こんばんは、ジニーです。
失くしたものは、どこに行くのでしょうか?
僕はよくものを失くします。
そのほとんどがしまった場所を忘れているような感じですが、
いまだに見つからない大切だったものもあります。
風早の町の、赤い大きな鳥居の近くに
時々現れるコンビニたそがれ堂では、そういった失くしたものを
心から見つけたいと思っている人の目の前に現れます。
いつもでもおでんとお稲荷さんのいい匂いが漂って、
銀髪の金色の瞳をした店員さんが、迎えてくれる魔法のコンビニ。
出逢うためには、ある条件が必要です。
この作品は、5つの短編からなる、短編小説。
どの物語の主人公も、大切な何かを探しているうちに
このたそがれ堂に出逢い、探していたものを見つけます。
そう、出会うための条件は「心から探しているものがある」こと。
「心から探しているもの」ってなんなのでしょう?
テレビのリモコン?
いつか来た手紙?
片割れの靴下?
どれも無くては困るものだけど、ちょっとニュアンスが違います。
物語の主人公たちは、何かしらの「見失いつつある自分」を探しています。
もちろん、コンビニに出逢った当初は気づかないのです。
出逢った後も、ひょっとしたら気づいていないかもしれません。
だって、誰も自分を探しているつもりはないのですから。
「探し物」に宿る想いというものがあります。
大切な友達への想いや、家族への想い。
でも、想いは目に見えないので、それが宿っている「物」を探すのです。
僕らは、往々にしてそうです。
良くも悪くも物に執着しています。
もちろん代えが利かないものだってありますが、よくよく考えると
本当に大切なのは、その「物」自体ではなく、そこに宿る想いだったり
することがあるのではないでしょうか?
例えば、子供のころにみんなで作った秘密基地。
今僕らは必ずしも秘密基地を望んではいませんが、その時共に過ごした
友達との思い出はいつまでも大切だし、失くしたくないものです。
コンビニたそがれ堂は、それを教えてくれるのです。
そのコンビニに迷い込んだ主人公たちは、確かに店の中で探し物を見つけるの
ですが、探し物そのものはあくまでもフィルターでしかなく
そこに込められた想いに触れて、また自分を見つけることができます。
他人からすれば些細なことかもしれませんが、
見失いつつある自分との再会は、感動的であり、奇跡のようなニュアンスを
秘めています。
そしてその瞬間には陽だまりのような温もりがあります。
いいおっさんになった僕でも、なんだか誇りすることができた本作。
もともとは子供向けの本だったようです。
なるほど、こんなに優しい物語は、きっと子供感受性を育て
そして教訓を知らぬ間に刻んでくれるよな気がします。
僕自身、子供に読ませたいと思いました。
ジャンルとしてはファンタジーなのでしょが、思い当たる節が
その都度自分と向き合わせてくれるような景色を連れてくるので
個人的にはとてもリアルな物語でもありました。
ああ、上手く解説できないなぁ。
多分、この作品は読むというよりは感じるものなんだと思います。
きっとそうだ(自分の語彙力と説明力がないだけ)。
この手の作品には論理的な解説を用いてはいけないのだと思う(ただの言い訳)。
一つ言えるのは、現実には存在しないであろうコンビニたそがれ堂に
本作品を通じて会えたことは、僕にとって結構衝撃的なことであるということ。
おでんやお稲荷さんのにおいは感じられないけど、
僕が何か心の底から探すものが出てきたとき、このたそがれ堂のことを
思い出せばきっと見つかると思うから。
意外とその時、本当に目の前にたそがれ堂が現れたりしするのかも。
割と本気で信じてみたりしてます。
失くしたものは、どこに行くのでしょうか?
僕はよくものを失くします。
そのほとんどがしまった場所を忘れているような感じですが、
いまだに見つからない大切だったものもあります。
風早の町の、赤い大きな鳥居の近くに
時々現れるコンビニたそがれ堂では、そういった失くしたものを
心から見つけたいと思っている人の目の前に現れます。
いつもでもおでんとお稲荷さんのいい匂いが漂って、
銀髪の金色の瞳をした店員さんが、迎えてくれる魔法のコンビニ。
出逢うためには、ある条件が必要です。
この作品は、5つの短編からなる、短編小説。
どの物語の主人公も、大切な何かを探しているうちに
このたそがれ堂に出逢い、探していたものを見つけます。
そう、出会うための条件は「心から探しているものがある」こと。
「心から探しているもの」ってなんなのでしょう?
テレビのリモコン?
いつか来た手紙?
片割れの靴下?
どれも無くては困るものだけど、ちょっとニュアンスが違います。
物語の主人公たちは、何かしらの「見失いつつある自分」を探しています。
もちろん、コンビニに出逢った当初は気づかないのです。
出逢った後も、ひょっとしたら気づいていないかもしれません。
だって、誰も自分を探しているつもりはないのですから。
「探し物」に宿る想いというものがあります。
大切な友達への想いや、家族への想い。
でも、想いは目に見えないので、それが宿っている「物」を探すのです。
僕らは、往々にしてそうです。
良くも悪くも物に執着しています。
もちろん代えが利かないものだってありますが、よくよく考えると
本当に大切なのは、その「物」自体ではなく、そこに宿る想いだったり
することがあるのではないでしょうか?
例えば、子供のころにみんなで作った秘密基地。
今僕らは必ずしも秘密基地を望んではいませんが、その時共に過ごした
友達との思い出はいつまでも大切だし、失くしたくないものです。
コンビニたそがれ堂は、それを教えてくれるのです。
そのコンビニに迷い込んだ主人公たちは、確かに店の中で探し物を見つけるの
ですが、探し物そのものはあくまでもフィルターでしかなく
そこに込められた想いに触れて、また自分を見つけることができます。
他人からすれば些細なことかもしれませんが、
見失いつつある自分との再会は、感動的であり、奇跡のようなニュアンスを
秘めています。
そしてその瞬間には陽だまりのような温もりがあります。
いいおっさんになった僕でも、なんだか誇りすることができた本作。
もともとは子供向けの本だったようです。
なるほど、こんなに優しい物語は、きっと子供感受性を育て
そして教訓を知らぬ間に刻んでくれるよな気がします。
僕自身、子供に読ませたいと思いました。
ジャンルとしてはファンタジーなのでしょが、思い当たる節が
その都度自分と向き合わせてくれるような景色を連れてくるので
個人的にはとてもリアルな物語でもありました。
ああ、上手く解説できないなぁ。
多分、この作品は読むというよりは感じるものなんだと思います。
きっとそうだ(自分の語彙力と説明力がないだけ)。
この手の作品には論理的な解説を用いてはいけないのだと思う(ただの言い訳)。
一つ言えるのは、現実には存在しないであろうコンビニたそがれ堂に
本作品を通じて会えたことは、僕にとって結構衝撃的なことであるということ。
おでんやお稲荷さんのにおいは感じられないけど、
僕が何か心の底から探すものが出てきたとき、このたそがれ堂のことを
思い出せばきっと見つかると思うから。
意外とその時、本当に目の前にたそがれ堂が現れたりしするのかも。
割と本気で信じてみたりしてます。
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