今日は、2時~4時まで、亀戸のお仲間とテニスをしました。
6時から、本八幡の蕎麦屋で、博多から上京した先輩のHさんと一杯やりながら、昔話をして帰宅しました。
Hさんとは若い頃、江東区のE小学校でご一緒していました。
図工専科の先生で、毎年、銀座の画廊を借りて個展を開など熱心な先輩でした。
10年程前に、胃がんの手術をしましたが、回復してお元気になりました。
先輩との、とりとめもな昔話も良いものです。
帰宅して、PCに向かいメールを開きました。
杵柄会の重鎮・恋歌さんからのメールが届いていました。
談志さんの逝去のお知らせです。
恋歌さんのお言葉は、次の通りです。
学生時代に、現代落語論を読んでおおいに刺激された。
志ん朝、柳朝、圓楽と並んで若手四天王と言った。
小ゑんから談志のころの勢いは凄まじく、機関銃のような流れる口跡で圧倒。当時の
若手や、学生落語家の憧れだった。才気溢れ、才能はどこまであるのかと思った。彼
には落語会はかったるかった。談志のエスプリが笑点を生んだが、今日はそのおそる
べきマンネリが生き延びているから凄いし、落語番組が消えたのにもかかわらず生き
残っているのが凄さを物語る。
有り余る才は、国会議員の道へと踏み誤ったあたりから、芸は下り坂を一気に下って
しまった。
自分の芸に酔い、そして馬鹿にもしていた。
三木助や圓生の芸にあこがれ、精一杯伸びようとしていた時の談志は凄かった。
圓生がいなくなり、志ん朝がいなくなり、談志には目標や、ハリとなるものがなく
なった。
天才が逝った。
あの世で、三木助や、圓生に迎えられて、極楽寄席で新進気鋭の真打として頑張って
いるに違いない。
合掌
杵柄落語会の皆さんは、談志さんを目標にした大学落研の方々です。
恋歌さんさんをはじめ皆さん、お力を落としていることでしょう。
談志さんのご冥福をお祈りします。
南無阿弥陀仏
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