独立輜重兵第四聯隊第四中隊

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台湾での或る警察官

2013-09-09 23:30:01 | 大東亜聖戦

 

 


大東亜青年塾 副塾長 上谷親夫

明治28年、日清戦争に勝利した我国は、台湾を統治することとなった、この為、「天皇陛下の命により」数多くの官吏 兵士が派遣され、始めて我が国の国土となった異国の地の、本土との一体化に真剣に取り組むこととなった。

当時台湾の先住部族数は十指を優に超え、独特の言語や風俗 習慣を有しており、直接これに接する下級官吏、特に警察官の苦労は、並大抵のものではなかった。その間にあって彼等は、決して権力を振り回す事無く、如何に「陛下の大御心を奉じ」徳を似てこれを日本の国民とするか、という事に腐心していた。その中で、北部の山岳に近い高原地帯に、勇猛を似て鳴らす先住民族の一部族がおり、そこの治安の維持に、一警察官が常駐していた。彼は言葉も通じぬその部族の化育に、家族も忘れて働き、その子供達を可愛がり、漸く彼等の信頼を得るようになった或るとき、彼等には恐ろしい風習がある事に気付かされた。それは彼等のお祭りに際して、人間の生首を供えて神々の霊を慰める、というものであった。そのに赴任した警察官は、誰かが犠牲となるこの風習だけは止めさせねばならぬ、と決心して、その長老 有力者達を説得して回った。しかしこれは、彼等の信仰する神様に対する事であり、永年に何代にも渡って行われて来た大切なお祭りであり、それを行わなかった事による神様の祟りを恐れて、彼等は決して「うん」とは言わなかった。そして逆に神様えの奉仕を警察官に説得する有り様であった。警察官は何回も何回も説得したが、どうしても承知せず、「首狩りは止める」という言葉は、どうしても聞く事が出来なかった。警察官は遂に「それでは明朝、夜明け前の未だ暗いときに、○○道を赤い頭巾を被った男が一人、馬に乗ってやって来るから、その者の首を切れ」と言った。部族の長老 有力者達は大変喜んで「これで神様の祟りを受ける事も無く、一年を無事に過ごす事が出来る」と語り合いながら帰って行った。明くる日の夜明け前、の選ばれた者数人が○○道で待っていると、警察官の言った通り、赤い頭巾を被った男が一人、馬に乗ってやって来た。それ-っとばかり襲いかかってその首を切り取って見ると、それは献身的に自分達を庇い、心から自分達の世話をし、子供達を可愛がって呉れていた、昨日の警察官の首であった。首を切った者は、腰を抜かさんばかりに驚いた。飛び帰って長老 有力者にこの事を話したが、長老 有力者は、何の言葉も発する事が出来なかった。あっちこっちから呻き声が発せられ、やがて長老の一人が「巡査様、俺達が悪かった。俺達が間違っていた。今日限り、首狩りは止めます」と、呻くように叫んだ。「止めます。止めます」と集まった者達は皆、呻くような叫び声をあげていた。実際にその日を限りとして、キッパリと彼等の首狩りは、行なわれなくなったのである。下級官吏に過ぎない一警察官に、どうしてこの様な崇高な行為が出来たのであろうか。それは自分が彼等を統治するのではない。「天皇陛下の大御心を、彼等に植え込まなければならない」という、高い使命感が、彼にこの様な行動をとらせたのであろう。

現今の我が国の公務員と称する者達の、服務精神の余りの卑悪さ-。公金流用、公金秘匿、無数の天下り等々、全く目を覆い、耳を閉ざしたくなる様な行状ばかりである。一警官の行動ながら天皇を中心に戴き、民族の高い理想の実現に邁進していた、明治の人々の清々しい奉職の精神を思う時、現状との余りの落差に、言う言葉を失うのである。

 


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