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本居宣長『うひやまぶみ』

2010年12月03日 22時32分25秒 | 日乗

次の1冊を読んでいます。

『帰宅の時代』
林 望(ハヤシ ノゾム)著 新潮社
2005年6月25日発行

林の著作は、以前、日本エッセイストクラブ賞を受賞した『イギリスはおいしい』や『イギリスは愉快だ』を読んだことがあります。
イギリス旅行に興味をもっている頃でした。

久々の林を読み始めたところ、本居宣長の『ういやまぶみ』からの引文が目にとまりました。
恩師・五十嵐先生がお元気の頃、「松坂の一夜」のお話をお聞きして感動したことがことがありますが、進んで本居宣長を読んでいませんでした。

読書は結構好きですが、年を重ねるに程に、読書の不足を切に感じるこの頃です。

林の孫引きです。

「詮(セン)ずるところ学問は、ただ年月長く倦(ウマ)ずおこたらずして、はげみつとめるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくも怠(オコタ)りてつとめざれば、功はなし。又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生まれつきたることなれば、力に及びがたし。されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也。又晩学の人も、つとめはげめば、思いの外(ホカ)功をなすことあり。又暇(イトマ)なき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也。されば才のともしきや、学ぶことの晩(オソ)きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止(ヤム)ることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし」

一生勉学ですね。

毎田周一のことば。
「永遠なるものを求めて 永遠に努力するものを菩薩という」

現代には「生涯学習」などの言葉がありますが、先人の言葉の方が重いですね。

 

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2 コメント

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Unknown (慈慧)
2010-12-04 17:32:08
リンボー先生ですか、私はまだ読んだことが
ないですが、イギリス通で知られていますね。

不才なる人でも、晩学の人でも、つとめはげめば、
思いのほか功をなすことあり、というのは
ちょっと嬉しい一言かもですね。
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Unknown (Unknown)
2010-12-04 23:22:25
リンボー先生、なかなか面白いですよ。
ぜひに、お勧めです。

本居宣長の言葉、私向けてのように感じでいます。

そういえば、法顕さんは60歳を過ぎてからインドに求法の旅に出たそうですね。

このような先人の姿に接しますと、本当にエネルギーがいただけます。

先人のレベルには遠いですが、命終の時まで学びの真似事を継続しようと思います。

お付き合いの程、ヨロシクです。
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