「ねこさん…こんにち…は!」
あ…向こう向いちゃった…嫌われてしまいました…はぃ。
れんちゃん、残念だったね。
というわけで、来る日も来る日も猫の毎日である。
毎日、猫の写真しか見ないし、猫の話しかしないし、猫のこと以外のことは考えなくていいのである。
猫好きの人には夢のような仕事であり、夢のような職場環境ではないのだろうか。
実際、私が生まれる前からある人気コンテンツであり(嘘だけど?)、弊社の稼ぎ頭でもある。引き継ぎで今年初めて担当することになった。
この仕事をやっていると、 猫の種類、呼び名もいろいろ覚える。
「おまえがメインクーンか。お母ちゃんに抱っこしてもらえるのも、いまのうちやで」
「スコティッシュ・フォールドなのに、おまえ耳垂れてへんがな。なんやと、立ち耳もいる? ややこしいやっちゃな!」
「サビってなんやねん、サビって。黒と茶色のまだらで錆か。そのまんまやないか!」
と、猫好きライフを満喫……できたらいいのだが、私自身は猫は苦手だ。
猫アレルギーもあるのかも知れない。たまにかわいいと思う猫もいないではないが、基本、写真を見ているだけでもからだがむず痒くなってくる。
そんな私にも、唯一、友だちと言える猫がいた。
彼と出会ったのは、いまのアパートに引っ越してきたころだから、十数年前になる。
ある夜、アパートの近所にあるマンションのファザードに植えられた、十数メートル以上に成長した棕櫚の木を見上げる猫がいた。
その姿はまるで哲学者か隠者のような威厳と風格があった。「われ、山に向かいて目をあぐ」といった佇まいである。それは幼いころ、かこさとしの『うつくしい絵』で見た、ロシアのイリヤ・レーピンの「ボルガの船引き」の少年を思い起こさせた。
ボルガくん(と名付けた)は深夜の散歩が好きだったようだ。われわれは深夜にたびたび会い、あいさつを交わした。しかし私の仕事が落ち着いてきて、帰宅時間が早めになると、しばらく会うこともなくなってしまった。
ボルガくんとの交流が再会するのは、糖尿病が悪化し、真面目にウォーキングを始めるようになってからだ。深夜のウォーキングでボルガくんに再会する機会が再び増えた。私を見かけると、「にゃあ」と親しげに鳴きかけ、足に額をこすりつけ、ときに寝転がっておなかを見せて、「もふもふ」させてくれた。
あのころには、ボルガくんも、かなり年齢も行っていたのだろう。初めて出会った頃にはロン毛だったのに、毛も短くカットされていた(それでも通常の猫よりもふもふ感に満ちあふれていたが)。
ボルガくんはいまどうしているだろう。さすがに天寿を全うしただろうか。初めて出会ったのが2008年の春先で、そのときにはすでに立派な成猫だった。「写真」フォルダをスクロールすると、最後に会ったのは2016年の1月9日だ。ボルガくん、きみをもっともふもふしたかったよ。
猫といえば、以前、太宰治の習作「ねこ」に触れた。
「ねこ」 太宰治
ダマツテ居レバ名ヲ呼ブシ
近寄ツテ行ケバ逃ゲ去ルノダ --かるめん
この習作「ねこ」は『晩年』の「葉」を構成する断章の一つとして収録されている。メリメの『カルメン』からの引用とされているが、原文から逸脱した太宰流の「改」釈が加わっている。太宰は本人がいうとおりにフランス語がまったく読めなかったわけでもないらしい。
柏木隆雄先生はこのメリメの一句は太宰の生涯をつらぬくモチーフであったと指摘する。
〈『晩年』冒頭の『葉』に、原稿にあったメリメの猫に関するエピグラフを抜いて(しかも、メリメの一句が十分に浮かぶ仕掛けをして)『ねこ』を掲げてから、最後の作品『人間失格』にいたるまで(その主人公の名が葉蔵であるのはなんと意味深長であることか!)、彼が執拗に繰り返す、女の「おそるべき」習性を暴いたメリメの一句は、太宰治にとって根本的な、いわば彼の一生をつらぬくモチーフであった。〉
※太字部分は原文では傍点
(「太宰治はフランス文学をどう読んだか?」――『フランス流日本文学入門』大阪大学出版会)
「文学少女五十鈴れんの冒険」によると、五十鈴父娘は、太宰を読んでいわゆる「中二病」をさらにこじらせた「水樹塁」の訪問を受けている。二人はその日の感想をメールで語り合う。太宰文学は、父親の源氏物語の解釈にも影響を与えているらしい。れんちゃんは、日記とメールのなかでは、一人称が「僕」になる(かわいい)。れんちゃんは猫好きなのに、五十鈴家には猫がいないのは、父親の「アンチ猫体質」が原因なのであろう。
太宰を知った日(文学少女五十鈴れんの冒険 フランス流日本文学入門編)
https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/7c0299055839824c7480b1855f676003