新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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30年代原発ゼロ 

2012年09月12日 | 反原発・脱原発・エネルギー
◆エネルギー・環境戦略:「30年代原発ゼロ」明記へ 青森に振興策--政府
毎日新聞 2012年09月12日 東京朝刊


 政府は11日、東京電力福島第1原発事故を受けた新たなエネルギー・環境戦略で、原発の稼働を2030年代にゼロとする目標を明記することで最終調整に入った。複数の政府関係者が明らかにした。原発ゼロ方針に反発する青森県には新戦略の骨子を示し、地域経済への影響を極力抑える地域振興策を提示した模様だ。今週末にもエネルギー・環境会議を開いて正式決定する。
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 ・リスク(Risk):危害の発生確率およびその危害の程度の組み合わせ

 ・危害(Harm):人の受ける身体的傷害もしくは健康障害、または財産もしくは環境の受ける害

 ・安全(Safety):受け入れ不可能なリスクから解放されていること


 「安全」の定義を裏返していえば、「受け入れ可能なリスクからは解放されていない」ということ。つまり「完全な安全は存在しない」ということでもある。

 チェルノブイリから福島第一原発事故までちょうど25年だった。「2030年代に原発ゼロ計画」は、四半世紀に一度はシビアアクシデントが起きるという計算というわけでもあるまい。
 事故から26年後の2037年には、5機を除き、ほとんどの原発は築40年を迎える。要は耐用年数まで使い切ろうということだろう。しかし、この耐用年数そのものがインチキなものだ。

 本来なら原発の減価償却など、とっくに終わっていなければならない。かつて、原発の「運転年数」(耐用年数)は、減価償却の終わる「法定耐用年数」16年だった。しかし電力会社や政府・経済産業省などは、初期投資が大きく燃料費の割合が化石燃料に比べて比較的に小さい原子力発電所の耐用年数を40年として、コスト計算をするように切り替えた。大石たつや氏のブログが大変勉強になる。
http://oisi.mo-blog.jp/blog/2011/09/1640_78f2.html

 原発の「経済性」をアピールするために、耐用年数を引き上げただけにすぎない。こんなペテンしか能のない連中に「経済」だの「産業」だの名乗る資格はないのだ。

 原発のコストには、廃棄物の処理費用も、廃炉の費用も、さらに原発事故が生産者や生活者に与えた営業損害や逸失利益の補償費用も含まれていない。宮城県の集団賠償請求訴訟で、計2億1635万円の請求に対し、東電が支払う方針を示したのは、たったの3万円だった(8月28日)。

 放射線の影響を心配して野菜の栽培をやめた角田市の農家には「自主廃業は自身の自主的な判断で、事故とは無関係」として補償を拒んだ。こんな論理が通用するなら、自殺も「自主的な判断」だから、企業のパワハラも学校のいじめも、何もかも無罪放免されてしまうだろう。反原発のたたかいは、たんに原発が危険だからだけでなく、もはや人民の生存と生活に危害しかもたらさないメルトダウンした政治社会のシステムとのたたかいでもある。


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