大相撲九州場所千秋楽が終わりました。
優勝は、大関霧島。
三大関の中では、一番に横綱に近いかな?
素人評論家のボクの予想です。(笑)
さて、先場所に続いて、
千葉県生れ熱海市出身の熱海富士朔太郎関が大活躍でした。
二場所連続で殊勲賞。
表情が可愛いですし、まだ若い。
何と言っても、毎月一回、ボクが帰省の度に通過する熱海市の出身関取ですから、
地元愛で応援しています。それ以外は、何の関係もなし(笑)
実は、昔々、大昔の記憶を思い出しました。
ボクが子どもの頃は、伊豆の稲取にも大相撲の巡業ありました。
昭和30年代でしょうかねー?
食料が不自由な時代。
開催場所数も少なかったので、
部屋ごととか、一門で、巡業をしていたのでしょう。
ボクの親戚が「萬屋」という屋号の旅館をやっていました。
親方・関取連中はこの「萬屋」が宿舎。
小さな町でしたから、それ以外に旅館は数軒。
番付の下の力士や行司さん方は「民泊」でした。
ボクの生家は、「萬屋」のすぐ近くで、昔の家ですから座敷もありました。
時津風部屋の関取潮錦と呼び出し太郎さんが宿泊しました。
潮錦は幕内の力士でしたが、あまり強くなかった記憶があります。
ウィキペデアによりますと、最高位は西張出小結。
三役は一場所だけだったようです。
引退後は年寄り式秀を襲名、勝負審判を長く務めたそうです。
そうそう、町立稲取小学校には、土を盛っただけですが土俵がありました。
巡業前後になると、小学生同士で相撲熱が高まり、
各自が自分の好きなお相撲さんのしこ名をつけて遊びましたね。
もちろん、ボクのしこ名は潮錦。
ボクは弱虫でしたねー(笑)
もう一つ思い出しました。
母が、小さな履物&文具店をしていました。
その関係で、数ヶ月に一度、浅草橋の問屋に商品の仕入れに上京していました。
巡業が終わった後、小学生のボクに大相撲を見せたかったのでしょう。
切符も持たずに国技館に出向き、
呼び出し太郎さんに入場を依頼したのです。
飛び込みですし、「満員御礼」で席はありません。
それでも、呼び出し太郎さんのご厚意で、
二階正面の最前列の通路に坐らせてもらった記憶があります。(笑)
幕内の後半戦を見学できました。
来年からは、
ボクの熱海富士関、応援熱は上がりますねー。(笑)
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