今 ここに いる ということ

今 ここに いる
みつけた
出会った
感じた
伝えたい

命を与える霊の法則25

2011年12月16日 10時34分14秒 | カンタラメッサ師

キリスト教のメッセージの新しさが翳りを帯びるのは・・・③

律法=法=福音 が 

義務を作りだすとき

福音書を学び 

キリストの 山上の垂訓を 読むと

あぁ こんなことは わたしには できない

と 思う

右の頬を打たれたら 相手の右の頬を 打ち返したくなるし

悪口を言われれば 言い返したくなるし

敵を愛せなんて とんでもない

自分を愛してくれる人さえ 上手に愛せないのに

自分を敵視している人を 愛するなんて とんでもない

と 思う

嘘もつくし お金も嫌いじゃない

とても とても イエズスさまの 基準には 届きません

 

しかし 

キリストの御受難、復活の後 

聖霊が キリストを信じる者に 降り注いだ この時代

聖霊の 力を借りれば 出来ないことはない

わたしの 肉の部分では できないけれども

聖霊の息吹を受けた わたしの 霊の部分では

キリストの福音を生きることを 望むし

そう ありたい と思う

 

聖霊の恵みが わたしに そう 望ませる

― しかし 現実には 大変なのです

福音の基準と 自分のレベルを 比較して 苦しむのです

苦しんで 苦しんで

ただ その気持ちを 祈る(=神に 話す) のです

そうすると 不思議なことに

嫌なことが 気にならなくなったり

前向きに 物事を 捉える事が できるようになる

レベル的には まだまだ キリストの望まれるところまでは いっていないでしょう

けれど 前の 自分とは違う と 感じる

これが 第一歩なのか と 思う

長い 道のりです -


紅葉狩り

2011年12月14日 17時56分15秒 | 散策

源氏山紀行の続き

佐助稲荷から 葛原ヶ岡に向かう途中

海が見える

やっと 紅葉に会えました

椿には 蜂が お食事に

こちらの 紅葉たちは 大人気

順番待って 撮影成功

日野俊基の墓

富士山くっきり

源氏山から こんなに 富士山が見えるのは 珍しいそうな

またまた 赤い実探し 千両

化粧坂 を下り 扇ガ谷へ

まだ こんなに 柿の実が 残っている

横須賀線の脇の 木だから 鳥が 電車を恐がって 食べに来ないのかなぁ

 


佐助稲荷 

2011年12月13日 17時39分09秒 | 散策

源氏山に 紅葉狩り

途中 税務署の紅葉

佐助稲荷から 上る

赤い鳥居の行列

お稲荷さんの狐の お顔は 微妙に 違う

向かって 左側の 狐は 文を

右側の 狐は 玉を 加えている

お社

お社の前の 小さな祠 屋根が落ちているものもある

 狐に 何を託しているのだろうか

お社脇の小さな祠は 千と千尋の神隠し の世界みたい

豚(?)が 乗っている??祠


カレーつけ麺の店 波

2011年12月12日 17時07分44秒 | グルメ

青空に誘われて お出掛け

鎌倉女学院脇の滑川

昼は 由比ヶ浜にある 波

数人 外で待っていた

閑だから 遊んでみた

カレーつけ麺 あつもり  880円なり

食べ終わると ご飯の小盛りと ダシが出てくる

余った カレーつゆにつけて いただく

また 絶品

お口直しの アイスも 

 

毛の長い人用に 髪止めも用意されていて

細やかな心遣い

暖かくなったら 冷たい カレーつけ麺も 食べてみたいなぁ


由比ヶ浜教会のごミサ

2011年12月11日 00時51分22秒 | 体験

母教会が 行事で 夕ミサが なかったので

由比ヶ浜教会の 御ミサに 行った

待降節 第3主日

祭壇わきの蝋燭が 3本 燈る

聖変化の時の 信徒の 跪き と

両形色のご聖体拝領 とが

当たり前のように 行われていたことに 感動

懐かしく 嬉しかった

祭壇わきの ご降誕の飾りつけ

飼い葉おけの中には まだ イエズスさまは いらっしゃらない

可憐なマリアさま

外に出たら もうすっかり 冬の夜

隠されていた 宝を 見つけた 気分でした

 


霊を与える命の法則24

2011年12月10日 10時25分06秒 | カンタラメッサ師

キリスト教のメッセージの新しさに翳りが帯びるのは・・・②

恵みを 

神と人との契約の過程で

「 独力で出来ないことを 補うために 彼に来る助け 」

として 見るとき

「 天は自ら助くる者を助く 」 という言葉が ある

この言葉を 聖書の中の言葉と思う人が多い

しかし この考え方は 聖書的ではない

自らを助ける力は

人の努力の前に与えられるもの

恵みがあってこそ 人は 努力することができる

「 天は はじめに 自ら助くる力を お与えになった 」(ハレルヤ!!)


命を与える霊の法則23

2011年12月09日 09時09分05秒 | カンタラメッサ師

キリスト教のメッセージの新しさに翳りが帯びるのは・・・①

養成活動が 

人間の “しなければいけないこと”を 

一方的に強調するとき

 

説教や信徒の要理教育、霊的な指導が、

義務や徳などの しなければいけないこと

悪徳などの してはいけないこと

罪を犯した後に受ける罰 ばかりを 

強調すると

信仰に 

恐怖感が 植え付けられ

神は 愛の神ではなく 恐ろしい罰を与える神となる

 

元々 肉の人として 生まれた わたしたちは

放っておいても 肉の業に縛られる

肉の業は 生を死へ運び

永遠の命と協調できない 己の自我を 自覚させ

未知なる死後の世界を 恐怖に包む

 

イエズス・キリストの

メッセージと その生涯で 獲得して下さった 神の恵み は

この 肉の業を 打ち破るもの

 

“しなければいけないこと”を 強調する養成活動は

キリストの業と 聖霊の恵みを

真っ向から 否定する

折角の キリストの働きを 無 としてしまう


命を与える霊の法則22

2011年12月08日 05時35分07秒 | カンタラメッサ師

折角 聖霊の恵みを頂きながら

その恵みを 生き切れていないのは 何故なのだろう

 

わたしは

日ごろ 神さまについて どう考えているのだろうか

どのような目で 神さまを見ているのだろうか

 

恐れに満ちた 自己中心的な目で見ているのだろうか

それとも

神さまに 愛されている子として

信頼に満ちた目で 見ているだろうか

 

この世に生きながら 既に 神の恵みを十分に受けていながら

恵みを実感することもなく

持って生まれた肉・業に縛られて

奴隷のように 恐れて生きていないだろうか

神さまは 愛そのものであられるのに


命を与える霊の法則21

2011年12月07日 21時39分42秒 | カンタラメッサ師

初めにきっぱりと実現した命の刷新で十分だ、と思ってはなりません。

絶え間なく、毎日、その新しさを 新たにしなければなりません。

― by オリゲネス -

洗礼の時に 

今まで犯した罪は全て赦され

新しい命を 頂いた

しかし 

生涯をかけて

新しい命を生きてこそ

本当に 新しい命を頂いたことになる

 

毎日 朝日が 新しい一日を 始めるように

わたしたちも

毎日 聖霊に 刷新されながら

 

“新しさ”は 手垢が付いてしまっては もう 新しくない

“新しさ”が 常に 新しくあるように

私たちの中の “古さ”は いつも 首をもたげて

“新しさ”に 取って替わろうと 狙っているのだから

 

 


命を与える霊の法則20

2011年12月06日 20時54分15秒 | カンタラメッサ師

恵みの時に 

あなたは 

神に引き寄せられ 神を愛して

その御方を 永遠に 完全に 所有したい 

と 望みました

そして 自分の変わりやすさのために 

神を失うかもしれないことを 恐れて

あらゆる 可能な変化に対して 自分の愛を保証するために

あなたは 自らを“縛り付ける”のです

オデュッセウスが

海の魔性セイレーンの誘惑から 身を守るために

 柱に 身体を縛り付けさせたように

変わりやすい 心を

律法で“縛る”

人の心は うつろいやすく 疲れやすいのだから


待降節

2011年12月05日 21時27分05秒 | 体験

キリストの降誕を待つ季節

教会の祭壇わきには ご生誕のエピソードを模す

クリスマスの飾りつけがされている

イブの夜までは 

飼い葉おけの中には 

イエズス様は いらっしゃらない

聖母マリアさまも 静かにご降誕を待っていらっしゃいます


待降節 第二主日

2011年12月04日 21時10分11秒 | 日記

キリストの生誕を待つ 待降節第二主日の福音朗読には

毎年 洗礼者ヨハネのエピソードが 出てくる

荒れ野で叫ぶ者の声がする

『主の道を整え その道筋を まっすぐにせよ』

神さまが 私の心の中に 再び訪れる前に

神さまが通られる道筋を まっすぐに しよう

すぐに いらっしゃれるように

私の心の中にある 神さまの行く手を遮るものを 取り除こう

心を神さまに向けて

 

 

 


稲村ケ崎の夕陽

2011年12月04日 18時12分13秒 | 日記

雲ひとつない晴天が 一日続いたから

稲村ケ崎に 夕陽を撮りに行った

稲村ケ崎は サーファーのメッカ

たくさんの カメラマンが 夕陽が落ちるのを 待ちかまえていた

日が傾くにつれ 富士山のシルエットが 浮かび上がった

明日も いい天気かな


命を与える霊の法則19

2011年12月03日 20時26分08秒 | カンタラメッサ師

愛する人が

 愛すれば愛するほど

その愛が犯す危険についての

ひどい苦痛を与える知覚は より 強くなる

 

この知覚は 他者からではなく

自分自身から来る

 

― 明日には 愛の対象に倦み疲れ

もう それを 愛さなくなることが あるかもしれない -

( あぁ それは 取り返しのつかない損失なのに )

しかし 律法を通して 

わたしは

わたしを “愛”に 縛り付ける

変わりやすい 愛の行為を 永遠に つなぎとめる

わたし自身を 守るために

 

人の心の変わりやすさ 儚さは

古今東西 

いくらでも ある物語です

 

どんな大恋愛の末の結婚でも いずれ やってくる 倦怠期

命をさえ惜しまず愛した配偶者に対しても

ある時 婚姻という“縛り”が

破局の危機からの 救いとなる

法律が 愛を 守ることが

確かに ある