倉敷子猫のネットニュース

最新芸能ニュースをお送りいたします。是非ご覧ください。

世界的歌手のプリンスさん 自宅で死亡

2016年04月22日 | 芸能

世界的に活躍した歌手のプリンスさんが21日、アメリカ中西部ミネソタ州の自宅で亡くなっているのが見つかりました。57歳でした。

これは、地元の警察やプリンスさんの代理人などが明らかにしました。
プリンスさん、本名プリンス・ロジャー・ネルソンさんは、1958年ミネソタ州ミネアポリス生まれ。学生時代にバンド活動を始め、1978年にレコードデビューしました。
ロックンロールの枠にとらわれない多様な音楽の要素を取り入れた独特のサウンドが特徴で、1984年に発表したアルバム「パープル・レイン」は全米で1300万枚を売り上げる大ヒットとなり、人気を不動のものにしました。
デビュー当時から27種類に上る楽器を演奏できたと言われ、作詞、作曲、演奏にとどまらず音楽プロデューサーや俳優としても活躍し、多彩な才能が高く評価されていました。
世界でのレコード、CDの売り上げは1億枚を超え、アメリカ音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞を7度にわたり受賞したほか、アカデミー賞も受賞し、 2004年には「ロックの殿堂」入りを果たしています。また一時、「プリンス」という名前の使用をやめて読みがない記号のような名称に改名し、「かつてプリンスと呼ばれたアーティスト」と言われて話題となりました。
近年もアルバムを発表するなど精力的に音楽活動を続けていましたが、プリンスさんは21日午前、自宅で死亡しているのが見つかったということです。

ロック界のスーパースター

「プリンス」、本名、プリンス・ロジャー・ネルソンさんは、1958年にアメリカ・ミネソタ州のミネアポリスで、ジャズ演奏家の父と歌手の母の間に生まれました。
学生時代のアマチュアバンドを経て、1978年に「フォー・ユー」でデビューすると、1983年に発表した「1999」が世界的な大ヒットとなりました。 1984年には自身の人生をもとにした映画のサウンドトラック「パープル・レイン」が、全米のアルバムチャートで24週連続1位を記録し、アカデミー賞も 受賞するなどロック界のスーパースターとしての人気と地位を確かなものとしました。
1992年には、名前を発音のできない記号に変えて話題を呼びましたが、2001年からは再び「プリンス」に戻して活動を続けていました。アメリカの音楽界で最高の栄誉とされるグラミー賞を7度受賞し、2004年にはロックの殿堂入りも果たしています。
これまでに発表したアルバムやシングルは世界中で1億2000万枚以上の売り上げを記録したほか、ミュージシャンの間でもカリスマ的な人気を集め、多くのアーティストに影響を与えました。
また、プリンスさんは人種差別など社会問題への取り組みが評価され、全米黒人地位向上協会からも賞を受けています。

オバマ大統領「突然の死を悼みたい」

プ リンスさんが亡くなったことを受けてアメリカのオバマ大統領は21日、声明を発表し、「世界中のファンとともにプリンスさんの突然の死を悼みたい。彼ほど ポピュラー音楽に大きな影響を与え、その才能で多くの人たちを魅了したアーティストはいない。すばらしい演奏家、卓越したバンドのリーダー、そしてしびれ るようなパフォーマーだった」とその死を悼みました。

音楽会から死を惜しむ声

プリンスさんが死去したことを受けて、ツイッター上には音楽界から死を惜しむ声が次々に上がっています。
こ のうちロックバンド「ローリング・ストーンズ」のボーカルのミック・ジャガーさんは「プリンスは革命的なアーティスト、偉大なミュージシャン、作曲家、す ばらしい作詞家であり、驚くべきギタリストだった。しかし、最も重要なのはあらゆる面で本物だったことだ。プリンスの才能には限界がなかった。過去30年 で最も独特で才能あふれるアーティストの1人だった」と記しています。
また、歌手のマドンナさんはプリンスさんと一緒に写った写真とともに、「彼は世界を変えた。真の先見性があった。なんという喪失か、大きなショックを受けている」と書いています。
さらに、音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズさんは「プリンスよ安らかに。あらゆる意味で真のアーティストだった。あまりにも早く亡くなってしまった」とその死を悼んでいます。
このほか、歌手のライオネル・リッチーさんは「信じられない。ショックだ。たくさんのすばらしい思い出がある。さみしくなるよ、プリンス」とつぶやくなど、音楽界や芸能界から多くの追悼のメッセージが寄せられ、衝撃が広がっています。

CD店に追悼するコーナー

アメリカ西海岸、ロサンゼルスのCD販売店ではプリンスさんを追悼するコーナーが急きょ設けられ、写真や代表作のCDなどが並べられました。店内ではプリンスさんのヒット作が繰り返し流され、訪れた人たちは作品を手に取って買い求めていました。
追悼メッセージを書き込むボードも設けられ、プリンスさんのTシャツを着た男性は「あなたと比べられるものなどない」と、プリンスさんが作詞、作曲した曲のタイトルでもあることばを記していました。
ファ ンの男性は「泣きました。信じられません。こんなことになるとは想像もしていませんでした。きょうは一日プリンスさんの作品を聴きます」と話していまし た。またファンの女性は「とても驚いています。12歳の時に初めてパープル・レインを聴きました。彼は特別でした。亡くなったなんて信じられません」と話 していました。

自宅前には多くのファンが

プリンスさんの死去を受けて、アメリカ中西部ミネソタ州の自宅前には多くのファンが集まり、涙を流したり、写真を撮ったりしていました。
ファンの女性は「本当だなんて信じられません。息もできないし、話すこともできません」と話していました。
ま た、ニューヨークのタイムズスクエアでは、電光掲示板に速報ニュースが流れ、ファンの男性は「幼いときに母が『パープル・レイン』を聴かせてくれ、リラックスできました。何時間でも聴いていたいと思いました」と話していました。ファンの女性は「プリンスは伝説でしたし、今も私たちの心の中で生きています。 音楽界にとっても、プリンスを好きだった人や彼の家族にとっても大きな損失です」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160422/k10010493311000.html

 

謹んでお悔やみ申し上げます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする