唐津市 県指定史跡 久里双水古墳
石室上部に平安時代後期の経塚(きょうづか)も発見されました。
経塚は外部構造が方形二重の列石で内部に滑石製外筒にいれた銅製経筒をもつという11世紀末の九州でも最古級の完全なものであることが分かり、保存も検討することになりました。
この中に、名前はなかったのだろうか?
どの一族かのヒントはなかったのだろうか?
何宗だったのだろうか?
別の遺跡からだが、↓
滑石製外筒とはどのような物だろうか?
e国宝に写真があった。こちらも1141年と平安時代の物だ。[延暦寺/僧定尋][族姓大神/長壽丸]とある。
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さて、昨日の論文での【古墳前期前半】とは、、、以下のページがわかりやすかった。
https://miwa-h.aichi-c.ed.jp/wp-content/uploads/2020/04/NihonshiVol4Genshi3.pdf
古墳時代前期 3 世紀後半~4 世紀
(1) その時期には何があったか?
◆ 卑弥呼の宗女・壱与が晋に使者をおくる 266 年=司祭者が政治をとっていた!
◆ 倭が高句麗と戦い敗北する 391 年=軍事的に敗北したことで、司祭者中心の倭はゆきづまった?
(2) 造られる場所は?
前方後円墳を山の斜面を利用してつくる・・・中心は奈良盆地の東部!
(3) 構造は?
◆ 内部に( 竪穴式石室 )や粘土槨に割竹形木棺などを安置
◆ 後円部が高く、前方部は低く小さい
(4) 副葬品は?
銅鏡・玉・碧玉腕飾り・鉄製武器・農工具など・・・( 呪術的 )な性格
│ ⇒ 被葬者は( 司祭者的性格 )をもつ
└( 三角縁神獣鏡 )=ヤマト政権から畿内豪族に配布された銅鏡で、連合のシンボル
(5) 例
◆ ( 箸墓古墳 )〔奈良県〕
纏向遺跡の中心的な前方後円墳で、最も初期の前方後円墳のひとつ!卑弥呼の墓説もある。
愛知県で 2 番目に大きい古墳・青塚古墳(犬山市所在・田縣神社の近く)は前期の前方後円墳
…とまぁ、箸墓古墳と同時期かも知れないほどに古い久里双水古墳であることがわかった。
青塚古墳は田県神社の近く・・・とある。この神社は確か【原氏】の本拠地であった【尾張二宮の大縣神社】の対となる神社であったはずである。
この神社の近くに同じような古い古墳(青塚古墳)があるとは…何か意味がありそうである。