法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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里村専精師 浄土真宗へようこそ(No16)

2013年08月20日 23時57分13秒 | 里村専精師の言葉

里村専精師の「浄土真宗にようこそ No16」をお届けします。

浄土真宗にようこそ(016)

 ブッダのサンガ(Bhik'su sa'mghena)は、よく千二百五十人と書かれます。
出家の比丘と比丘尼の数なのですが、名を知られた人たちばかりです。 
この数で、二百五十人は比丘尼だと言われています。
ブッダの父であるスッドーダナ王が亡くなって、比丘尼のサンガが許されます。
それはもう、ブッダの晩年のことになります。
出家した女性たちは、比丘たちとは別メニューの生活を課せられました。
謙虚に・そしてひた向きに、比丘尼たちの学びは世の信望を集めてゆきます。
最初の比丘尼は、あのマハパジャパテーです。大愛尼と訳されてもいます。
お釈迦様の育ての親ですし、生みの親のマーヤー夫人の妹でした。
釈尊を生んで七日で、マーヤーは亡くなったと言われています。
その妹が釈尊を育てて、ずっと面倒を見たのでした。
祇園精舎のある首都サーヴァッテに、ラージャカアーラーマという尼僧精舎がありました。
訳して王様の園林です。パセナデー王の発意によるものですから、そのように呼ばれました。
この精舎から、実に勝れた比丘尼たちがたくさんが生み出されました。
けれども彼女達の出自は、なんとも様々でした。
王妃を始めとする宮廷の子女も多くいましたが、遊女あり娑婆の辛酸をなめた人たちが…、
インドの各地から出家して、ブッダの生き様を学んだのでした。
そしてこの女性のサンガこそ、比丘たち以上に仏道を全インドに伝搬したのです。
私たちは奇妙な先入観で、比丘中心に考えるのですが、実際には比丘尼の功績こそ大切でした。
どんな家庭にも入ってゆきましたし、誰とも気兼ねなく語ったのは比丘尼たちなのです。
人と接して優しく丁寧に仏道を語る比丘尼によって、人々は仏道に親しめたのです。
むさくるしい仏教ではなくて、人生の機微にふれて語られた比丘尼たちの仏道があったのです。
それを、いったいどこで忘れてしまったのでしょうか。大いに反省すべきことです。

 

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→次回の勉強会は、9月21日(土)です。

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