『毎田周一全集 第10巻』から
馬鹿は、親鸞聖人の「愚禿」の現代語でありませう。
或ひは聖徳太子が「愚心及び難し」と法華義疏でいはれた、
その「愚心」の現代語でありませう。
これらの愚禿なり愚心なりを私達現代人は「馬鹿」の二字によつて、
特に生々と実感し体感するのではありませんか。
要するにそれは「私が馬鹿である」といふことなのであります。
私自身の「馬鹿の自覚」なのであります。
そしてこの徹底的な馬鹿の自覚が私にとつては、
唯一の救ひの道、安心の道なのであります。
そのことを以下に明らかにしてみませう。
むしろ馬鹿の二字を礼讃し、
馬鹿の自覚の有難さを闡明(センメイ)してみたいと思ひます。
結局自らを馬鹿と知ったものの限りない歓びを歌ふことになります。
いはば「馬鹿の歌」であります。
☆「闡明」の意味…不明確であったことを、はっきりさせること。
☆次回、「馬鹿の歌」を紹介します。