱいで、一番普通の女の子に近かった」と振り返り、「ありがとう、忘れないよ」と悼んだ。

gooニュースより抜粋

世界の100人に南相馬市長と南三陸町の医師

2011年04月24日 | インターネットニュース



米誌タイムは21日、毎年恒例の「世界で最も影響力のある100人」を発表した。日本からは、福島第一原発事故による住民の窮状を動画投稿サイトで訴えた福島県南相馬市の桜井勝延市長(55)と、宮城県南三陸町の公立志津川病院で極限状況のなか、患者の避難、治療にあたった医師、菅野武さん(31)が選ばれた。

 同誌は、政府と東京電力の対応を批判した桜井市長について「日本の権力層にかみついた」と評価、「彼の訴えは世界中で反響を呼び、効率性で知られる国がなぜ市民の失望を招いたのか、多くの人が疑問を抱くことになった」とした。

 菅野さんに対しては「津波警報直後に患者を最上階に誘導し、以後2日間、最後の患者が避難するまで病院に残った」と称賛した。

インターネットニュースより抜粋

東電社長、郡山市の避難所に 住民「謝罪ではすまない」

2011年04月24日 | インターネットニュース
東電社長、郡山市の避難所に 住民「謝罪ではすまない」


 











避難者に謝罪する東京電力の清水社長(左から2人目)=22日午後、郡山市のビッグパレットふくしま



 東京電力の清水正孝社長が22日、福島第1原発事故で地元を離れた被災住民が暮らす福島県郡山市などの避難所を訪れた。東電トップが避難者に直接謝罪するのは初めて。「申し訳ないではすまないんだ」。住民からは怒声や生活不安への訴えが相次いだ。

 清水社長らは県庁で佐藤雄平知事に謝罪後、富岡町と川内村の約1500人が避難する郡山市のビッグパレットふくしまを訪問した。
 頭を下げた清水社長に遠藤勝也富岡町長は「初動でもっと迅速に対応できなかったのか、割り切れない。生活設計が立たず、補償に最大の尽力をお願いしたい」と求めた。遠藤雄幸川内村長も「長期化すれば地域が崩壊する。農業や畜産の補償について具体的な方向を示してほしい」と訴えた。
 清水社長は約1時間半にわたり、膝をつきながら「申し訳ございません」と避難所内を回った。
 避難者からは「仕事を失った。どうしてくれる」「ちゃんと補償して」と迫る声が上がった。「原発が落ち着くまでどれくらいかかるのか」と質問する住民も多くいた。
 「おまえら殺人犯だ」と声を荒らげたのは富岡町の無職横田一也さん(63)。母親が避難後に体調を崩し、施設で亡くなったという。
 富岡町のトレーニングジム経営鈴木征男さん(59)は「私も高血圧で病院に入りたい」と、一時体調不良で入院した清水社長に痛烈な皮肉を浴びせた。
 小さな子ども2人がいる富岡町本岡の介護福祉士清瀬〓弥さん(29)は「子どもが『帰りたい』と泣きやまない。謝られただけでは終わらない。今後のことをしっかり考えてほしい」と話した。

※〓はしめすへんに右

インターネットニュースより抜粋

菅野医師「私も救われた」 タイム誌「世界の100人」選出

2011年04月24日 | インターネットニュース
菅野医師「私も救われた」 タイム誌「世界の100人」選出












「世界の100人」に選ばれ、「被害を広く伝えたい」と語る菅野さん=22日、仙台市青葉区の東北大大学院医学系研究科



 米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた内科医菅野武さん(31)は22日、所属する東北大大学院医学系研究科で記者会見し、「被災者は今も苦しい生活を送っている。被害は終わっていないことを広く伝えたい」と話した。
 菅野さんは、勤務していた公立志津川病院(宮城県南三陸町)から患者全員が救出されるまでの3日間について「電気も点滴もない中で、患者さんや避難してきた人とつらい夜を過ごした。みんなで声を掛け合い、自分自身も多くの人に救われた」と振り返った。
 菅野さんの志津川病院での任期は3月末までだったが、被災した患者を診察するため、今月中旬まで勤務を延長した。
 仙台市の実家に戻ってからは、地震5日後の3月16日に生まれ、ほとんど会えなかった長男を世話しながら、罹災(りさい)証明の申請や、津波で流された車の手続きなどに追われているという。
 震災前から東北大大学院医学系研究科への進学が決まっており、5月からは専門の消化器内科の研究に取り組む。
 菅野さんは「専門性を身に付けた上で、さらに地域医療に貢献したい」と抱負を語った。


2011年04月23日土曜日

インターネットニュースより抜粋

東日本大震災 宮城の死者は8603人

2011年04月24日 | インターネットニュース

 東日本大震災の死者は22日午後6時の警察庁のまとめで、12都道県で1万4208人、行方不明者は6県で1万2384人となった。死者・不明者は計2万6592人。
 被害が大きい東北3県の死者は、宮城8603人、岩手4110人、福島1432人。不明者は宮城6955人、岩手3590人、福島1835人。
 原発事故の影響も含め、18都道県に設置された約2500カ所の避難所に約13万1000人が生活している。

2011年04月23日土曜日

インターネットニュースより抜粋

裸の王様"島田紳助の芸能界タブー化現象

2011年04月24日 | 芸能ニュースインターネットより
ビートたけしも激怒する"裸の王様"島田紳助の芸能界タブー化現象
もうどうにも止まらない!?芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 みのもんたに代わって、いまや"テレビ界の新帝王"と呼ばれている島田紳助。司会だけではなく、自らの番組を通じて"おバカタレント"を輩出したり、一発屋芸人を再生したりと、プロデューサーとしての手腕も評価されている。最近では、"悪妻"を持つタレントをブレイクさせるなど、その企画力には脱帽する。

 これだけテレビ界、芸能界への貢献度が大きければ、「天狗になるな」というほうが難しいかもしれない。だが、やはり、紳助のプライベートにおける傲慢さは感心しない。

 筆者が20年来、家族ぐるみで付き合っている銀座のクラブママがいる。つい先日、彼女が女性友達と、紳助が経営する西麻布の寿司屋「寿司 はせがわ」に行ったそうだ。彼女が高いシャンパンを頼んで飲みながら談笑していたところ、オーナーの紳助は、関係者数人とカウンターの端で飲んでいたという。

 そのとき、紳助は何が気に食わなかったのか、いきなり2人にガンを飛ばしてきたという。ママは気分が悪いんで、カウンターの向こうにいる従業員に「何よ、あの態度」と注意を促すと、従業員は謝るばかり。それでも、ガンを飛ばし続ける紳助に切れて、「不愉快だわ」と勘定を払って店を出たという。その際、従業員は平謝りで「お勘定は入りません」と言ったという。従業員も、悪いとわかっていながら、紳助に対しては何もできないのだろう。それにしても、店の経営者が、お客が気に食わないと不良まがいにガンと飛ばすとは。それも、女性相手に。とんでもない話だ。

 昨年10月、紳助が司会を務めるTBS恒例の『オールスター感謝祭』で、若手お笑いトリオの「東京03」が本番前に挨拶に来なかったことや番組中のやる気なさげな態度に紳助が腹を立てて、収録中に東京03のメンバーの胸ぐらを掴んで「お前らなめてんのか。潰してやる!」と、暴行寸前の事件を起こしたことが問題になった。

 吉本は、芸人の上下関係が厳しい事務所。東京03は、別の事務所ということもあり、そのあたりのシビアさを甘く見ていたのかもしれない。紳助の取った態度は誉められるものではないが、初共演の上に事前の挨拶なしでは、番組内でもうまく絡めず、お互いにとってマイナスである。紳助の怒りにはそれなりの根拠があり、東京03も非を認め、謝罪していたこともあって、当時は筆者なりに納得していた。

 ところが、昨年末、ビートたけしとこの事件の件を話すことがあった。たけしが、事件現場にいた関係者から聞いた話によると、「紳助は胸ぐらを掴んだだけではなく、実は殴っていた」というのだ。これには、たけしも「紳助は、何を思い上がってんだ」と呆れ、「周りには、紳助の先輩のタレントや役者が何人もいたのに。なんで止めなかったんだ」と激怒していた。現場にいた関係者の中には「殴っていなかった」と証言していた者もいたが、それは紳助を気遣ってのことなのか、見ようによっては殴っていたとのそしりを逃れないほどの際どい暴力行為だったのか、真相は分からない。いずれにせよ、紳助に、社会人としての最低限の自制心が働かなかったのは間違いないだろう。

 それでも、東京03は紳助に何度も詫びて、許しを乞うしかなかった。周囲は、紳助の行動を指をくわえて見ているしかなかった。今回の寿司屋の件では、店のオーナーである紳助の非礼を、従業員は詫びるしかなかった。もはや紳助は、テレビ界、芸能界において一大権力であり、タブーとなってしまったのか。

 最近になって、アンタッチャブルの柴田英嗣が無期限休業を発表。理由が不明瞭なことから、2ちゃんねるでは、東京03事件が関係しているという無責任な情報が飛び交っている。東京03と同じ事務所の柴田が、紳助に食ってかかり、トラブルに発展したというのだ。にわかには信じられないが、これも、紳助やその周囲が、東京03事件の真相を明らかにしなかったために巻き起こった騒動と言えるかもしれない。

 今の紳助に、日常の姿勢や態度について注意や進言できる関係者は、吉本のスタッフを含めていないと思う。それだけに、自ら律して、プライベートでも、タレントやスタッフに接するときの思いやりを忘れてはならない。紳助は04年に、当時吉本に所属していた女性マネジャーに暴行、大事件に発展した。そのときに涙を流して、反省した気持ちを忘れないでほしい。周りからヨイショされて、"裸の王様"になっていることに早く気づくべきだ。権力者がつくり出す笑いを見ても、みんなは苦笑いしかできないことに。
(文=本多圭)

http://www.cyzo.com/2010/02/post_3818.html

インターネットニュースより抜粋
詳しくは上記URLで



家族の行方伝えた「忠犬」 被災現場で一晩ほえ続ける

2011年04月24日 | インターネットニュース











飼い主ら家族の行方をほえて知らせたラブラドルレトリバーのシャネル=22日、気仙沼市唐桑町大沢地区



 宮城県気仙沼市唐桑町の大沢地区で、津波に流された飼い主ら家族3人の行方を、一晩中ほえ続けて知らせようとした犬がいる。離れようとしなかった被災現場からは後日、3人の遺体が見つかった。親族は「最後まで家族を守ろうとしてくれた」と感謝する。
 ラブラドルレトリバーの雌「シャネル」は、船乗りだった中村康一さん(67)一家に飼われて8年ほどになる。
 3月11日の津波で、大沢地区は約180世帯のうち約140世帯がほぼ全壊。自宅にいたとみられる中村さんと母めくみさん(90)、妻洋子さん(60)が流された。
 翌12日午後、地元の消防団から「黒い犬がほえて作業できない」との知らせを受けた親戚が向かうと、家から300メートルほど内陸部にある杉山の下にシャネルがいた。
 シャネルは、めくみさんが使っていた布団の上で一晩中ほえていたという。津波の中を泳いで助かったらしい。
 親戚がその場を離れようとしないシャネルを連れ帰った3日後、現場から、シャネルのことを娘のようにかわいがっていた洋子さんが見つかった。残る2人も後日発見された。
 シャネルは今、康一さんの妹中村てる子さん(59)の家族が面倒を見る。散歩で基礎だけが残る康一さんの家に行くと、シャネルは尻尾を振った。
 「家族を守ろうとしてくれてありがとう」。てる子さんは、海水が乾いた後の塩が残る黒毛を優しくなでた。(高橋鉄男、丹野綾子)


2011年04月23日土曜日
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インターネットニュースより抜粋

石田顧問辞任へ…前エネ庁長官、天下り批判受け

2011年04月24日 | インターネットニュース
 東京電力は18日、前資源エネルギー庁長官の石田徹顧問(58)が4月末で辞任することを決めた。



石田氏は6月の株主総会後に副社長に就任する見通しだったが、枝野幸男官房長官が同日、
経済産業省幹部職員の電力会社への再就職自粛を求める方針を表明。福島第1原発事故で強い批判にさらされる中、
官民の癒着と受け止められかねない人事は避けるべきだと判断した。

 東電首脳によると、石田氏は18日、「一身上の都合」として辞職を申し出た。石田氏は75年、旧通商産業省(現経産省)に入省。昨年8月にエネ庁長官を退官し、今年1月1日付で東電の顧問に就いた。東電は当初、6月の株主総会で石田氏が副社長に就任する人事案の提出を検討しており、実現すれば5人目の経産省(旧通産省を含む)出身副社長になる運びだった。

 しかし福島原発事故で、経産省の外局である原子力安全・保安院が東電の事故対応を指導しきれず、津波対策などの安全規制も不十分だったとの見方が強まった。これに伴い、電力大手が経産省から天下り役員を受け入れている実態が癒着として批判され、国会でも石田氏の天下りが問題化した。枝野官房長官は当初、「(政府が禁じている省庁による)あっせんには該当しない」としていたが、批判の強まりを受け、18日の会見で「疑念を持たれること自体が望ましくない」と方針を転換。経産省も電力会社への再就職自粛を決めた。

 既に退官した石田氏は自粛の対象外だが、東電は6月の株主総会で役員に事故の経営責任を取らせる方針で、石田氏は顧問として残ることも難しいと判断した。

インターネットニュースより抜粋引用


前エネ庁長官が東電顧問に 「企業要請で問題なし」

2011年04月24日 | インターネットニュース



 前資源エネルギー庁長官の石田徹氏(58)が1月1日付で東京電力顧問に就任したことが4日、明らかになった。東電が迎えた経済産業省OBは、日本輸出入銀行(当時)理事から平成12年に取締役に就任した白川進前副社長(現・顧問)に次ぐ4人目。いずれも入社後、最終的に副社長に昇格していることから、今年6月末の株主総会で役員に就任する可能性が高い。

 石田氏は昨年8月にエネ庁長官を最後に退官し、去就が注目されていた。経産省では貿易経済協力局長や産業技術環境局長なども歴任しており、内外に幅広い人脈を持つ。東電は「経営全般にアドバイスをお願いしたい」としている。

 民主党政権下で天下りに対するチェックが厳しくなっているが、関係者は「役所からの斡旋(あっせん)ではなく受け入れ先企業の要請に基づく私契約で問題はない」としている

インターネットニュースより抜粋引用

原子力安全委員 最短週10分の会議出席で年収1650万円

2011年04月24日 | 週刊誌立ち読み
原発事故で刻々と状況が悪化する中でお目付役である原子力安全委員会は何をしていたのか。震災発生翌日(3月12日)の朝、菅首相の原発視察に同行した班目春樹・原子力安全委員会委員長。

 同委員会は原子力の安全確保のために内閣府に設けられた「原発の監視役」で、事故が起きれば専門家としての知見を国民に示す立場にある。

 が、班目氏が初めて会見したのは23日の夜。28日の会見では、建屋に溜まった高放射線量の汚染水処理について、「知識を持ち合わせていないので、東電と原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」と答えて周囲を唖然とさせた。

 同委員会は委員長以下、委員5人はいずれも常勤の特別職公務員。ただし、常勤といっても定例会議は週1回だけ。議事録を確認する限り、会合は最短で10分弱、長いもので1時間半だった。これで約1650万円の年収(月給93万6000円とボーナス)を貪っている。

 なお、内閣府には原子力関係予算の配分を審議する「原子力委員会」もあるが、こちらの委員(常勤3人)も同額だ。だが、事故発生後の会議はすべて休会となっている。今、働かなくていつ働くのか。

※週刊ポスト2011年4月15日号