九里 【九里】を探して三千里

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浅小井家長は公文職であった。

2019-12-02 | 浅小井深尾氏

若林氏による論文より

中世後期近江国蒲生下郡・上郡・〈境界地域〉と佐々木六角氏
著者 若林 陵一
雑誌名 東北文化研究所紀要

…ところで、蒲生下郡における古くからの土着勢力としては、本佐々木氏(佐々貴氏)一族の存在が知られる(前稿)。
具体的にそれらは「佐々木系図」によると、佐々木行実(「号豊浦冠者」)以下、

豊浦・一井・浅小井・奥嶋・馬場・賀茂・池田・武佐・船木・木村(以下蒲生上郡)・野口・山田(神崎郡か)・伊庭(以下神崎郡)・猪子・佐野・山崎など、多く蒲生下郡内の地名と一致する。
これらは、それぞれ当地の近くに本拠を置いた勢力とみられ、例えば正中二年(一三二五)の奥嶋荘に関して、「当庄下司式部四郎義信(正応本「佐々木系図」に同義信が奥嶋姓。
以下引用史料中の括弧内は筆者註)、公文家長(同じく浅小井姓)」らの動向が確認される。

===*===

私にとっては重要なヒントを含んだ内容と思う。

まず当荘下司式部四郎義信(奥嶋姓)
つまり奥嶋荘の下司を務めていたのが義信。

浅小井荘の公文を務めていたのが家長である。

以前の記事を絡めて書くと、

家長の母が加地信実の娘
家長の息が公宣(治部・播磨守) 弟は乾五郎
公宣の息が氏輝(重宣) 弟は北条師方(北条師時の猶子。母は大仏宣時娘)
            弟は範信(号 浅小井)
            弟は宣親、その息は常晴・宣政   

ついでに師時の母は北条政村の娘
師方の妹は金沢時秀(時秀の父は北条時村、母は二階堂行義)
加地信実の娘が北条泰時の実母とされる御所に仕える女房


さらに遡る。
初代は盛実。祖母は下野守紀盛宗の娘。
盛実は佐々木荘の下司であり、佐々木宮神主である。

大事な深尾氏の情報源である「深尾書簡」たつやさんのページより気になる部分を書き出す。

https://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/26826705.html

小源太(浅小井氏第二代・浅小井小源太清家、後改めて清長。その後、深尾監物太郎清長。以後、子孫は深尾氏を名乗る)の浅小井に蟄居

寿永三(1184)年の頃、佐々木源三秀義と同意して、親子とも伊賀国平田城を責め、戦には利を得候へども、大将秀義老死(七十二歳没)、その後父(浅小井氏初代・四郎長家)も病死(文治三(1187)年)。

その後、清長の次男・安顕ヤスアキ。別名・安頼。承久の乱(1221年)にて戦死

安顕の息・家連(深尾小文太)(入道了弁=家連

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/ca6b8d2d85209f5c5e2d16f517e77074



===*===

上記の家長が「公文職」であったこと、富木常忍の親族と思われる中原能兼が「公文職」であった可能性が高い事がリンクする。文書には公文家長と出てくる。

【日本中世の身分と社会】 丹生谷哲一著 塙書房
この本の中に
「富木蓮忍・常忍の本姓が中原であったことが知れるわけであるが、とすると、さきの伊賀国御家人中原能兼についても同族関係が想定されてくるので、千葉氏が伊賀国守護に補任されて「十一ヵ所御領」(守護領)を管領するにあたり、その「公文」として執事家富木常忍の同族の者がその沙汰に従った可能性は少なくなかろう。」

とある。

ここで、九里氏の前身である中原氏と浅小井深尾氏とは同族なのではないかと思っていたことが、より近くなったと思う。

また以前中条家長とのことも考察したが、また気になる点が。。。
宇都宮知家の猶子に中條家長。

「建久6年(1195年)には毛呂季光と私闘を起こしている。家長は知家の養子となったことで思い上がり、尊大な態度が増えたため…」とある。

宇都宮知家のことである。

浅小井深尾氏の家長が中条家長であれば、宇都宮氏とも繋がり、全てが上手くいきそうなのだが…

年代はどうなのだろうか?
以前の考察では別人という結果に終わっているのだが。。。。

宇都宮知家=八田知家(朝家)である。父は八田宗綱。
中原宗綱の本当の父は「中原宗家」だったのではないだろうか。






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1 コメント

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Unknown (りひと)
2019-12-03 12:07:12
豊浦やっぱ奈良時代明日香村気になります。
ひょっとして関係者いたなら飛鳥寺の遺跡も川の近くまで広がりつつあると言ってましたし。

関東に豊浦ないのかなぁ?浦安辺りだと面白いんですけどね。舞も大事な一族だけにやはり浦安から門仲の間の富賀岡八幡の中将姫のお父さん辺りも関係してこないかな?去年酉の日伺った場所でその後中将姫絡みばかりでしたよ。

なんかウキウキしますよ。
野球の清原さんも更生して社会貢献しているし、大事それぞれお役目のある一族がちゃんと出てくるといいですね。
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