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無言館館主・窪島誠一さんのことば

2005年07月24日 22時16分48秒 | 日乗

 今朝の朝日新聞に、長野県上田市にある「無言館」の石礎(いしじ)「記憶のパレット」に赤いペンキがかけられてから1ヶ月。館主の窪島さんは、あえてペンキの一部を残して修復したとの記事が目に止まった。  

 無言館は、数年前の夏休み、大雨の中を訪ねたことがあります。 途中で道を迷い、「無言館」に到着したのは閉館の直前。事情を話すと、閉館を延ばしてくれ見学させてくれました。展示された作品はもちろんですが、スタッフの温かい配慮が思い出されます。  犯人は、まだ逮捕されていないようですが、本当に悲しい事件であります。  

 ところで、記事の最後で、窪島さんは次のように語っています。  

「人はどう生きるか。人を愛するということはどういうことか。無言館が伝える、そんな根源的なことを、私たちはもう一度思い出す時ではないでしょうか」

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クールビズ 「快」のかわりに失うもの

2005年07月24日 08時32分38秒 | 日乗

  7月22日(金)朝日新聞朝刊・〈私の視点〉を、共感の気持をあたためながら読んだ。

 題名は、“クールビズ 「快」のかわりに失うもの”。

 投稿された方は、東京家政大学教授(服装文化史)能沢 慧子さん。

 投稿文の最後を、次のように結んでいます。

  《文化も伝統も、それが生きていればこそ変容する。したがってネクタイ付き背広が絶対というわけではない。とはいえ、「強制しているわけではない」とは言いながら、政治が本来最も個人的主題である服装に介入するとき、そこから生まれるのは「ファッション」ならぬ「ファッショ」に陥る危険性をはらむことも警告したい。》

  能沢さんの投稿を読んで触発された私の思い。

 ①私が働いている教育現場でも、年々、「強制しているわけではない」と言いながら、管理強化が進んでいる恐ろし実態がふえている。

 ②ファッションだけのことなら我慢もできようと思うものだが、最近の国内・外の政治経済状況を見ると、知らず知らずのうちに戦争へシフトされていくような印象が強い。

 ③自衛隊の海外派兵・憲法改正・教育基本法改正・中国や朝鮮や北朝鮮との関係、課題は山積。

 この国が、どのような方向に進み、どのような選択をするか大問題であるが、結局のところ、一人一人の国民の在りようがが一番基本となる。そのことを肝に銘じ、私もしっかりと考えていきたい。

 

 

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