九里 【九里】を探して三千里

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足利義政と日野富子との娘 光山聖俊(1462-1505) - 景愛寺・大慈院・宝鏡寺の住持  後法興院記 より

2021-03-19 | 九里【まとめ】

 

三月二日 佐々木小三郎の行に「廿九日寶鏡寺殿入滅云々」とある。

この方は、下記の方とは別人なのだろうか? 明応4年なので1495年に歿したことになる。

足利義政と日野富子との娘 光山聖俊(1462-1505) - 景愛寺・大慈院・宝鏡寺の住持

 

代々同じ「寶鏡寺殿」と呼ばれる方が出てくるため、よくわからないが、

寶鏡寺殿と九里はともに同じ文書に顔を出す。すぐ近くで。

 

宝鏡寺 理豊宮 理豊女王(りほう じょおう)1672-1745年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E8%B1%8A%E5%A5%B3%E7%8E%8B

 

 

 

 

 

最後の九里対馬と共に出てくる方は、1532年以降の「宝鏡寺殿」となる。

宝鏡寺理源(足利義晴の娘だが、この方は義輝が1536年生まれなので1540年以降に生まれていると思う。

とすればその先代の鏡寺殿が鹿苑日録に九里対馬と共に出てくる人物と成るのではないだろうか。

 

「恵照以後、足利将軍家の女子は、将来の住持として幼少期から比丘尼御所に入室することが多くなった。」とある。(wikipedia 恵照より)」応永29年4月27日(1422年5月17日)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E7%85%A7

http://hokyoji.net/history

 

九里九郎左衛門と宝鏡寺殿・九里対馬と宝鏡寺殿 の関係がわかれば嬉しいのだが。

 


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5 コメント

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Unknown (木方)
2021-03-20 10:54:41
妹さん?うわ、気になりますね。でたまたまかもしれませんが宝と鏡が付くんですね。古代にも繋がりそうでワクワクします。女系は調べていたはずなのですがノーマークでした。調べてみます。
Unknown (木方)
2021-03-20 11:42:32
お寺がまた私の好みなのか気になる系統です。びっくりで全くノーマークでした。
また物理的な位置では、なんと蹴鞠の神さんのいる白峯の北なんですからまたこれも凄い。その北に神社があるのか地図では火と水の文字。この辺りは歴史の中でも大事そうなエリアに感じます。
またお寺のホームーページには二見が出てくるのもうわーってびっくりしました。

頼朝の頃もこの時代もどうも意味深です。足利の山火事の辺りも気になりますよ。で護り人の存在もやはり気になる所。子供の教科書で言うと武士の台頭って見出しが思い付きますけど、本来護衛が天下をとっていく過程で役目や組織が変化して来ているのでしょう。検非違使ってのもあったけど警察が天下とってしまうのもおかしい事なので、理想と現実の違いも感じますよね。今後の未来への警鐘を歴史の中見定めるのはいい時代で参考になる時期かもしれないですね。
ただ根本も大事なので私は古代の方で考えてみます。
エジプトとピラミッドを造りの親方とか日本では出てこないかなあ?それこそ忖度しなくても衣食住なんの不満もなく過ごせたら争いって起こらないと思うんですよね。理想と現実は違うからこそ護り人の存在や思考が大事になりそうです。明日は我が身だからこそ、現実に流されるけど理想も考えてコツコツやるのも大事な時期だとも思います。千葉の蘇我も妙に行きたくなりました。サッカーの試合予定探ってみます。
白峯神宮の情報 (kunorikunori)
2021-03-20 13:03:36
木方様

白峯神宮の情報ありがとうございます。
「飛鳥井町」
http://shiraminejingu.or.jp/history/kemari/

柊大明神が、とても気になりました。
柊護符を節分の時季に限り戴ける。

4月14日 恒例の「蹴鞠」が奉納されます。とあり、いつの日か見学したい!と思っています。
談山神社 (kunorikunori)
2021-03-20 13:07:24
木方様

http://www.tanzan.or.jp/event/kemari.html

「中大兄皇子と藤原鎌足が飛鳥の法興寺(現・飛鳥寺)で蹴った」とありますが、この法興寺と法興院と関係があるのかな?
時になっています。
Unknown (木方)
2021-03-20 15:29:01
妙に言わなくても伝わるというか不思議な感覚の流れを感じますね。そう奈良のあの辺。
貞慧の存在も気になる所。で貞慧は多分軌道修正したはずなのでその前辺りは気になるポイント。神宮寺も神社にくっ付いて時代も探求していますが、逆に神社が無くとも文化風習そして身体にも良い現地の方に合う方法で色々な危機を乗り越えていたかも?って。妙楽とかなんかそんな言葉もヒントになるかな?自分たちが別に上に立たずとも満足して衣食住困らないなら争いは起こらないはず。奈良時代と平安との違いは感じますよね。バジルの化石がどこからか出てきたんですよね。匂いとか心や身体への効果とか興味が持てる時代って憧れます。物の保存なりお茶の発酵度合いなり研究出来るくらい豊かだった時代。そこから何か学べるとコロナも怖く無くなるかも?と研究家に期待しています。

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