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期末で出る漢文の内容をまとめるぞ!!

2010-06-18 20:50:39 | Weblog
期末試験範囲の漢文を実況解説しちゃうからねっ!! 
※今回は文系の人の範囲もやっちゃいます!!嬉しくなるとついやっちゃうんだ★  (間違ってても知らん)
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【蘇武持節】 (精選古典P110-P111)

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・序章 「タイトルの解説」

まずこの「蘇武持節」だけど、初見だと何て読むかわからないよね。(俺だけかな?)
これはレ点を「持」の字の下につけて、「蘇武(そぶ) 節(せつ) を 持す(じす)」なのです。

「蘇武」と言うのは、古代中国である「漢」の皇帝に仕えた司令官であります。
(文中では「中郎将」という役職名になっていますね。)

次に、「節」をの意味を解説する前に「忠節」という言葉をイメージしてみてください。
「忠節」の意味は「君主への忠義をかたく守ること」ですよね?
つまり「節」と言うのを「国に対しての忠義」と考え、これを「国旗」と置き換えます。
すなわち、ここでは漢の皇帝から受け取る「旗」の事を意味しています。

このタイトルの意味を簡潔に述べてみます。
「蘇武さんは何があっても国の旗を持って放さない程、忠節心の深い人だ。」・・・まあ、こんな感じ。
では、実際にどんな人だったのか、わかりやすく全訳してみますね。

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・1章 「 Let's 翻訳!」


「武帝」という皇帝が漢を治めていた時代の年号「天漢」の元年、
漢の国は「中郎将」の役職についている「蘇武」を、中国北部の遊牧民族国家「匈奴」に使者として送った。

(※「匈奴」は中国を脅かす遊牧騎馬民族で、「万里の長城」も彼らからの攻撃を防ぐ為に出来た。)

「匈奴」の王である「単于(ぜんう)」は「蘇武」の能力を見抜き部下にしようと思った。
(しかし従おうとしなかったので、)「蘇武」を大きな穴の中に監禁して飲み食いさせなかった。
そこで「蘇武」は毛織物(せん毛)を一緒に混ぜて飲みこんだ。
なので数日経っても死ななかった。

「匈奴」は、「蘇武」を普通の人間でない不思議な力を持つ者、と思い、
「蘇武」を北海のほとりの人のいない場所に移し、(「蘇武」に)オスの羊を飼育させながらこう言った、
「もし、このオスの羊が乳を出したら、漢に帰ることができるだろう。」と。

(※「おひつじが乳を出す事は無い」⇒「ほとんど不可能である」ということを示している。)


「昭帝」という「武帝」の次の国王の時代の元六年に、「蘇武」はやっと「匈奴」から帰った。
「蘇武」は最初(匈奴に捕まり)、北海の近くに移されたが、
野ねずみの収めていた草の実を掘り出して、これを食べ(生き伸び)た。
寝ている時も起きている時も、漢の国の皇帝「武帝」から与えられた「旗」を肌身離さず持っていたので、
「ヤク (チベット高原に生息するウシ)の毛が擦り切れてすっかり落ちてしまった。

(※タイトルが言っているのはこの事。)


(「匈奴」に降伏した元漢の武将の)「李陵」は「蘇武」に向かって、
(李陵):「人生は朝露のようにはかないものだ。」
(李陵)「どうしてこのようにあなたは苦しむのか、いや苦しまなくて良い。」
・・・と言った。
「陵(李陵)」と「衛律 (同じく漢の武将)は「匈奴」に降伏して、両者とも裕福、そして身分も高くなった。
「衛律」もしばしば「蘇武」に降伏することを勧めた。
(しかし、)「蘇武」は最後まで承知しなかった。

(※ "反語" 「いや~」は訳さずに、 "疑問" 「どうして~か」だけで捉えても良い。)


漢の使者が「匈奴」へやって来た。(「蘇武」を返すように要求する為)
匈奴は嘘をついて、「蘇武はとうに死んでしまった」と言った。
漢の使者はそれが嘘である事を知り、こう言った。
「我が天子が上林苑(漢の都「長安」にあった、天子の庭園)で狩りをなさり、1羽の雁を仕留められました。
その雁の足に絹に書いた手紙がついていて、『蘇武は大きな湿地帯で生きている。』と書いてありました。」
匈奴は隠す事が出来なくなった。
そこで、蘇武を返還した。


蘇武は匈奴に19年の間とどまっていた。
男盛りの頃に漢を出たが、帰ってきた時には、あごひげと髪は真っ白になっていた。
漢の「昭帝」は蘇武を「典属国」に任命した。

※典属国というのは、属国の事を司る官のこと。"拝して典属国と成す"は覚えておくこと。


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【不死之薬】 (精選古典P109)

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ここからは、良く分からないので訳だけ載せておきます。


不死の薬を荊王に献上した者がいた。
取り次ぎ役が薬を中に持って行った。
側近が「食べてもよいか」と尋ねた。
取り次ぎ役は「食べられます」と答えた。
そこで側近はこれを取って食べた。

荊王はひどく怒り、部下に側近を殺させようとした。
側近は人を通し王に弁解して貰ってこう言った、

「私は取り次ぎ役に尋ねました。すると取り次ぎ役は『食べてもよい。』と言いました。
だから私は食べました。私に罪は無く、罪は取り次ぎ役にあるのです。
また、客が不死の薬を献上し、私がそれを食べ、王が私を殺した、となると、客は王をだました事になります。
そもそも、罪のない私を殺して、人が王をだましたことを明らかにする。
そんなことよりも私をお許しになる方が良いと思います。」

そこで荊王は側近を殺さないことにした。


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【漱石枕流】 (精選古典P112)

※読みは「石に口すすぎ、流れに枕(まくら)す」。なお、「夏目漱石」の「漱石」はこの故事から来ている。

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孫子荊(才能はあるが協調性に欠ける晋の人間)が若かった頃、
俗世間から退こうとして、王武子(孫子荊と親しく交際し、学・弓・馬に優れていたが、気性が激しい人物)に話した時に、
「石を枕にして川の流れで口をすすぐ。」と言うべきところを、誤って「石で口をすすぎ川の流れを枕にする。」と言ってしまった。

そこで王武子が尋ねた、「川の流れを枕にしたり、石で口をすすぐ事が出来るのだろうか。」と。
すると孫子荊は答えた、「流れを枕にするのは、俗事で汚された耳を洗う為である。
石で口をすすぐのは、歯を磨くためである。」と。


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コメント:疲れたww (そんなことよりも、石で口をすすいだらフガフガってなるよねw)

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