誰も書かない「ハリウッド・ハワイ・米国」の本音トーク

Information about Hollywood, Hawaii and the U.S. 

映画英語 と コミュニケーション / English Language and Communication

2009-07-27 | 語学


前述のブログにも書いたが、言葉は「生き物」だから時代・時間によってどんどん変化している。特に日常会話に関しては辞書にも参考書にも載っていない。最近の映画・エンターテイメント関係の雑誌・書物に「映画」を表す単語に pic (ピック)を使っている。周知のように picture (ピクチャー・写真/映画)を短縮したものだ。

余談だが、アパートの女管理人が頻繁に refg (レフジ)を使う。こちらが refrigerator (リフリジレイター・冷蔵庫)と言っても又、同じ言葉がかえってくる。まあ、一般にアメリカ人はルーズで面倒くさがりだから単語を短縮したい気持ちも分からなくもない。でも最初にこの言葉を聞いた外国人は何のことか全く分からないだろう。40年以上米国に住んで「アメリカ人になった」神戸出身の友人がいる。彼との会話はすべて英語で日本語は一切お互いに出てこない。それは自分にとって大変勉強になる。なぜなら時折、彼が意味不明の単語を使う。それがその短縮形や現代会話用語だからで、1度目は分からなくとも3~4度繰り返して使われると何をさしているのかが明白になる。

他に「映画」を意味する単語として feature (フィーチャー)、movie (ムーヴィー)、film (フィルム)、motion pictures (モーション・ピクチャーズ)、cinema (シネマ)、screen (スクリーン)があるが、この中にも現在はほとんど使われていない死語がある。《ヨーロッパ英語では生きているような気はするが...。》

映画の中の字幕(superimpose / subtitle) を考える人には感服する。1秒間に24コマ(frame) 流れるフィルムの中で長く話された英語を短い時間、少ないコマ数で日本語に直訳・意訳・簡約しなくてはいけない。シーンの内容と字幕が全く異なることもしばしばある。《なぜ24コマかと言うと目の残像 (afterimage) 、残像後の画面のリフレッシュ (screen refresh) 、モーションのぼかし (motion blur) 、制作コスト面 (saving money) などすべてを考慮すると、自然の動きを再現する最善の数とされている。画像を良くしようとコマ数をいくら増やしていっても人間の見た目には全く変わらずフィルムの無駄になる。誰でも知っている事だが、動作の速い映像を撮るときはコマ数を減らし、スローモーション・動作の遅い映像の場合はコマ数をかなり増やして撮影する。》 同時・逐次通訳 (simultaneous / consecutive interpretation) でも同じ事が言いえるが所詮、文化、社会背景が全く違う人間が使っている2つの生活言葉を同時あるいは短時間に「正確に変えて伝える」のは不可能である。

アメリカ人に "I understand." 「分かりました。理解しました。」なんて言ったことはない。"I see." 「分かりました。なるほど。」の程度。相手の言っていることが70~80%理解出来、自分の言いたいことが70~80%伝われば「コミュニケーション100点満点以上」だといつも思っている。《日本語でもそこまでいっているかどうか、はなはだ疑問である!》

それでハリウッド映画と日本映画を鑑賞する際はすべてオリジナルのみにしている。お互いの字幕、吹き替えは観ないようにしているのは必ずどこかで「誤解」が生じるからである。#YS

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映画俳優 と 自動車 / Actors and Automobile

2009-07-26 | ハリウッド
        


【Ford 1967 Mustang 2+2 Fastback】



サンセット大通り(Sunset Boulevard) を歩いている時、驚いたことが1つある。それは1967年製フォード・ムスタング(Ford Mustang) の2+2ファーストバック(fastback) がサーと横を通りすぎて行ったからである。この車は俳優スティーブ・マックイーン(Steve McQueen) の映画 『ブリット(Bullitt)』 (1968年ワーナー映画)で大変有名になり、自分も2年中古で同型を購入し1970年に東京に持ち帰って乗り回した。車検、ガソリン代などの維持費が相当高額だったので30数年前に知人にあげたのだが、その人からもその当時すぐ廃車にしたとのことだった。それが今でも現役で走っている!そんな事があって毎日注意しながら見ていると何の事はない、1960年代のムスタングは結構あっちこっちで走っている。まあ、これも米国には車検制度がないからどんなポンコツ車でも動けば OK なのは分かるが。

この車には色々と自分なりの話があって、まず1つは、アカの他人の青二才を無条件でやっとてくれた恩人の俳優・三船敏郎氏とのことで、撮影の合間に自分の車で休んでいたら三船社長(株式会社・三船プロダクション)が侍のズラ(かつらのこと)をかぶったまま近づいてきて「どうだ、車を交換しようか?」と言って来た。氏は数台、高級車を所有していたが多分隣に駐車していたグリーン色の英国製ジャガーのことだったと思う。笑ってその場をごまかしたが、今思えば交換しておけばよかった。ジャガーの方が数倍高額だった。

三船敏郎*三船プロダクション http://www.mifuneproductions.co.jp/

そもそもこの自動車を最初から好きで購入したわけではない。ビバリーヒルズの住み込み宅の主人が「ムスタングを買うならホワイト・ムスタングを!」としつっこく言う。自分としては赤色のオープンカーのものがほしかったのに!「ホワイト(white) ムスタング (Mustang)」、すなわち「野生の白馬」にこだわっていたことが後から分かった。

「野生の白馬」に乗る「騎士」(自分がそう思っていたのではない!)とは良くいったもので、通っていた大学の先生がビバリーヒルズの夫妻と同じようなことを言って近づいてきた。その先生は1939年MGM映画 『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』 などで有名な俳優クラーク・ゲーブル(Clark Gable) が実際使用していた白色の2人乗りサンダーバード(Ford Thunderbird) オープンカーを所有していた。その車が自分の理想のものだったので大変うらやましく思った。

1950年代、1960年代の車にかなり詳しくなったのは「カーキチ(=車が気が狂うほど好きな)」だっただけではなく、アルバイトとして高級車の運転手(chauffeur) をしたり、ガソリンスタンド(gas station) や駐車場 (parking lot) で働いたからである。

大学間のアメフト(American football) 試合で全米で有名なのが UCLA (University of California Los Angeles カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校)と USC (University of Southern California 南カルフォルニア大学)だが、たまたまその試合があるときにスタジアムの隣にあるガソリンスタンドで働いていた。そのゲームがある日は駐車場に変身。カギ付きの車、約200台をびっしりと詰めて駐車させるのが仕事で、ありとあらゆる車が運転出来た。その中に高級車で乗りつけて来たどこかで見たことのある「ムスタッシュ(mustache) ヒゲのはえた人」がいた。1965年に米アカデミー賞5部門受賞したMGM映画 『ドクトルジバゴ(Doctor Zhivago)』 の俳優オマー・シャリフ(Omar Sharif) だった。彼の車は覚えていないがその時の彼の顔はハッキリと記憶にある。勿論、彼からも駐車代2ドルを徴収した。

車をいじっていると色々な情報が入ってくる。その内の一つが俳優・歌手エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley) の愛用車は特注のベントレー(Bentley) だと。その時、プレスリーは健在でベントレーという最高級車は1966年に製造を中止し当時ほとんど走っていない。ロールスロイス、リンカーン・コンチネンタル、キャデラック・フリートウッド、メルセデス・ベンツ、コーヴェット、サンダーバード、ジャガー、ランボルギーニなどなど、ありとあらゆる新車の高級車を運転していた自分にも初耳。興味心身で色々と探したが見つけたのがその1年後。それが彼の車だったかどうかは分からないが、顔とお尻の大変セクシーな(女性の話ではなく、車の前面・後部面のこと!)黒塗りの大型セダンだった。

現在はリッチ(rich) であれば誰でもどんな車にでも乗れるから、それが有名人のステイタス(status) の象徴になっているとは思わない。 #YS

           
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自動車社会 と 新発見 / Automobile

2009-07-25 | 米国事情

[写真はファーマーズ・マーケット(Farmer's Market) と高級住宅街ビバリーヒルズ市隣接のビジネス地区・センチュリーシティ (Century City)]



米国社会、特にロスアンゼルスで車が無いという事は「致命的 (critical)」である。それをジャーナリスト・評論家 (journalist/critic) の竹村健一氏の昔の書物『逆転の発想...』の考えをもってすれば「ラッキー」である。ハワイのホノルル市でもそうだったのだが自動車がないので色々な事を考える。目的地にどうやってたどり着こうかと。

まず、「足」があるから「道」があって時間と労力さえ許せばどこにでも必ず行けるはずである。それが1時間、2時間、あるいは5時間かかろうとも。[20年位前にエルビス・プレスリー (Elvis Presley) で有名なテネシー州メンフィス市 (Memphis, Tennessee) をやむ終えなく街の端から端まで深夜から朝方にかけて8時間歩いた事を思い出した!] 時間と労力を短縮するには自家用車以外の公共交通 (public transportation) 手段を考えるが、そこでまずバスの路線を徹底的に調べる。地図などを見ていく内に、なんとロスにも地下鉄 ("Metro") が通っているではないか!!まさかとは思ったが現在、存在している!英語で言うとアメィジィング Amazing! 「全くの驚き」である。それもかなり広範囲にカバーされているのでバスと併用すれば何のことはない、車で高速道路網 (freeways) などを使ってかかる時間と比べて若干多いか、あるいは全く変わらないことが分かった。新発見!

次に徒歩と公共交通機関を使うと否応なしにも人と接する機会が多くなるし、人間観察が楽しめる。いつも逆境の際に、必ずそれをプラス思考にして物事を考えるようになったのも中学生時代に読んだ竹村氏の本のお陰である。改めて、氏にThank you so much! #YS

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食生活 / Eating Habits

2009-07-25 | 米国事情
        

朝食 (breakfast) を摂りながらこのブログを書いているが、朝食といってもレーズン(raisins) 入りのシアリアル (cereal) に牛乳をかけたものとコーヒーを一杯である。たまにはパンにハムをはさんでサンドイッチ(sandwich) でも食べたいと思うが、ホテルに滞在する時以外はこれが一応自分のアメリカの定番になっている。大学生時代にユダヤ系アメリカ人夫妻の家で、このメニューにグレープフルーツ(grapefruit) 半分を足した朝食を1年365日、毎日4年近く続けたというか無理やり食べさせられた「賜物」である。別に懐かしいのではなく自然とそれを食べてしまう。

人間の慣れというのは今更ながら面白い。京都であれだけ沢山食べたおいしい米、ご飯を今食べたいとは思わないし現在、全然口にしていない。気候、空気、水、環境などのせいで体がそうなってしまうのかもしれないが、これも人様々、皆違うので「自分にとっては」とだけ言っておこう。

「糖尿病 (diabetes) 大国」、「肥満 (fat) 大国」のアメリカで一番気になるのがやはり食事、スーパーでの食料の買い出しである。外食したらそれがファーストフード (fast food) であれ高級レストランであれ、こちらの量からするとかなりの余分なカロリー (calorie)、脂(fat) を摂ることになる。矛盾していると思うのが、各食料品にカロリー・内容物(ingredients) ・ビタミン (vitamin) 分析数値の表示が厳しく定められているのに、見るからに脂っこいものを平気で購入するし、外ではジャンクフード (junk food) で体には良くないと分かるのに平気で食べる。これも国民性 (nationality) の違いか。勿論、それらにシビア (severe) で気をつけている人もいるのだが何せ日本の3倍以上の人口 (population) と移民 (immigrants)・雑人種のせいか「皆がしている」ことは「正しく」、「皆がやっていれば怖くない」のチャランポラン主義だと感じる。まあ、この考え方は日本も同じではある。

友人が最近かなり「腹」が出てきてダイエットのため・健康のため野菜サラダを沢山摂る様にしていると言ってたが、問題はそれにかけるドレッシング (dressing) で全くそれは解消されていないという。調味料・シーズニング (seasoning) で思い出しのが「マヨネーズ (mayonnaise)」。この50年近くアメリカ人の口からこの言葉を聞いたことがなかった。その理由が分かったのが数年前で、大阪のお好み焼き会社のオーナー(owner) がニューヨークに店舗を出したいというので領事館の外交官、米ビジネスマン10名でそのレストランのお好み焼き全種を試食したことがあった。その際の米側の主なアドバイスとして「マヨネーズとは米国では『脂』を意味し、絶対にこの言葉を使わないこと」であった。「米国では日本のマヨネーズはジャパニー・シーズニングということに!」

昨日、ダウンタウンにある日本食料品スーパーに入ってみた。普通のスーパーと同じようにマヨネーズを探すのは至難の技。やっとその棚を見つけたと思ったらどこにでもあるマヨネーズと変わらない。隅っこにあったキューピーマヨネーズを見つけ裏に書いてある表示を隅から隅まで読んで他のものと比べてみた。唖然とした。ビタミン項目すべてゼロ%。脂と塩化ナトリウム(sodium) のみ。やっとお好み焼きの試食会の意味が分かった!それでも大好物のニンジン(carrot) とセロリ(celery) のために仕方なく購入した! #YS

      
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ビバリーヒルズの最高級ホテル / The Top Grade Hotels in Beverly Hills

2009-07-12 | ハリウッド



【The Beverly Wilshire】


【The Beverly Hills Hotel】


【The Beverly Hilton】



マイケル・ジャクソン(Michael Jackson) の葬式(funeral) 前の遺族・親族だけの会食がビバリーウィルシャー(The Beverly Wilshire) のホテルで行われたと、テレビで何度も何度も放映していた。このホテルはリチャード・ギア(Richard Gere) とジュリア・ロバーツ(Julia Roberts) 主演で1990年に大ヒットした映画『プリティウーマン (Pretty Woman)』で有名になった場所である。1964年にこれまた大ヒットしたロィ・オービソン(Roy Orbison) の "Oh, Pretty Woman" を、この映画の主題歌に持ってきたところが良かったのだろう。

それはともかく、ここは個人的にもかなり思い出があるホテルで、金持ちのユダヤ系アメリカ人(American Jew) 老夫婦のところで住み込み "house boy" をしていたのがこの近くだった。歩いても行ける距離で、なにか祝い事があればこのホテルを利用していたのでかなり頻繁に出入りしていた。1960代当時の3大高級ホテルというとこのビバリーウィルシャー、ビバリーヒルズ・ホテル(The Beverly Hills Hotel)、そしてビバリーヒルトン(The Beverly Hilton) だった。調べたらすべて今も健在だった。

住み込み「家政学生」でもこの老夫婦は息子のような扱いをしてくれたので、これらのホテルでの夕食フルコースは経験している。今でも決して忘れられないのが、ビバリーヒルズ・ホテルの食事である。スープ、前菜が2皿、メインが3皿、デザートが2回、たぶん洋食のフルコースとしてはこれ以上のものはないと思う。当時70後半から80歳前半だったので、このフィンクスト(Pfingst) 夫妻はもう亡くなられているとは思うが、感謝すると共にご冥福をお祈りしたい。万が一、墓地(cemetery) がわかるようなことがあればお参りしたい。#YS

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ハリウッドの通り / Streets in Hollywood

2009-07-06 | ハリウッド
    

[ハリウッド]

地図を広げて思い出した。ロスアンゼルス、特に北端に位置するハリウッド (Hollywood)、ウエスト・ハリウッド (West Hollywood)、ビバリーヒルズ (Beverly Hills) は京都市の「碁盤の目」の道路と同じようになっている。

昔からの偏見かもしれないが、その中でも東西に走っている道には「品」を感じるが、南北に走る道は閑散としているからあまり好きではない。
東西道路で有名なのは北から:
ハリウッド通り (Hollywood Boulverd) Boulverd の省略形は Blvd.
サンセット通り (Sunset Blvd.)
サンタモニカ通り (Santa Monica Blvd.)
メルローズ通り (Melrose Avenue) Avenue の省略形は Ave.
ビバリー通り (Beverly Blvd.)
サード通り (3rd Street) Street の省略形は St.
ウィルシャー通り (Wilshire Blvd.)
オリンピック通り (Olympic Blvd.)

である。なぜこれらの道が有名かというと、ほとんどが映画スター高級住宅街、金持ちのユダヤ系アメリカ人 (American-Jew / Jewish-American) コミュニティのビバリーヒルズ市を通っているからである。映画、テレビのセレブ (celebrity) の話が出ればこれらの街路地の名前も出るし、映画の中のストーリー (story) にも頻繁に出てくる。

『通り』の英語の表示は沢山あって、一般的にブルバード(Boulverd)、アヴェニュー(Avenue)、ストリート(Street) は広い道路、ドライブ(Drive = Dr.)、ロード(Road = Rd.)、ウェイ(Way = WY), プレイス(Place = PL) が狭い道路とされているが、これもあてにできない。すべて『通り』である。

京都の町並みの夜景を山の上から見たことがないが、北端ハリウッド・ヒルズ (Hollywood Hills) にあるグリフィス・パーク (Griffith Park) から見るロスアンゼルスの夜景はすごい。「碁盤の目」がくっきりと浮かびあがる。これも映画のシーン(scene) によく出てくる光景である。

[写真は左から、サンセット通り、ハリウッド通り、ハイランド通り (Highland Ave.)] #YS

        
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第3の故郷・ロスアンゼルス / LA as My Third Hometown

2009-07-04 | ハリウッド

          
[ハリウッド]

日本人に聞いても、アメリカ人に聞いても、米国のロスアンゼルス (Los Angeles スペイン語で「天使たち」の意味) が好きな人はほとんどいない。それもその筈、何せこの都市圏はだだ広い。フリーウェイ (freeway 無料高速道路網)で車で飛ばしても相当の時間がかかる。観光でもするような事になれば移動だけで一日の大半を使ってしまう。ロスアンゼルス都市圏には、ロスアンゼルス、ビバリーヒルズ (Beverly Hills)、サンタモニカ (Santa Monica)、ロングビーチ (Long Beach) 市などが含まれ、面積は京都、大阪、神戸の3大都市を合わせたのとほとんど同じである。(人口は1300万人で京阪神の1860万人よりやや少ない。)

40数年ぶりにロスに来た。京都が1番の故郷 (hometown)で、生まれた東京が2番。大学生時代に4年住んだこの都市が3番というところ。ロスと言っても活動していたのがビバリーヒルズとハリウッド (Hollywood) で、所有していたフォードのムスタング (Ford Mustang) や英国のサンビーム (Sunbeam) で市内を乗りまわしていた。それは遊びというよりは車社会の必需品で、それがたまたまスポーツカーだっただけである。

ハリウッドは映画・テレビ・エンターテイメント関係のスタジオが散在するだけのところだが、観光スポットはハリウッド通り(Hollywood Boulverd) にあるグローマンズ・チャイニーズ・シアター(Grauman's Chinese Theatre) の映画スターのサイン手形と、通りの両側の歩道に敷いてある (Walk of Fame) 数千のスターの名前を探すことくらいである。現在、マイケル・ジャクソン (Michael Jackson) の死亡によって特に賑わっている。

ディズニーランド (Disneyland) は千葉にあるし、ユニーヴァーサル・スタジオ (Universal Studio) も大阪にあるのでわざわざロスにまで来て見る必要はないし、ハリウッドの映画観光は日本人にとって過去のもの。観光客はかなり多いのだが、ほとんどがアメリカ人、南米人、ヨーロッパ人、中国人で日本人は2~3組の若いカップルくらいしか見なかった。

アパート探しでかなり広範囲に歩き回っているのだが、町並みは昔とほとんど変わっていない。歴史が浅いせいか(建国233年)、古いものを大切に使うという理由のせいか、主要大通り以外の道路、歩道のメインテナンスはかなり悪い。家々も遠くから見ると広くてグリーンが多く一見美しく思ってしまうが、近くでよく見るとかなり手入れを怠っているのがわかる。これもアメリカ人の大らかさだと思えば気にする必要はない。チャイニーズ・シアター近くのコダック・シアター(Kodak Theater) と周りに3~4の新しいビル、ショッピング・モール (shopping mall) が新しく出来たくらいで昔の写真と今の写真を比べてもたぶん違いがわからないと思う。#YS



1975年の写真
左から:
ボブ・ホープ(Bob Hope 1903~2003 コメディアン・映画俳優)
ジョン・ウェイン(John Wayne 1907~1979 映画俳優)
ロナルド・レーガン」(Ronald Reagan 1911~2004 映画俳優・カリフォルニア州知事・のちに 米国大統領)
ディーン・マーティン(Dean Martin 1917~1995 歌手・映画俳優)
フランク・シナトラ(Frank Sinatra 1915~1998 歌手)








 
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