教科書採択を考える会ブログ

愛媛県松山市内の中学の歴史教科書が「育鵬社」版に変わるのを機に発足した会です。教科書比較の学習会も行っています。

第22回学習会報告 「80 冷戦と日本(p.260-261)」

2017-10-11 11:41:38 | 学習会
第22回学習会は、2017年9月12日(火)13時より23名の参加でおこないました。

今回の範囲は、戦後史のつづき。

育鵬社「80 冷戦と日本(p.260-261)」


東京書籍「4 独立回復と55年体制(p.249)」

「5 緊張緩和と日本外交(p.250-251)」


学び舎「(6)ゴジラの怒り、サダコの願いー原水禁運動ー(p.268-269)」

「(7)国会を包囲する人波ー日米安保条約の改定ー(p.270-271)」


チューターNさんの発表後の意見交流では、「60年安保」についての討論で盛り上がりました。


第21回学習会報告

2017-08-30 17:29:11 | 学習会
2017年8月11日(金・祝)13時30分より、第21回学習会をおこないました。

参加者は20名。

今回は、夏休み特別版として教育現場で活躍している山本宏光さんに、実際に育鵬社歴史教科書を使用しての感想を話していただきました。

確かな歴史研究の中での教科書の内容に対する鋭い指摘に大いに勉強させていただきました。


原始・古代・中世の3つの時代からそれぞれ問題だと感じたことについて話していただきました。


☆原始

 育鵬社は、“わが国固有”の歴史を強調するあまり、最新の学問研究に裏付けられた知見を軽視している。

また、人類史という広い視野で歴史を見たり、考えたり、とらえたりすることをしていない。

 日本の旧石器時代に深く触れないまま、文明のおこりよりも先に縄文文化を取り上げていく記述の流れは、人類史の発展というような側面・角度からの歴史に対する見方・考え方を遠ざけている。
多面的・多角的に考えようとする生徒の学びを狭めている。



☆古代

 学習指導要領は、歴史の中で大きな役割を果たした人物や、各時代の特色を表す文化遺産を取り上げることを重視しているが、入学したばかりの中学一年生が学ぶ内容として、

次の事柄については疑問視する声があり、最新の学問研究に裏付けられた知見というより「記紀」の記述に沿った“わが国固有”の歴史を強調するための説明になっている。

・飛鳥時代の詳細な説明や主観的な表現――例)鞍作鳥
・天武天皇と持統天皇、白鳳文化の協調
・伊勢神宮のおこりと式年遷宮の記述



☆中世

 最新の学問研究に裏付けられた知見はもとより、学習指導要領さえも軽視し、“わが国固有”の歴史にとらわれた狭さがある。

年代もページも前後していて、生徒が歴史の流をとらえる際に混乱してしまう要因をつくっている。

 一揆とは、「武士や農民が、普通のやり方では実現できない共通の目的を果たすためにあたらしい集団を結成すること」と説明し、
一揆は普通ではないとのマイナスイメージを与え、農民たちが成長する中で起こしたことには触れていない。
国一揆や一向一揆のあとに土一揆がでてきているが、逆であろう。

また、国一揆・一向一揆・土一揆、江戸時代の百姓一揆までをすべて一緒に論じているのは問題である。

 世界史を軽んじ、ルネサンス、宗教改革を本文の中に取り上げていない。そのため、ヨーロッパの近世への変化を十分とらえることができない。

第20回学習会報告

2017-08-30 17:06:14 | 学習会
第20回学習会は、2017年7月11日(火)13時より、参加者22名で行いました。

今回の学習範囲は、「朝鮮戦争と日本の独立回復」(育鵬社P.258-259)について。


☆GHQは、日本が再び戦争を引き起こすことがないよう、民主化と非軍事化政策をすすめていったが、この時期、GHQは日本の民主化と非軍事化を徹底することをせず、
右旋回をすることになった。いつ、どうして右傾化していったのかが学習の中心となった。


1. 冷戦がまず大きく影響した

 戦後間もなく、連合国としてともに戦ったアメリカとソ連が、それぞれの勢力を広げ資本主義陣営と共産主義陣営という形で激しく対立するようになった。
戦火をまじえた戦いではなかったので、冷戦と呼んだ。この冷戦の間に、日本のまわりで大きな変化が現れた。

中国では、中国共産党が国民党に勝利し、中華人民共和国を樹立した。朝鮮では、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が樹立した。
アメリカは、中国をアジアの協力者にと考えていたが、共産党政権が樹立したため断念した。そこで、中国に代わって日本をアジアの同盟者にと考えるようになっていった。


2.二・一ゼネスト

1947年2月、賃金値上げ・生活向上などを求めて、数百万の労働者がゼネストを打とうとするが中止させられた。これ以後GHQの政策が大きく右旋回する。
これを機に日本の反共の防壁にとか、再軍備させるとかの声明が、アメリカ政府から発せられ、共産党員や共産党支持者が組織や団体から追放された。
その一方で、岸信介ら戦争協力者たちの釈放が行われた。また、同じく公職を追放されていた人たちが解除となり、政財界の指導者として活動を始める。


3.朝鮮戦争

 1950年、朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本の再軍備化をめざし、警察予備隊(約7万人)をつくるよう指令した。
(警察予備隊は1952年には「保安隊」、1954年には「自衛隊」に名称変更した)


4.サンフランシスコ平和条約

 1951年、サンフランシスコ平和条約を結び、日本は独立を回復した。
しかし、同時に結んだ日米安全保障条約により、アメリカ軍はそのまま日本に駐留し、基地を自由に使用することができた。
日本の民主化は中途半端に終わり、アメリカは冷戦体制の中で、日本をアメリカの従属的同盟国にしていった。



☆二・一ゼネストの中止命令以降、民主化・非軍事化とは反対の政策がとられることになったが、このゼネスト中止命令についてどの教科書も記述がない。
この点に疑問を感じると参加者からも指摘があった。


☆学び舎教科書は、朝鮮戦争の悲劇や、この戦争にアメリカの指示で参加させられ犠牲になった日本人のことも書いてある。

また、サンフランシスコ平和条約は、全面講和ではなく回復できなかった国があったこと、そのため現在も北朝鮮とは国交が開かれていないなど詳しく書かれている。

 

第19回学習会報告

2017-06-25 10:20:15 | 学習会
第19回学習会報告です。

2017年6月13日(火) 13時より15時 教育会館第1会議室にて

参加者28名

育鵬社教科書p.254-257(日本国憲法については前回学習会で扱ったので除外)

東京書籍p.242-245

学び舎p.258-259、p.262-263




☆占領下の日本の状態がどのように記述されているか比べて話し合った。


<国民の生活>
・育鵬社は、戦後の国民の生活が大変だった様子には全く触れていない。

 戦後も深刻な食糧不足で、多くの餓死者を出した事実を記述すべき。これでは戦争による戦後の生活の苦しさを知ることはできない。


・学び舎や東京書籍では、戦争が国民生活に壊滅的な打撃を与え、失業者があふれ、多くの餓死者が出たことを書いている。

 また、大陸から引き揚げてきた子どもたちや、浮浪児の少年の話も取り上げている。


・学び舎では、1946年の食糧メーデーで、小学生が「学校給食をしてください」と訴えた結果、1日だけの学校給食がおこなわれた事実が書かれている。

 この頃の子どもたちの生活の様子がよくわかる。


<占領下の日本>
・3教科書とも「GHQの指令の下、軍国主義を排し、民主化を進めるために、政府が各種の改革を行ったこと」を書いている。

・育鵬社は、GHQを厳しく批判している(日本を軍国主義に導いたのは国家神道であるとし神社と国家機関との関係を厳しく分離したことや、

 過去の日本歴史や政策は誤っていたという宣伝を日本側に行わせたことなど)。また、GHQが占領政策や連合国への批判を禁じたことにも触れている。


・学び舎でも、GHQへの批判が書かれている

(報道や出版の検閲をおこない、占領政策への批判、米兵の暴行事件の報道禁止、原爆投下を批判した新聞の発行停止をしたことなど)。

 なお、1947年に260万人参加のストライキの中止命令を出したことに触れ、民主化に反する動きをとるようになったことも書かれている。


<極東国際軍事裁判>
・3教科書とも東条元首相など25人がA級戦犯として有罪判決を受けたこと、また、戦争犯罪人とみなした軍や政府などの指導者を公職から追放したことが書かれている。


・育鵬社は、極東国際軍事裁判に1ページをあて、裁判の不当性を強調している。

 インドのパール判事の無罪意見を取り上げるとともに、捕虜虐待などの戦争犯罪に問われた人々が十分な弁護を受けることもなく死刑に処せられたことが書かれている。

 また、東京裁判において、東京大空襲、原爆投下、満州侵攻、シベリア抑留など、戦勝国による戦争犯罪が罪に問われることはなかったという指摘もある。


・学び舎では、この裁判で昭和天皇の責任は問われなかったと記述している。天皇に触れているのは学び舎のみである。B級・C級戦犯の裁判について触れていないのは問題ではないか?

・東京書籍では、B級・C級戦犯の裁判も行われたことを書いている。


<昭和天皇>
・育鵬社のみ、昭和天皇について丸々1ページとっての記述がある。

 「天皇は立憲君主として、自分の考えと異なる政府の決定をも、認めなければならないという原則があった」とし、戦争責任は無いと明言している。

 国民を思う人格者として天皇を描いている。客観的事実と異なる内容に大きな問題を感じる。


第18回学習会報告 「日本国憲法はGHQの押し付けか?」

2017-05-27 14:49:37 | 学習会
第18回学習会は、2017年5月14日(日)13時より15時まで、教育会館第1会議室にて、参加者27名でした。

ご参加いただいた皆さん、お休みの日にありがとうございました。

☆育鵬社版教科書には、「日本国憲法はGHQに押し付けられた」と受け取れる記述がある。(p.255)

☆チューターのYさんは、日本国憲法の成立過程を通して、決して押し付けられたわけではないことを詳しく説明。



1.ポツダム宣言受諾(1945.8.14)により、日本政府は国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の国づくりに取り組むことを認め、

 降伏文書(1945.9.2)でその履行を約束した(民主的な憲法をつくることは政府の責務となった)。

以下、ポツダム宣言条文。

10条  日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍(しょうがい)は排除されるべきであり、

    言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。


11条  日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備にかかわらないものが保有できる。



2.幣原(しではら)内閣の下、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を設置(1945.10.13)。

3.高野(こうの)岩三郎、鈴木安蔵らが憲法研究会(民間機関)をつくる(1945.11.5)。

4.憲法問題調査委員会の松本烝治委員長が憲法改正の方向を示す「天皇が統治権を総攬(そうらん)する大原則に変更なし」(1945.12.8)

5.憲法研究会(鈴木安蔵ら)が首相官邸をGHQを訪れ『憲法草案要綱』を渡し、記者発表。「日本国の統治権は、日本国民より発す」。

 政府はまったく反応せず。GHQは翻訳を完成させる(1945.12.26)。

6.毎日新聞が、憲法問題調査委員会試案全文をスクープする。内容は大日本帝国憲法とほぼ同じ(1946.2.1)。

7.憲法問題調査委員会試案を見たホイットニー民政局長が、内容が民主主義からかけ離れたものであったためにマッカーサーに

 「憲法改正案(憲法問題調査委員会)が正式に提出される前に、彼らに指針を与える方がよいのでは」と進言(1946.2.2)。

8.マッカーサーがホイットニー民政局長に憲法改正の必須条件『マッカーサー三原則』を示す(1946.2.3)。

9.GHQ民政局が憲法草案の起草に着手(1946.2.4)。

10.GHQの提出要求に対して、憲法問題調査委員会の松本委員長が『憲法改正案の大綱』を提出。『大綱』はポツダム宣言の目的を充足できていないと、GHQ民政局より全面的に批判される。

11.GHQは日本政府の「改正案」をまったく受諾できないとし、GHQ案を提示(1946.2.13)。

12.幣原首相は閣議を開き、GHQ案を受け入れ、これを基に政府案をつくることを決定(1946.2.22)。

13.GHQと日本側とで審議に入り、『憲法改正草案要綱』を発表(1946.3.6)。

14.戦後第一回の総選挙実施(1946.4.10)。

15.吉田内閣成立。吉田首相は、「帝国議会で修正することは可能」と述べる(1946.5.29)。

16.衆議院に『帝国憲法改正草案(政府案)』が上程され、審議を通して修正。

  国民主権の明確化・生存権の挿入・中学校までの教育義務化など修正案が可決(1946.8.24)。

17.貴族院に回付され、可決。

18.日本国憲法公布(1946.11.3)。