ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

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村山由佳 「BAD KIDS」 読了

2019年07月26日 23時22分57秒 | 読書
こんばんは、ジニーです。


今回の読了は、村山由佳さんの「BAD KIDS」です。

メッチャ久しぶりに読みました。
いつぶりかな?
10年ぶりくらいかもしれません。
いや、それ以上か?


それくらい久しぶりということです。


本作は1994年に発表された作品です。
主人公は、高校生の二人。
ひとりはラグビー部のエース、隆之。
もう一人は問題児の写真部部長、都。

それぞれに抱える恋と性の悩みをテーマにした作品です。
隆之が抱えるのは、同じラグビー部である同性の友人への恋心で、
都が抱えるのは、年上のカメラマンへの愛。
純真さがゆえに事故を認められず、戸惑い迷う10代の物語です。

このころの村山由佳さんは、10代の心情や焦燥感を切り取るのが
本当に巧みだなと感じます。
初めて手にしたのは22~3歳のころだったと思いますが、
微かに残っている10代の感覚が揺さぶれたのを覚えています。


何とも不器用な二人です。
不器用なりに壁にぶつかり、思い描く自分と現実の自分との隔たりに
いちいち傷つき悩む。
だからこそ互いの存在に安らぎや癒しを感じ、友人とも恋人とも
違うイノセントな関係を構築できたのでしょう。


いま、30代(というかアラフォー)になって読んでみると、
また違った観点で見ることができました。

当時読んでいた時は、主人公の二人に心象を重ねながら読んでいたように
感じますが、今回は違いました。
都の恋人である30代のカメラマン、北崎の視点が読み手としての
自分とリンクしたのです。

この視点から見ると、ホント主人公のふたりは危なっかしくて見てらんない
という感じになります。
しかし、北崎もまだまだ幼稚なところがあるもんで、「ああ、もう!」てなったり
なかなかに新鮮な視点をもって読み進めることができました。


いわゆる「優等生」とは程遠い隆之と都。
でも、二人のことを知れば知るほどそのまっすぐさに驚かされます。
ここまで純真なものが、なぜ「劣等生」となるのか、
「問題を起こさないいい子」からはじかれてしまうのか。
大衆の総意が正義となる世間の仕組みに馴染めない、マイノリティを
偏に「劣等生」と呼んでしまうことへの横暴を感じざるを得ない
純真さがゆえに馴染めないモラトリアムをとても感じる作品です。

きっと多くの人が、隆之と都の中にある正義のようなまばゆさを感じつつ
与することのできない理解不能さを感じ、その陰影の濃さに胸が詰まることでしょう。

こういう感じはほかの作家さんでは表現できない気がする。
村山由佳さんだから切り取れる「BAD KIDS」の純粋さ。

違和感ばかりの不協和音の中で、ほんの一瞬流れたたった一つの和音に
何処までも透明な安らぎを感じられるのは、この二人だからであって
今となれば、もう戻れない侘しさのようなものと、そういうものが自分にも
きっとあったはずと信じ込みたいエゴを感じられた作品です。

また、10年後に読んでみたいと思える作品でした。





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