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聖霊における祈り6

2012年01月03日 10時10分59秒 | カンタラメッサ師

聖書の中の祈りの人の心は

神の心と 一つに結ばれていて

いかなるものも 誰も引き離すことは出来ない

たとえ 

神のなさり方の神秘が続き 

苦しみに満ちた「なぜ」や狼狽が あったとしても

神が 何をなさっても

祈りの人が 神に対して

或いは 神が 祈りの人に対して 怒っているときでさえ

祈りの人の心は

神が正しいと 常に 認めている

聖書の中の祈りの人と 神との 関係は

人の親子関係 に似ている

親子は

喧嘩をしても 

たとえ

口汚く 罵り合ったとしても

心の奥深くでは

互いが互いを知っている という信頼感がある

血は水よりも濃い 

親子は 人間だから

絶対的な「正しさ」ということは あり得ない

罪も 間違いも 犯す

だから 赦す という行為が 必要となる

 

祈りの人は 

神とも 人の親子関係のような 関係を築いている

だから 

なぜ?

と 泣きながら祈り

神のなさりように狼狽し

神に対して怒り

神が 自分に対して怒っているかのように 感じることがあっても

神は 常に 正しい と 知っている

心の中では 絶対の服従 絶対の忠実 絶対の信頼 を 持っている

 

わたしに聞け ヤコブの家よ

イスラエルの家の残りの者よ 共に

あなたたちは 生まれた時から負われ

胎を出た時から 担われてきた

同じように

わたしは あなたたちの老いる日まで

白髪になるまで 背負って行こう

わたしは あなたたちを造った

わたしが担い 背負い 救い出す

イザヤ46:3-4

 



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