新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

老朽原発を停めよう 原発のいらない夏へII

2023年08月10日 | 反原発・脱原発・エネルギー
最近、仕事で、12年ぶりに、源氏物語を取り上げねばならなくなりました…

12年前の自分のテクストと向き合い、この12年で自分の文体も変わったなあと思いつつ……。

そういえば、12年前は3・11のあった年で、夏はエアコンを使わなかったなあと思い出しました。

そこで思い出したのが、以下のエントリです。


このエントリで、私は「大阪に来ていちばん涼しい」と書いていますが、2011年7月の平均気温は27.8℃と平年並みでした。2003年7月は25.3℃、2007年7月は25.9℃と、もっと涼しい年もありました。エアコンを使わなかったせいで、暑さに身体が慣れただけだったのでしょう。

しかし、電力消費で最も大きなシェアを占めるのは、弊社も含めた製造業ですから、一般家庭のエアコンを止めたところでたかが知れています。エアコンを使わなかったのは、反原発の意志を示すための、あくまでもシンボル的なレジスタンス闘争でした。熱中症にかかるリスクも恐れないという意味では、ハンガーストライキに似たところもありましたが。

久々にこの「反原発・脱原発」カテゴリを更新しますが、実に8年ぶりです。

製造業の労組活動家、また共産主義者、あるいはひとりのビジネスパーソンとして、「経済より生命」という反原発派、脱原発派のスローガンには賛同しかねるものがありました。

「利益(利潤)より生命」、せめて「経済より安全」だったのなら別です。

原発とは、大手電力会社や大企業の利益のために、また都市住民の便利で快適な生活のため、原発立地エリアの地方の住民を危険にさらすものだからです。そのように言葉は正しく使うべきでしょう。

しかし「経済」は人の社会活動・生命活動を支えるものです。「経済」は「生命」に含まれるものであり、両者は対比または対置することはできないはずです。反原発派・脱原発派のこうした空想的・ユートピア的な主張は、経済人や技術者を失望させ、経済界・産業界を脱原発のイノベーションに舵を切らせることは大きく後退しました。電力会社のなかにも、本当は原発なんかやりたくない人だっているのに……。

あの年も、夏に向け、電力需要が逼迫していきました。

関電から、夏に向け、電力使用のピーク時を外し、それ以外の時間帯に利用すれば電気代を割引にするという提案が弊社にありました。具体的にはエアコン使用のピーク時の12時から13時、そして企業が活動する平日に稼働を休むこと。

われわれ労働組合も、組合員の雇用を守り、さらに社会のライフラインである電力をシェアしていくためにも、関電、そして会社からの提案を受け入れることにしました。

相当苦労しましたよ。工場のなかまは、土曜・日曜の休みが日曜・月曜の休みとなり、若い人は友だちと予定が合わないし、家族持ちは一泊旅行にも行けない。

ある反原発集会で、社民党の某氏が、「電力、足りてるじゃないですか。やればできるんですよ」と偉そうにいうのに、「製造業がどれだけ苦労していると思っているんだ」と野次ってしまったものです。

あの経済音痴ぶり、社民党に「社会主義」を名乗る資格があるのか。

教授こと故・坂本龍一氏は、こう呼びかけたのだとか。





「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。日本の国土を守りましょう」

この発言を聞いた私が書いたこと。

いや、電気がないと、「子ども」も「国土」も、命の危険にさらされますよ。中小労働者のおっさんも、今も死ぬる思いです。

運動を推し進めるうえで、怒りや悲しみなどの感情に訴えることも大切です。しかし無知に訴える運動に未来はありえません。事故対策から安全管理、廃炉や放射性廃棄物処理のことまで、原発の問題は、すべて科学的技術的に解決していかなければならない問題です。われわれは「原子力安全神話」を裏返しただけの「原発危険神話」に陥ってもいけないわけです。

アーティストの「教授」が経済音痴なのは、仕方のない面はあります。しかし政党やセクト、政治活動家や市民運動家が、「教授」と同レベルであってはいけないでしょう。

反原発集会で、社民党の同じ某氏が中国との平和交流会の報告を始めたのはいいけれど、当時の尖閣問題などに関して、中国政府のプロパガンダの垂れ流しで、反原発や脱原発の意志を示すために集まった集会参加者がドン引きになったこともありました。もちろん中国人民は、われわれ日本人民の友人です。しかし、社民党は核大国であり原発推進国である中国スターリン主義の手先になるとは何事か。

こうした妄言放言を繰り返す人たちのおかげで、反原発、脱原発運動は波が引いていきました。

当時の私は、原発は危険なばかりでなく、経済的に考えても非効率で非現実的なシステムであり、自然再生エネルギーの普及を新たな成長のイノベーションにしていくことを訴えていました。


一部引用します。

電気は貯められないので(蓄電技術はひとまずおいといて)、ピーク時の消費量を満たすように発電所はつくられてきた。

しかし問題は、このピークの時間帯が1年のうちどれだけあるかということですね。田中さんによれば、1年間8760時間のうちたった10時間程度で、わずか0.1%。その0.1%のピークのために、これまで多くの発電所がつくられてきたわけです。このピーク時の電力消費量を減らすほうがはるかに合理的で、安上がりなのです。

電力会社は実際に必要になった費用に、「適正報酬」という名の下に3%上乗せして、電気料金を取ることができます。これを「総括原価方式」といいます。仮に300億円儲けたれば必要になる費用を1兆円にすればいいのです。ムダなものをつくればつくるほど利益が大きくなる仕組みです。だから事業者に電気をもっと多く使わせようとします。

ピーク時でも電力使用量の91%は事業者。しかし事業者の電気料金は、基本料金が高い分、1キロワットの値段は一定です。電力を使えば使うだけ料金が安くなっていきます。これでは電力使用量は減らないのも道理です。

脱原発を可能にするのは、従来の「サプライサイド・マネジメント」(供給ありきの電力管理)から、「デマンドサイド・マネジメント」(需要ありきの電力管理)へのパラダイムチェンジです。

再処理などのバックエンド費用、国民負担(国家からの資金投入)、そして重大事故による破壊的な危険性を考えたら、原発なんか絶対にワリに合わないのです。エネルギー政策の転換は、こうした社会的な合意を形成していくことから始まるということに尽きます。

ロシアのウクライーナ侵略によるエネルギー危機のなか、いまこそこうした思考転換が必要になっているのではないですか。

8月13日の京都の反原発デモに出かけたいのですが、山行きや援農の予定が入っていて、なかなかスケジュールがうまく組み合いません。

明日から夏季休業です。書留の受け取りがあるので、明日はのんびり過ごします。それでは、みなさん、楽しい夏休みをお過ごしください!


れんちゃんと地域猫のくろちゃん。



最新の画像もっと見る