九里 【九里】を探して三千里

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建礼門院平徳子の兄知盛の息知宗(平徳子の甥)

2019-12-02 | 雑記

平知盛の息知宗は惟宗 知宗(これむね ともむね)や宗 知宗(そう ともむね)、武藤 知宗(むとう ともむね)とも同一人物だそうで、なぜなのかがwikipediaで知ることができたので、そのままコピーする。

「寿永3年(1184年)、平家の都落ちで各地を転々としている時期に誕生。元暦2年(寿永4年/1185年)に壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、長門国斎藤兵庫を経て鎮西奉行武藤資頼乳母の惟宗氏によって庇護される。

その後、武藤資頼の養子になり、正治2年(1200年)に太宰大監に任官する。

建長7年7月5日(1255年8月8日)、大宰府北殿で死去。享年72。死去した日については異説あり、建長7年7月3日(1255年8月6日)とする説もある。

対馬の宗氏は知宗の子孫と称した。 」


この鎮西奉行武藤資頼と乳母の惟宗氏が気にかかった。

徳子の甥にあたるので、徳子と共に逃げていた可能性もあるのではないだろうか。

武藤資頼の父武藤頼平の姉か妹は「平知盛室」だという。
そのこともあって、逃げる手助けをしたと思われる。

乳母の惟宗氏と、叔母が武藤氏という縁で、平知宗は正治2年(1200年)に太宰大監に任官する。 対馬の宗氏は知宗の子孫と称した。



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