夜、母のお葬式をお願いした江戸川区内の□□寺の、和讃の会に初めて参加した。
ご住職が、『高僧和讃』曇鸞についてお話ししてくれた。
面白く聞かせていただいた。
懇談会の席で、あるご婦人のお話が大変身にしみた。
最近のことだそうだが、このご婦人のお嬢さんが、9歳と17歳の子どもを残して逝去されたそうだ。
あまりの出来事・理不尽さに、毎日泣いてすごしてきた由。
このご婦人は、ご両親が逝去された時は、仏様(両親)のためにお念仏をしたいたそうだ。
ところが、今回の理不尽なお嬢様の逝去に際して、毎日泣いて暮らしてきた。
お葬式から少しずつ日にちが過ぎた頃、自分の内に念仏が起きた来たそうです。
両親の時の念仏と随分違うものを感じていたそうです。
そして、
「念仏は仏様の先祖供養のものではなく、理不尽な世界を感じて今を生きている私のための念仏であることに気づきました」とのお言葉。
力強いこのご婦人の真実の発言に接し、本物の念仏を教えていただいたように感じました。
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