独立輜重兵第四聯隊第四中隊

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海上自衛艦で帰還へ ガダルカナルの御英霊

2014-09-21 19:27:00 | 英霊

御英霊がガダルカナル島より帰還される、遺骨の風化が進み残る遺骨も早期の帰還を望む。

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ガダルカナル島の戦没者遺骨、海自艦で帰還へ 政府主導し初の輸送

【ガダルカナル島(ソロモン諸島)=池田祥子】先の大戦の激戦地、ガダルカナル島で昨年夏以降に収容された戦没者の遺骨が19日、首都ホニアラに寄 港した海上自衛隊の練習艦隊に引き渡された。政府が実施する遺骨収集事業で海自の艦艇が遺骨を日本に送る初めての事例となる。安倍晋三首相は「国の責務」 として事業強化の方針を示しており、政府主導で戦没者遺骨の帰還を推進するモデルケースとして注目される。

 遺骨は、9月9日から現地で遺 骨収集を行った民間団体「ガダルカナル島未送還遺骨情報収集活動自主派遣隊」が収容した39柱を含む計137柱。同島は先の大戦中、旧日本軍が地上戦で本 格的に敗退した地で、以降、旧日本軍は戦場で遺骨を収容せず、遺族らには現地の砂や石を渡すきっかけになったとされる。

 19日、ホニアラ港で行われた引き渡し式には政府関係者や在留邦人ら約300人が出席。遺骨は、「海自儀仗(ぎじょう)隊」に栄誉礼で迎えられた後、厚生労働省の派遣団と自主派遣隊のメンバーから海自側に引き渡された。

 練習艦隊は初級幹部の遠洋練習航海のため、5月に日本を出航。10月24日に東京・晴海ふ頭に到着する予定だ。

 日本の艦艇が同島に入港したのは、昭和18年2月7日の旧日本軍撤退以降初めて。同島から生還した元陸軍軍曹で、自主派遣隊員の金泉潤子郎さん(95)=東京都板橋区=は「感無量。英霊も喜んでくれているはず」と涙ぐみながら話した。

引用元http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140920/plc14092008000008-n1.htm


ルーズベルトに宛てた手紙  市丸中将

2014-09-19 21:24:43 | 大東亜聖戦

冷静に歴史を知る事は国益に繋がる

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大東亜戦争末期、硫黄島での戦いにて海軍司令官を務められた市丸中将(当時少将)が総

­員突撃の前に書かれたルーズベルトに宛てた手紙です。この書の和文の方を通信将校の村­上大尉が腹に巻きつけ、英文の方を赤田邦夫中佐(二七航戦参謀)が身に付けました。戦­闘終了後、日本兵遺体の所持品を確かめていた米兵がそれを本国に持ち帰り、現在はアナ­ポリスにある海軍兵学校の博物館に展示されています。
日本の守備隊は陸軍が栗林忠道中将率いる1万3,586名、海軍が市丸利之助中将率い­る7,347名、合計2万933名です。相手の米軍は、11万の大軍でした。

 


元海軍大佐高松宮宣仁親王と硫黄島 遺骨収集

2014-09-17 21:59:16 | 英霊

菅直人が軍手をして遺骨収集した心無き政治パフオ-マンスとは大違いだ。

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5月から今年度の硫黄島遺骨帰還派遣が始まります。大変嬉しいことに多くの方がこの活動に理解を示して下さり、応募して下さっています。今日、紹介するエピソードは、昭和天皇の弟宮で、元海軍大佐の高松宮宣仁親王(海兵52期)が硫黄島に訪問された時の話です。
遺骨収集に熱心で総理まで務めた橋本龍太郎氏は一度、皇族の方に遺骨収集の現状をみてもらいたいと思っていました。此処から先は、阿川弘之氏の『高松宮と海軍』をそのまま引用します。
「昭 和四十六年三月、厚生政務次官の時(橋本氏が)、その希望が叶ひ、高松宮様と一緒に海上自衛隊のYS-11で硫黄島へ飛ぶ。新しく発見されて、未だ整理の 済んでゐない洞窟があった。米軍が火焔放射器を使ひ、奥へ逃げこむ日本兵をプルドーザーで生き埋めにしようとした為、苦しみもがき、土掘って出ようと試み た者みな、窒息死の状態で、その骨が入口周辺に折れかさなり積みかさなってゐた。

ぢかにありのままを御覧願ふのが一番いいと思って、事前に余計なことは話さなかったので、殿下は何の予備知識も無いまま、洞窟の前へ立たれた。一眼見てハッと息つめられる気配があり、やがて地べたに正座して、両手を突き首を垂れ、ぢいっと瞑想状態に入られた。同行の厚生大臣、政務次官、その他誰もが電気をかけられたやうになり、何を申し上げることも出来ず、ただうしろに立ちつくしてゐた。
れだけか、大変長く思へる時聞が経過し、一と言も言はず立ち上られた殿下を、皆で次の壕へ案内した。さきの新発見の壕は、到底中へ入って視察してもらへる 状態ではなかったが、今度のなら、整理が終ってゐる。それでも、収集し残した骨の小片があちこちに散らばってゐた。先導の者につづいて洞窟内へ入りかけ て、宮がちょっとためらふ様子を見せられた。おそらく、土足のまま戦死者の遺骨の上を歩くことにこだはりを感じられたのだらう。つと、靴を脱ぎ沓下をはづ し、素足になって、それから殿下の壕内視察が始まった。
硫黄島には海上自衛隊の駐屯部隊がゐる。隊員たちに聞いてみたが、此処ではみんな、止むを得ざることとして、骨を靴で踏んで歩くのが普通になってをり、素足で壕へ入って行った人なんかこれまでありませんよとの話だったと-。」

「壕に入る時は靴下を脱げ」とまで言うつもりはありませんが、こういった「戦没者を悼む」気持ちこそが御遺骨を収集する時に求められるのではないでしょうか。

参考文献 『高松宮と海軍』、阿川弘之 (著) 、中央公論社、1999
1987 年に亡くなった高松宮宣仁親王は生前膨大な日記を書き残されました。この日記を中央公論社から発刊する時に協力した阿川弘之氏が書かれた本です。阿川氏自 身、海軍での従軍経験があり、阿川氏から見た海軍も書かれており面白いです。阿川氏の著作『山本五十六』、『米内光政』、『井上成美』が戦後日本の海軍観 にあたえた影響は計り知れません。

引用元http://blog.livedoor.jp/jyma/archives/6625188.html

 


台湾の義務教育 社会科 親日的記載

2014-09-13 22:09:24 | 英霊

台湾の義務教育で使われている社会科の本を紹介したい。

この本は数年前に台湾行政機関に表敬訪問し帰国後、

台北駐日経済文化代表処(駐日台湾大使館)にお礼の挨拶に

行った時に頂いた本です。(日本語に訳してある)

対象は中学生で経済成長については日本統治時代のインフラが基礎になったと

記載してあります、全文にわたり韓国みたいな反日教育は一切していません。

以下原文

「日本統治時代になると、全面的で体系的な建設事業が初めて展開され、

基隆(き-るん)から高雄までの縦貫鉄道が完成した。

農業も灌漑用水路の建設、新種の農作物の導入、

化学肥料の使用等、日本統治時代に急速に発展した。

これらはみな、その後の台湾の長期経済発展の基礎となった。」


「寄せ書き日の丸」返還運動

2014-09-10 17:28:35 | 英霊

 

「寄せ書き日の丸」のは返還  捜索 受領 は厚生労働省外事室にお問い合わせ下さい。

以下コピ-

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近日、アメリカ・イギリスなどの旧連合国から「寄せ書き日の丸」を日本へ返還しようという活動が起きています。これはいったい、どういった活動でしょうか?「寄せ書き日の丸」返還運動に携わる「OBON2015」サポーターの西形公一さんにお話を伺いました。

「寄せ書き日の丸」とは

明智 まず最初に「寄せ書き日の丸」とは何ですか?

西形 もう70年前になる第二次世界大戦に日本も参戦したことはご存知だと思います。そのとき、戦地へと出征する兵士を激励し、また郷里の 皆が常にお前を守っているんだよ…と、お守りのように出征兵士の関係者が思いを込めて日章旗に寄せ書きし、兵士に手渡し贈ったのが「寄せ書き日の丸」で す。

兵士に手渡すお守りというと「千人針」が有名ですけれども、これは多くの女性が作るお守りであるのに対して「寄せ書き日の丸」は男性からのお守りという側面もあり、実際に寄せ書きされている名前は、女性による寄せ書きなどの例外もありますが、多くが男性です。

これがその出征兵士が残念なことに戦死、または捕虜になるなどして米英軍兵士の手に渡り、それが70年経ってネットオークションに出されるなどしてその問題が表面化し、また返還の動きがあることも同時にネットを経由して知られるようになって、現在に至っているわけです。

明智 ネットオークションへの出品がきっかけだったということは「日の丸」に関する活動であっても外国が発信源だということですね?

西形 そうです。日本国内ではこれまで、ほとんど知られていなかったと思います。

明智 実際のところ、この活動は日本ではどのくらい知られているのでしょうか?

西形 「OBON2015」の取り組みや働きかけに在日米国大使館のサポートを始め、戦後処理を担当する厚生労働省や日本遺族会がホーム ページを作るなどの取り組みを行うなど、問題意識はあります。しかし、一般庶民レベルではまだまだ告知が足りないというのが正直なところでしょう。

実際、寄せ書きされた方の遺族や関係者を探し当てることに成功し「寄せ書き日の丸」の返還にまでこぎつけた場合も、戦死の悲しみがあまりに 大きくて忘れられていました。特に先の大戦末期の日本軍が悲惨な撤退戦を繰り返しあちこちの方面で玉砕による全滅が相次いでいた際に戦死された方などは当 然、遺体の回収もままなりませんから、戦死の告知と共に送られて来たのは遺骨でなく代用の小石一個という話はよくあったわけです。

そんななか、遺族のもとに唯一の遺品として初めて戻ったのが「寄せ書き日の丸」というケースも多く、遺族や寄せ書きを実際に書いた関係者が存命の場合は、たいそう喜ばれています。「まさに奇跡だ」と仰る方もいたほどです。

海外では日本兵から奪った「寄せ書き日の丸」を軍事マニアが収集している

明智 では「寄せ書き日の丸」の送り先となる海外での現状はどうなのでしょうか?

西形 西洋文化の戦史によると、戦争初期の戦場における旗の役割は非常に重要不可欠でした。旗は軍隊を識別するのと交戦を先導する為に重要 な役割を持ち、兵士達は味方の旗に続いていくように訓練を受け攻撃しました。旗を見失うと兵士達は混乱し退却せざるおえなくなる為、旗は格好の攻撃目標と なり、又、敵軍旗を攻略することは手柄の中でも最高の業績と見なされました(米国の南北戦争中は、計1520個の名誉勲章が授与されましたが、その中の 467個の勲章は敵の旗を攻略したか、又は味方の旗を勇敢に守った兵士へ授与されました)。

戦争初期に使用されていた剣や槍から、大砲や航空機、戦車などへと様変わりするに従って、旗を目印に戦う様式は終わりを告げますが、それでもなお敵軍の旗を攻略するという考えは各兵士の胸中に根付きました。帰還時に旗を持ち帰ることは、名誉な事として全員が望んだのです。

第二次世界大戦に入って、殆ど全員の日本兵が所持していた「寄せ書き日の丸」は、連合軍兵たちにとっては夢の実現となりました。無数の数知 れない「寄せ書き日の丸」を戦利品(ウォー・トロフィー)として持ち帰った兵士達は、日本語が読めず、意味も分からないまま、敵国の国旗であると思ってい たのです。

これらの無数の「寄せ書き日の丸」は、戦後70年近くになった現在、元米兵のご本人、もしくはそのご家族や親戚が、日本にとって大切な物で あるのではないか、と返還を希望される人が増加してきています。中には営利目的で売買する人がいる反面、元米兵や、そのご家族たちは、日本の遺族へ返還す るべきものである。と、「OBON 2015」へ連絡して来られます。

それは、日本の遺族の為だけではなく、米国人にとっても過去の戦争に対する思いに「終止符」を打てる貴重な機会となり、相互関係の和解と友 好に繋がっていくのです。「家族」とは、国際間を乗り越え、誰一人にとっても共通に大切だと言う事が、「寄せ書き日の丸」返還を通して両国間の家族へ伝 わっているのが現状です。

明智 なるほど、そういう背景があったのですね。

西形 残念ながら外国人にとって戦死した兵士から取り上げた「千人針」は意味不明の布だったのでしょうが、「日章旗」は少なくとも相手方の 旗だと理解できたのでしょう。昔から「旗」は軍隊にとって重要な象徴ですし、日本でも明治維新の近代化以前、武士の時代から「旗奉行」なんていう役職が あったくらいですから、米英軍兵士にとっては重要な品に見えたのかもしれません。

英語でも「フラッグ」というだけでただ「旗」というだけでなく「軍旗」というニュアンスがあるくらいですから。このあたり、敗戦という悲し い歴史を背負った日本と、戦勝国として戦争が栄光の歴史になっているアメリカやイギリスとの、一般庶民レベルでの「意識の差」を感じずにはいられません。

明智 それが今回、どうして表に出るようになったのでしょう?

西形 長い間、こうした「ウォー・トロフィー」は海外の軍事マニアや戦史ファンのあいだで取引されていました。もともと欧米にはこうした 「ウォー・トロフィー」も含めた軍事関係のモノ(ミリタリーグッズ)を扱うショーやコンベンション、業者が多く、マーケットも日本人には想像もできないく らいに発達しているんですよ。

それがインターネットの登場によりネットオークションにも出されるようになることでショーやコンベンションに足を運ぶ軍事マニアや戦史ファ ンだけでなく、一般の庶民にもそうしたマーケットの存在が見えやすくなったわけです。また寄せ書きされているのは当然ながら日本語ですから、日本語がわか る方が目に触れる機会も急増したのだと思います。このほか欧米には「寄せ書き」のような習慣がないため単に「日本の旗」としてしか理解されず、また外国側 でも後ろめたいのか「日本への発送は受け付けない」としているネットオークションもありますし、日本側とのあいだで意思疎通や相互理解が進まなかった実態 もあります。

実際、日本以外では在日韓国人が朝鮮戦争に義勇兵として参戦したときに「寄せ書き太極旗」が贈られた、希少な実例があるくらいでしょう。国 旗のデザイン的に寄せ書きしやすいかどうかという事情もありそうです。「寄せ書き日の丸」が問題化した後ろには、そうした複雑な背景があるわけです。

「寄せ書き日の丸」そのものも基本的には死者から漁った遺品ですから倫理的に問題ですが、さらに問題なのは日本で「寄せ書き日の丸」を密か に収集して販売する業者がいること、ましてやそうしたマーケット目当てにニセモノの「寄せ書き日の丸」を作る者までいることですね。そうはいっても本物に みせないといけませんから、日本語が分かる者、つまりたいていは日本人ということになるわけですが、彼らが作って輸出しているわけです。こうなってくると もはや詐欺行為で、倫理的な問題以上の犯罪に近い世界となります。しかしこうしたニセモノの作成行為は地下で行われていますから、ほとんど見えないし具体 的な被害者も事実上いない世界。国をまたいだ詐欺行為のほとんどがそうであるように、明るみに出にくいのが現実です。詐欺の手口として「外国」を使うのは 残念ながら昔からの常套手段ではありますしね。

まとめますと「ウォー・トロフィー」のなかでも個人が特定できるものは世界的には非常に例が少なく「寄せ書き日の丸」はその数少ない例外であり、珍しい例だとはいえます。それだけに遺族や関係者が判明した際の喜びもまた、格別のものがあります。

「寄せ書き日の丸」のことをみなさんに知って欲しい

明智 今後の「寄せ書き日の丸」返還運動の展開についてどう考えていますか?

西形 アメリカの方に訴えたいのは、もしあなたが「寄せ書き日の丸」を持っているなら、その方の大切な家族・遺族や関係者、もしかすると寄 せ書きに名前を連ねた本人が必ず日本にいます、ということ。それは「ウォー・トロフィー」に相応しいものではありません。もしかするとあなたがお金を出し て入手した品かもしれませんが、相応しい方のところに返していただけませんか、と言いたいのです。もう戦争から70年が経ちました。返していただければ、 日本の方は必ず涙を流してあなたを歓迎します。そのお手伝いを是非ともさせていただきたい。

日本の方に訴えたいのは、とにかくこうした問題があることをまず知って欲しい。もし周囲やネットで「寄せ書き日の丸」があることに気づいた ら、厚生労働省や「OBON2015」に情報を寄せて欲しい、ということです。正直ここには社会科の時間に現代に近づくほど歴史がなおざりにされてきた構 造的な問題もあると思います。歴史と自分たちがつながってこないわけですから。また歴史や地域、家系などに詳しい方は「寄せ書き」されたお名前の苗字に地 域特有のものがあるかなど手がかりをお持ちの可能性もあります。そうした情報も寄せていただけるとありがたいです。といいますのも「地域名」の無い「寄せ 書き日の丸」が非常に多く、活動に大きな障壁となっているのです。

最後に、「OBON2015」もそうですし、私自身もかつてそうでしたが、この問題においては在外日本人の皆様の役割が重要です。あなたは 日本軍兵士の遺品に近いところにいらっしゃる、情報に触れる機会が多い方でもあるのです。もしあなたの周囲で日本人の遺品が売買されていることを知った ら、ぜひ日本の厚生労働省や「OBON2015」に連絡して欲しいと思います。

明智 行政やメディアに対して訴えたいことはありますか?

西形 もちろん行政やメディアの役割も重要です。国の役所としては厚生労働省が取り組んでいますが、海外で日本の窓口となる在外日本大使館 との連携を強化して欲しいと思います。また自治体の役所にはこの問題を知っていただき、厚生労働省や海外の大使館から問い合わせがあった際の体制を整えて いただきたいと思います。

厚生労働省

寄せ書きのある日章旗など戦没者の個人名が記載されている遺品をお持ちの方へ

戦没者の個人名が記載された日章旗などをインターネットオークションなどに出品された場合、御遺族の心情を害することもあります。取扱いにお困りの場合、厚生労働省の資料で御遺族が特定できることもありますので、情報をお寄せ下さい。

加えて日本からの輸出は日本が文化大国であるにも関わらず国際的な文化財保護の観点が弱く、骨董品の輸出に何ら規制を加えてい ないことも言われます。いみじくも日本から輸出している業者のひとりがその点を指摘しビジネスを止めるつもりはない、と言っていたのだそうです。諸外国の 実例を鑑みて、例えば製造後50年以上が経過した品の輸出を骨董品輸出と位置づけて登録制にするなども考えられます。そうすればニセモノを取り締まる道も 開けるわけです。このあたりの法整備の研究も省庁間で、あるいは国会議員のあいだで連携してやっていただきたいと思います。

また草の根の庶民が出征したゆえに起きた悲劇であることを考えますと「草の根」に近いところにある地方メディア、新聞・テレビ・ラジオの役 割も重要です。同時にこれは米英の地域メディアに訴えたいことでもあります。感覚では日本では特に新聞、米英では新聞とコミュニティラジオの役割が大きい ように思います。地域によってはケーブルテレビなどが役目を果たしやすい部分もあるかもしれません。

明智 なるほど、草の根の問題ですから草の根の役割が重要ということですね。本日はありがとうございました。

西形公一

1970年生まれ。幼少の頃から現代史や戦史、ノンフィクションに親しみ、立教大学史学科に進 学、西洋史・政治史を専攻。その後は昭和から平成へと政治改革の激動のなか歴史・現代史において抑圧されてきた「言論・表現の自由」から政治活動に携わり 旧民社党系の青年組織「民社ゆーす」事務局長などを歴任、その活動のなか再び現代史を学ぶ。その後ネパール留学を機にインド、タイで生活し、各国現地での 日本観や社会観を観察して回る。現在、「OBON2015」のサポーター。

「OBON2015」

「寄 せ書き日の丸」が遺族や関係者の下に戻らないことに心を痛めたアメリカ・オレゴン州在住のレックス・敬子 ジーク夫妻が立ち上げた、「寄せ書き日の丸」を日本の遺族・関係者に戻そうという取り組み。この活動を有志のサポーターがボランティアで支援する形をとっ ている(西形もこのボランティアサポーターの一員)。これまで何枚もの「寄せ書き日の丸」を遺族・関係者のもとに戻したほか、多くの返還を待つ「寄せ書き 日の丸」の遺族・関係者を捜索している。

引用元http://bylines.news.yahoo.co.jp/akechikaito/20140815-00038246/


小野田寛郎 国家意識覚醒の尖兵として

2014-09-05 15:03:43 | 英霊

小野田寛郎さんのコメントを引用しました、国民はこの事を良く考え自衛隊への理解を深める必要がある、他人事では済まされない。

以下引用

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国家意識覚醒の尖兵として

昨年度も各派遣地より元気溢れるお便りを頂きまして、誠に有難うございました。ご苦労をお察し申し上げ感謝に堪えません。往時、出征兵士の私達の戦友への心情は、軍歌「戦友」に歌われた通り「死んだら骨を頼むぞと、言い交わしたる二人仲」でした。然し乍ら残念にも戦に敗れた為、戦友の屍を戦野に残したままになりました。それが当時の国力だったのです。亡き戦友は理解して赦してくれたと思います。だが戦後復興と共に着手すべき遺骨収集は全く疎かにされました。理由は国家国民の思想意識がそうさせたのでしよう。でも国民の全てではありませんでした。今、皆さんの活動はこの誤りを正さんと、永年に渡りご苦労下さっています。私達老兵はこの若い方々にお願いする以外に手段は無いのです。現下の日本は、天の啓示と評されるまでの大地震の瓦礫の始末さえ、挙国一致で出来ない体たらくで、何が絆だと言いたくなります。国あって初めて生活の安定安心があることを忘れている者に、国防の重要性等判る訳がありませんが、口惜しくてなりません。骨を拾い、お祈り頂ける事を信じなければ「公の為に命を捧げる」ことは出来ないのです。この事を目覚めさす尖兵として、皆さんの益々の御活躍御発展を、心よりお祈り申し上げます。

引用元  JYMA発行「今何を語らん」

特定非営利活動法人 JYMA 日本青年遺骨収集団

 

JYMAへの感謝の言葉


家持が「海行かば」を作詞した経緯 準国歌

2014-09-05 10:51:30 | 日記

大伴家持が「海ゆかば」を高岡で詠んだなんて知らなかった。

捉え方は人それぞれだが誰かの為に「死ぬ」ではない、武士道精神の「葉隠」に記載してある 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」 「究極の恋は告白するなかれ影に寄り添い支える」

死ぬのではなく「私心を捨て公に尽くす」 このような言葉の原点が「海ゆかば」と考えます。

以下コピ-

この歌詞は、もともとは大伴家持(おおとものやかもち)の歌で、万葉集巻十八に収録されている長歌です。
原題は「賀陸奥国出金詔書歌(みちのくのくにに金 (くがね) をいだすしょうしょを賀(ほ)ぐうた)」で、東北地方で金の鉱脈が発見され、そのことを祝った歌として書かれました。

意訳

我ら大伴氏は、
遠い祖先の大久米主(おおくめぬし)という
神から続く誉れの家柄で、
何代にもわたって大君に仕えてきた。
だから私も、
海を行けば、水に漬かった屍となり
山を行けば、草の生す屍となって
大君のお足元に死のう。
後ろを振り返ることはするまい。
ますらおの汚れない名を守り抜くのだ!

引用元 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1867.html

詳しくは高岡万葉資料館 http://www.manreki.com/