独立輜重兵第四聯隊第四中隊

誰の影響も受けない独立したブログです。
戦史は公文書も参考に記載して行きます。
輜重兵の情報を求めています。

増税と国益

2013-09-26 19:52:05 | 経済

この言葉は政治家によく考えて欲しい。

-------------------------------------------------

西郷南洲翁遺訓第13条

(原文)
租税を薄くして、民を裕(ゆたか)にするは、即ち国力を養成する也。
故に国家多端にして、財用の足らざるを苦しむとも、租税の定制を確守し、上を損じて下を虐たげぬもの也。
能く(よく)古今の事跡を見よ。
道の明かならざる世にして、財用の不足を苦しむときは、必ず曲知小慧(きょくちしょうけい)の俗吏を用ひ、巧みに聚斂(しゅうれん)して、一時の欠乏に給 するを、理材に長ぜる良臣となし、手段を以て、苛酷に民を虐たげるゆえ、人民は苦悩に堪へ兼ね、聚斂を逃れんと、自然譎詐狡猾(しぜんきっさこうかつ)に 趣き、上下互に欺き、官民敵讐と成り、終に分崩離拆に至るにあらずや。 

(現代語訳)
税金を少なくして国民生活を豊かにすることは、国力を養成する。
だから国のやることが多く、財源不足で苦しむような事があっても、租税の決まった制度を守り、上の人間が損をしてでも、下の人達を、苦しめてはならない。
よく歴史を見よ。
道理が明らかでない世にあって、財源不足で苦しむときは、必ずこざかしい考えの持ち主のレベルの低い官を用いて、その場しのぎをする人を財政が良く分かる 立派な官と認め、(そういう官は)手段を選ばず、無理やり国民から税を取り立てるから、人々は苦しみに堪えかねて逃れようと、自然に嘘偽りを言って、上の 人間と下の人間がお互いに騙し合い、官と一般国民が敵対して、しまいには、国が分裂して崩壊するようになっているではないか。

 

引用元http://blog.livedoor.jp/yeah5266/archives/2010-08.html


凛として愛

2013-09-09 23:46:36 | 大東亜聖戦

ユ-チュ-ブ コメント文引用

この歳になるまで本当の戦争の姿が見えてませんでした。ただただ戦争を起こした昔の日本は悪かったなどと安易な気持ちでおりまし

­た。戦争のことなど考えることもなく深く追及することもなく、これまで生きてきた自分が情けないです。本当に戦争で亡くなった方­に心から申し訳ない気持ちで一杯になり涙が止まりませんでした。日本を守るためアジアを守るため、どうしてもしなければならなか­ったですね。結局は人種差別、白人が領土を広げるため資源を取るために起こしたことだったんですね。小さな国の小さな体の日本人­がよくここまで戦うことが事が出来たと本当に誇りに思います。ありがとうございました。


台湾での或る警察官

2013-09-09 23:30:01 | 大東亜聖戦

 

 


大東亜青年塾 副塾長 上谷親夫

明治28年、日清戦争に勝利した我国は、台湾を統治することとなった、この為、「天皇陛下の命により」数多くの官吏 兵士が派遣され、始めて我が国の国土となった異国の地の、本土との一体化に真剣に取り組むこととなった。

当時台湾の先住部族数は十指を優に超え、独特の言語や風俗 習慣を有しており、直接これに接する下級官吏、特に警察官の苦労は、並大抵のものではなかった。その間にあって彼等は、決して権力を振り回す事無く、如何に「陛下の大御心を奉じ」徳を似てこれを日本の国民とするか、という事に腐心していた。その中で、北部の山岳に近い高原地帯に、勇猛を似て鳴らす先住民族の一部族がおり、そこの治安の維持に、一警察官が常駐していた。彼は言葉も通じぬその部族の化育に、家族も忘れて働き、その子供達を可愛がり、漸く彼等の信頼を得るようになった或るとき、彼等には恐ろしい風習がある事に気付かされた。それは彼等のお祭りに際して、人間の生首を供えて神々の霊を慰める、というものであった。そのに赴任した警察官は、誰かが犠牲となるこの風習だけは止めさせねばならぬ、と決心して、その長老 有力者達を説得して回った。しかしこれは、彼等の信仰する神様に対する事であり、永年に何代にも渡って行われて来た大切なお祭りであり、それを行わなかった事による神様の祟りを恐れて、彼等は決して「うん」とは言わなかった。そして逆に神様えの奉仕を警察官に説得する有り様であった。警察官は何回も何回も説得したが、どうしても承知せず、「首狩りは止める」という言葉は、どうしても聞く事が出来なかった。警察官は遂に「それでは明朝、夜明け前の未だ暗いときに、○○道を赤い頭巾を被った男が一人、馬に乗ってやって来るから、その者の首を切れ」と言った。部族の長老 有力者達は大変喜んで「これで神様の祟りを受ける事も無く、一年を無事に過ごす事が出来る」と語り合いながら帰って行った。明くる日の夜明け前、の選ばれた者数人が○○道で待っていると、警察官の言った通り、赤い頭巾を被った男が一人、馬に乗ってやって来た。それ-っとばかり襲いかかってその首を切り取って見ると、それは献身的に自分達を庇い、心から自分達の世話をし、子供達を可愛がって呉れていた、昨日の警察官の首であった。首を切った者は、腰を抜かさんばかりに驚いた。飛び帰って長老 有力者にこの事を話したが、長老 有力者は、何の言葉も発する事が出来なかった。あっちこっちから呻き声が発せられ、やがて長老の一人が「巡査様、俺達が悪かった。俺達が間違っていた。今日限り、首狩りは止めます」と、呻くように叫んだ。「止めます。止めます」と集まった者達は皆、呻くような叫び声をあげていた。実際にその日を限りとして、キッパリと彼等の首狩りは、行なわれなくなったのである。下級官吏に過ぎない一警察官に、どうしてこの様な崇高な行為が出来たのであろうか。それは自分が彼等を統治するのではない。「天皇陛下の大御心を、彼等に植え込まなければならない」という、高い使命感が、彼にこの様な行動をとらせたのであろう。

現今の我が国の公務員と称する者達の、服務精神の余りの卑悪さ-。公金流用、公金秘匿、無数の天下り等々、全く目を覆い、耳を閉ざしたくなる様な行状ばかりである。一警官の行動ながら天皇を中心に戴き、民族の高い理想の実現に邁進していた、明治の人々の清々しい奉職の精神を思う時、現状との余りの落差に、言う言葉を失うのである。