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法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》
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主宰者の《日乗》

「大無量寿経」を若々しく読もう。

2020年05月25日 23時45分56秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師のことばをお届けします。
 『毎田周一全集 第5巻』より

『大無量寿経』を若々しく読まうではないか。
そこに青年の情熱と理想を感得し、
大いに法蔵菩薩と共鳴しようではないか。
法蔵菩薩を阿弥陀仏として向ふに飾っておいて、
私は凡夫だから仏と違ふ、
といふような立場で読む読み方は、
本当のものではないやうに思はれる。
私は凡夫と誰が決めたのであるか。
私はこれだけのものであると断定することは、
生命に対する侮辱である。
生命とはそのやうに限られたものであるか。
生命は底は無限である。

ステイホームが始まるまでは、
毎週水曜日の夜、「願海庵」で『大無量寿経』を読誦してきました。
残念ながら、3ヶ月のお休みでした。

本日、緊急事態宣言が全面解除になりましたので、
近々、再開しようと思います。

 


発展的世界の内面的自覚

2020年05月22日 21時35分59秒 | 毎田周一師の言葉

5月から、毎日、「zoom念仏道場」を主宰している。

内容は、念仏・正信偈・和讃。そして井戸端である。

昨今、多くの方々が、念仏との距離が希薄になっている現状がある。
(念仏は、意味ない呪文)とか、(念仏は、抹香臭い)とか、
(念仏は、時代遅れ)…と、思っているようだ。

残念なことである。

ボクは、今こそ、念仏の時代だと自覚する。

昨日のブログに続いて、
毎田周一師のことばを読んでもらいたい。

「跪いて光明無量寿命無量なることを知る。
これが念仏の意義である。
南無阿弥陀仏である。
跪くとは心を空しうしてものを見ることである。
己れなくしてものを見るといふことである。
そのとき物事のありのままの姿が見られる

「南無すること、跪くこと、己を空しうすることは、
やがてこの発展的世界の内面的自覚である。
これを南無阿弥陀仏といふ、念仏といふ。
それ故に念仏者は、発展的創造的に働くものでなければならない。
念仏はそれ故に消極的退嬰的ではないのである」


「真理」に出会ふ。

2020年05月21日 22時59分08秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師のことば

◆この世の最も高貴な幸福は、「真理」に出会ふことである。

◆「愚禿」親鸞とは、愚かのまゝでよいといふことではない。
 愚かなる故に、愈々(イヨイヨ)学ばずにはをられないといふことだ。

 


謙虚に学ぶ

2020年05月15日 22時36分32秒 | 毎田周一師の言葉

『毎田周一全集 第9巻』から

 音楽を聞くのは古典をよむのと同じことである。
正法眼蔵を一度や二度よんでどうも解らないといつてゐるのは、
古典をよむ方式を知らぬ無知を曝(サラ)してゐるのに過ぎないやうに、
音楽に関しては、私は音痴でしてと尻込みする人は、
学ぼうとしない、
解ってゐる人に頭を下げようとしない、
憍慢者に過ぎない。
修練を重ねないで何も解るものではなく、
しかも自ら修練を重ねようと、謙虚に学ぶ態度を喪(ウシナ)つてゐるのは、
その人にひそかに忍び込んできてゐる憍慢心なのである。
 先天的な音痴などといふものがどれだけゐるのか。
肉体の語をかりて自己を学ぼうとしない憍慢心を露骨にさらけ出してゐるのが、
「私は音痴でして」といふあの言葉である。

コロナ禍。
本当に、命と暮らしが難しい時代になりました。
医療関係の皆さん、介護関係、生活サポート、ご商売の皆さん、
大学生、中高生、小学生・・・全ての皆さん、
ご苦労様です。ありがとうございます。

申し訳ありません。
老爺は、静かにステイホーム、蟄居をしています。
『正法眼蔵』『顕浄土真実教行証文類』の読書や、
youtubeでベートーヴェンを聴いて過ごさせてもらっています。

南无阿弥陀仏

 


『教行信証』と『正法眼蔵』

2020年04月25日 21時57分40秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉をお届けします。

今日仏教をその生命の相に於いて捉へんと欲すれば、
世界人類の何れの人と雖も、
この二師に学ぶの外はないのである。
日本人は仏教を親鸞・道元二師に於いて示すべきで、
歴史的使命乃至は義務を背負はせられてゐるのである。
今日の我国の仏教徒が明らかにすべきは、
親鸞・道元二師の真意である。
ところで二師の真意は何処に於いて見出されるべきであろうか。
それは外ならぬ
「教行信証」と「正法眼蔵」とに於いてでなければならない。
従って今日の日本仏教徒の研究すべきは、
このに二書なりとせねばならない。

『毎田周一全集』第九巻より

ボクが主宰している、
カウンセリング研究会【くりのみ】
法音道場in願海庵
法音道場in東伊豆町稲取・鈴木かめ寮
で、
『教行信証』と『正法眼蔵』を読んでいます。

コロナ騒動が終息しましたら、ぜひお出かけください。


「愚禿とは…」

2020年02月04日 23時00分14秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉

◎愚禿とは最も鋭利な精神のメスの切先だ。

◎自分とは、最も身近にある他人だ。自分をもて余すといふぢゃないか。

◎貧しさそのものは不幸ではない。富めるものと比較するとき、不幸になる。

 


晩年の生活

2019年12月08日 23時45分18秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉

*釈尊は菩提樹の下で何を悟られたか。
 人間は、一生学ぶべきものと。

*永遠なるものを求めて 
 永遠に努力するものと
 菩薩という。

若い頃から座右の言葉として大事にしてきました

先日、細川巌師の「晩年の親鸞」を読んでいましたら、
「親鸞聖人の晩年生活は、念仏と感謝と宿業の諦観が中心であったと窺える」の言葉を見つけました。

後期高齢者直前のボクです。(笑)
頭が悪いので何もできませんが、
お念仏の一道を歩ませてもらおうと思っています。

独りのお念仏で大丈夫ですが、
御同行がいると嬉しい気分になります。

ぜひ、ボクが主宰している小っちゃな法音道場にお遊びいただけると嬉しいです。

 


釈尊の悟り

2019年02月20日 22時38分13秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉をお届けします。

釈尊は菩提樹の下で何を悟られたか。
人間は一生学ぶべきものと。


今週、

金曜日(2月22日)は、道元とカウンセリングコースです。

土曜日(2月23日)は、親鸞とカウンセリングコースです。

会場は、タワーホール船堀


「仏説無量寿経」読誦

2019年01月13日 23時49分36秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉です。

実践の第一歩は盲目的だ。
この盲進を敢へてすることの出来ないものは、
何事も為し得ない。

「だまされるもよし!」の心意気。
願海庵の聞法会のお仲間は、
親鸞さまのお言葉、

「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。
この経の大意は、弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、
凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。
釈迦、世に出興して、道教を光闡して、
群萠を拯い、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり。」

を聞いて、
「大無量寿経」読誦盲進の歩みを始めました。