教科書採択を考える会ブログ

愛媛県松山市内の中学の歴史教科書が「育鵬社」版に変わるのを機に発足した会です。教科書比較の学習会も行っています。

第21回学習会報告

2017-08-30 17:29:11 | 学習会
2017年8月11日(金・祝)13時30分より、第21回学習会をおこないました。

参加者は20名。

今回は、夏休み特別版として教育現場で活躍している山本宏光さんに、実際に育鵬社歴史教科書を使用しての感想を話していただきました。

確かな歴史研究の中での教科書の内容に対する鋭い指摘に大いに勉強させていただきました。


原始・古代・中世の3つの時代からそれぞれ問題だと感じたことについて話していただきました。


☆原始

 育鵬社は、“わが国固有”の歴史を強調するあまり、最新の学問研究に裏付けられた知見を軽視している。

また、人類史という広い視野で歴史を見たり、考えたり、とらえたりすることをしていない。

 日本の旧石器時代に深く触れないまま、文明のおこりよりも先に縄文文化を取り上げていく記述の流れは、人類史の発展というような側面・角度からの歴史に対する見方・考え方を遠ざけている。
多面的・多角的に考えようとする生徒の学びを狭めている。



☆古代

 学習指導要領は、歴史の中で大きな役割を果たした人物や、各時代の特色を表す文化遺産を取り上げることを重視しているが、入学したばかりの中学一年生が学ぶ内容として、

次の事柄については疑問視する声があり、最新の学問研究に裏付けられた知見というより「記紀」の記述に沿った“わが国固有”の歴史を強調するための説明になっている。

・飛鳥時代の詳細な説明や主観的な表現――例)鞍作鳥
・天武天皇と持統天皇、白鳳文化の協調
・伊勢神宮のおこりと式年遷宮の記述



☆中世

 最新の学問研究に裏付けられた知見はもとより、学習指導要領さえも軽視し、“わが国固有”の歴史にとらわれた狭さがある。

年代もページも前後していて、生徒が歴史の流をとらえる際に混乱してしまう要因をつくっている。

 一揆とは、「武士や農民が、普通のやり方では実現できない共通の目的を果たすためにあたらしい集団を結成すること」と説明し、
一揆は普通ではないとのマイナスイメージを与え、農民たちが成長する中で起こしたことには触れていない。
国一揆や一向一揆のあとに土一揆がでてきているが、逆であろう。

また、国一揆・一向一揆・土一揆、江戸時代の百姓一揆までをすべて一緒に論じているのは問題である。

 世界史を軽んじ、ルネサンス、宗教改革を本文の中に取り上げていない。そのため、ヨーロッパの近世への変化を十分とらえることができない。

第20回学習会報告

2017-08-30 17:06:14 | 学習会
第20回学習会は、2017年7月11日(火)13時より、参加者22名で行いました。

今回の学習範囲は、「朝鮮戦争と日本の独立回復」(育鵬社P.258-259)について。


☆GHQは、日本が再び戦争を引き起こすことがないよう、民主化と非軍事化政策をすすめていったが、この時期、GHQは日本の民主化と非軍事化を徹底することをせず、
右旋回をすることになった。いつ、どうして右傾化していったのかが学習の中心となった。


1. 冷戦がまず大きく影響した

 戦後間もなく、連合国としてともに戦ったアメリカとソ連が、それぞれの勢力を広げ資本主義陣営と共産主義陣営という形で激しく対立するようになった。
戦火をまじえた戦いではなかったので、冷戦と呼んだ。この冷戦の間に、日本のまわりで大きな変化が現れた。

中国では、中国共産党が国民党に勝利し、中華人民共和国を樹立した。朝鮮では、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が樹立した。
アメリカは、中国をアジアの協力者にと考えていたが、共産党政権が樹立したため断念した。そこで、中国に代わって日本をアジアの同盟者にと考えるようになっていった。


2.二・一ゼネスト

1947年2月、賃金値上げ・生活向上などを求めて、数百万の労働者がゼネストを打とうとするが中止させられた。これ以後GHQの政策が大きく右旋回する。
これを機に日本の反共の防壁にとか、再軍備させるとかの声明が、アメリカ政府から発せられ、共産党員や共産党支持者が組織や団体から追放された。
その一方で、岸信介ら戦争協力者たちの釈放が行われた。また、同じく公職を追放されていた人たちが解除となり、政財界の指導者として活動を始める。


3.朝鮮戦争

 1950年、朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本の再軍備化をめざし、警察予備隊(約7万人)をつくるよう指令した。
(警察予備隊は1952年には「保安隊」、1954年には「自衛隊」に名称変更した)


4.サンフランシスコ平和条約

 1951年、サンフランシスコ平和条約を結び、日本は独立を回復した。
しかし、同時に結んだ日米安全保障条約により、アメリカ軍はそのまま日本に駐留し、基地を自由に使用することができた。
日本の民主化は中途半端に終わり、アメリカは冷戦体制の中で、日本をアメリカの従属的同盟国にしていった。



☆二・一ゼネストの中止命令以降、民主化・非軍事化とは反対の政策がとられることになったが、このゼネスト中止命令についてどの教科書も記述がない。
この点に疑問を感じると参加者からも指摘があった。


☆学び舎教科書は、朝鮮戦争の悲劇や、この戦争にアメリカの指示で参加させられ犠牲になった日本人のことも書いてある。

また、サンフランシスコ平和条約は、全面講和ではなく回復できなかった国があったこと、そのため現在も北朝鮮とは国交が開かれていないなど詳しく書かれている。