川越雑記帳2(川越見て歩き)

44-13 稲荷神社と馬頭観音

 「さらに南下する。牛頭観世音を左折して曲りくねった道を行くと、稲荷神社と石塔がある。石塔は明治三三年、村内に疫病がはやったとき、中野平三郎、関根藤太郎などが世話人となって、疫病退散を願って建てたもの。」



 「散歩」にある牛頭観世音がどこにあるかわからなかった。
 氷川神社から700㍍ほど南下して左折すると、入間川の堤防が見え、その手前に神社らしきものが見えた。



 道は少し先で左折し直ぐ右折、たしかに曲りくねっていた。
道は右にカーブしながら神社の脇に出た。
神社には、アルミポールに続いて、二つの鳥居が並んでいた。
アルミポールには、「東稲荷神社」と書いてあった。



 手前の鳥居はかなり低かったが、鳥居を潜ると高くなった所に社殿があった。
 境内には石の祠はあったが、石塔はどこにあるか分からなかった。



 神社よりも少し南の左側、駐車場脇に屋根のついた石塔があった。
これが「散歩」に書いてある疫病退散を願った石塔であろうか。



 「すぐ近くに、小さな馬頭観音が五基ある。この道は、もと秋葉神社(大宮市)を通って中山道へ出る秋葉街道で、馬車や牛車の通行が多かったため、馬主連中が建てた。」

 石塔の直ぐ脇に、道に沿って五つの馬頭観音が並んでいた。

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