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中さん

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日記(10.28)

2022-10-28 20:43:41 | 日常
10月28日  (金曜日) 晴れ
いい天気だ!
好きな作家が出ていた。東野がすごい人気だ。

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佐渡のおけさ柿をいただいた。

渋がきれいに抜けている。
今年は柿が当たり年だ。
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午後3時半から青色パトロール。
東小学校の校庭の木々も色ずいてきた。

この時期西陽がひどく眩しい時期で注意が必要だ
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新潟の新聞 日報抄にコラムであった。
 落ち葉舞う境内や空き地に声が響く。
だるまさんが転んだ!

 仲間を背に、壁や木に向かって鬼が叫ぶ。
 その間に、仲間は競うように鬼に忍び足で近づく

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この10文字を言うと、
 鬼は突然振り向き、仲間を見渡す。
 その間は動けない。ピクリッ。「動いた!」。
 身体が揺れたら、その子はとらわれの身だ。
 鬼は緩急をつけて叫び、いつ振り向くか、
 動くところを見られるか分からない。
 その瞬間がドキドキだった。
 鬼ごっこの一種で、ルールはさまざまだろう。
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▼懐かしい「だるまさん…」の緊張感に似てはいないか。
 このところ、まったくの別世界の外国為替市場を見ていて思ってしまった。
 歴史的な円安の中で政府の為替介入がいつあるのか、
 市場は固唾(かたず)をのむ。

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輸入品が高騰し、物価高が進む。政府は急な円安を止めようと躍起だ。
 先月には、24年ぶりに円買いドル売りの為替介入に踏み切った。
 「市場の動向を、高い緊張感を持って注視する」。
  鈴木俊一財務相は巨利を狙う投機筋の動きをけん制する

▼日本の財務省は、さしずめ市場をにらむ鬼といえようか。
 投機筋や企業、機関投資家など多彩な参加者が、その姿に目を凝らす。
 介入は、鬼が突然振り向くことだ。
 投機筋などは巨額損失を恐れて、簡単には動けなくなる


▼ただ、為替は自由な市場の動向で決まるのが本来の姿だ。
 円安の背景には、上がらない賃金など日本経済の地盤沈下がある。
 抜本的な対策を取らずに鬼の役を続けるだけなら、国際社会で相手にされなくなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~
★すでに1回目は公開介入で3兆円
2回目は非公開で6兆円とも言われているが
根本治療には程遠い。
我々は財務相と投資家の”だるまさんが転んだ”ごっこ遊びを
見ているだけでは飽きてしまう。
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日記(10.27)

2022-10-28 09:19:47 | 日常
10月27日  (木曜日) 晴れ
26日午後から所要もあって、西荻窪に出かける。
15時ごろについて雑談をしているうちに時は過ぎていく。
 家内の妹夫婦が住むのは最近同じ場所に二世帯住宅を建てた。
 とても閑静な場所である。
夕刻に近くの馴染みのお寿司屋に連れて行ってもらった。
こじんまりしたお店で予約がいるという。

なかなか美味しい。創作料理で手が込んでいる。

酒も久々に冷酒を3種類、良いものを飲んでみる。
大分酔ってしまった。
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27日の翌朝、立川に移動。
カミさんは美容院へ、大分時間がかかるらしい。
妹夫婦のやっている美容院ZESTグループは立川駅周辺だけでも5店舗ある。
中央線沿線にもたくさん店舗があるらしい。詳しくは知らない。
それにしても立川駅周辺は随分開発され大きくなった。

時間もあってひとり時間つぶしに多摩モノレールに乗り込んだ。

高幡不動駅まで行ってみる

ここから数分で高幡不動尊だ。

明日からの菊祭りらしく準備中だ。


境内を重い足取りではあるか健康のためいっぱい歩く。

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綺麗な五重の塔が際立って美しい。

メモ
★真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古来関東三大不動の一つ
 に挙げられ
 高幡不動尊として親しまれている。
 その草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも
 或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、
 今を去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって
 当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、
 不動明王をご安置したのに始まる。


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 のち建武2年(1335)8月4日夜の大風によって山中の堂宇が倒壊したので、
 時の住僧儀海上人が康永元年(1342)麓に移し建てたのが
 現在の不動堂で関東稀に見る古文化財である。
 続いて建てられた仁王門ともども重要文化財に指定されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれて
 鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊祟をあつめ、
 江戸時代には関東十一檀林に数えられ、
 火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめた。
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 当時門末三十六ケ寺を従え、関東地方屈指の大寺院であったが
 安永8年の業火により大日堂をはじめ大師堂、山門、客殿、僧坊等を一挙に焼失した。
 その後、歴代住持の営々たる努力により徐々に復興に向ったが
 殊に昭和50年代以降五重塔・大日堂・宝輪閣・奥殿・大師堂・聖天堂等
 工事が相継ぎ往時を
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 総重量1100キロを超える巨像で古来日本一と伝えられた
 重文丈六不動三尊は修復作業が完了し現在奥殿にご安置されている。
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12時を回って、気持ちのいい、静かなひと時であった。立川駅に戻る。
階段の多い立川駅の周囲だ。
遅い昼食に出かける。スパゲティーのお店に入った。
入口に大きなクマ人形が

14時を回っても混雑している。
ミートソースと野菜スパゲティを頼んだ。

ボリュームがすごい!
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17時に帰宅。万歩計が1万歩を超えている。
膝の痛みを一寸こらえて動いたが、何とかなりそうだ。










日記(10.26)

2022-10-26 08:31:37 | 日常
10月26日  (水曜日)  晴れ 気温下がる。

天気はもちそうだ!
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◆コラムにあった。
 農薬や化学肥料に頼らない有機農業が盛んな埼玉県小川町
仲澤康治さんが移り住んだのは28歳の時だ。
衝撃を受けた福島第1原発事故の翌年である。
故郷の茨城県で有機栽培の野菜を売る会社に勤めていたが、
「持続可能な循環型社会を目指したい」と就農を決意した
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲先駆者として海外でも知られた金子美登(よしのり)さんの下で学び、独立した。
 緑豊かな秩父の山に囲まれた田畑で、
 落ち葉や牛ふんなどを発酵させた堆肥(たいひ)をまく。
 収穫したニンジンやサツマイモはとびきり甘く、
 枝豆や小松菜の風味は格別だ。
▲耕作に汗を流す日々は充実している。
 一方、一人でこなすのは予想以上に大変だった。
 夏は草刈りなどに追われ、体調を崩すこともあった。
 猛暑や大雨の被害にも悩まされた。
私もまったくその通りの時を過ごした今年だ!
 農薬を使わないで育てるのは虫との戦いである。
 時折音も上げたくなる。草も大変だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲支えとなっているのは地域のつながりだ。
 知的障害があり、グループホームに入居する人たちが
 農作業の応援に来てくれるようになった。
 食事に野菜を提供すると、「おいしい」と喜ばれた。
 自然の恵みも大きい。
 輸入の化学肥料を使う農家は円安による価格高騰に苦しんでいるが、
 堆肥はそうした心配がない
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲ただ有機農業が全国の農地に占める比率は1%にも満たない
 政府が原発推進に回帰していることにも危うさを感じる。
 先月死去した金子さんの教えを生かし、地道に実践を積み重ねていくしかない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲2年前からは都会の人も対象にした稲作の体験教室を開いている。
 里山のふもとに舞うホタルをもっと増やし、
 自然の素晴らしさを分かち合うことが目標だ。
===============================
◆もう一つコラムを
 「更迭」を最新版の広辞苑で引くと
 「役目や職についている人がかわること。
 また、かえること」とある。他の辞書も大同小異である。
 これでは政治報道でよく使われる「事実上の更迭」の意味が伝わらない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なぜ、事実上をつける必要があるのか
▲三省堂国語辞典の説明がわかりやすい。
 「責任を取らせるため、その職にある人を代えること」
 「戦前は、単に交代させる意味でも使った」とある。
 戦後に引責の意味が加わったという解釈である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~^
▲世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係が指摘されてきた
 山際大志郎(やまぎわ・だいしろう)経済再生担当相の辞任も
 「事実上の更迭」と報じられた。
 本人の立場を尊重して自発的辞任の形を取ったが、
 実態は岸田文雄首相の要請というわけだ。
▲8月の内閣改造で留任後に関連団体主催のイベント出席などを明かし、
 「後出しジャンケン」と皮肉られた。
  その後も接点を指摘されるたびに不可思議な記憶に基づく釈明と追認を繰り返してきた。
  国会は重要法案の審議に入る。首相もこれでは持たないと判断したのだろう。
首相の看板政策である「新しい資本主義」や新型コロナ対策を担う主要閣僚である。
 「後出しジャンケン」
 わかった時点で更迭する選択もあったのではないか。
 2カ月余りも判断を先送りしてきた結果、支持率は大きく下落した。
▲首相は「任命責任を重く受け止めている」と語ったが、どこか人ごとのようである。
 「事実上の更迭」であっても責任があいまいになるわけではないことをお忘れなく。
==================
★閣僚に据える前の身体検査はどうなっているのであろうか?
 後出しジャンケン・・子供の遊びで使ったが
 大人になって故意に使っては故意ではなく悪意であると
 おもわざろう得ないなあ~。
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 ★午後から東京に出かける。
  家内の妹の住む、西荻窪に誘われて久々出かける。
  一泊してくる。

日記(10.25)

2022-10-25 08:25:51 | 日常
10月25日 (火曜日) 晴れ
ここ毎朝、過去最低気温です。が記載され始めてきた。
今朝は10度程度かな!
~~~~~~~~~~~~~~~~

カラスウリの実が寂しく1個だけ吊るされている。畑の片隅にある区切り指標の木に
絡まっている。
かたずけても毎年出てくる。このカラスウリの花は夏の夕刻から翌朝にかけて
レース模様のような花が咲くという。


写真は季節の花から
★私も早起きして8月の朝。4時に畑で花を捜したが4時ではもう萎んでいる。
 そして、形が崩れてしまっている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
青空文庫にあったので転記させておらう。
時間が空いたら読んでみて、まったく今でも文章は新しい。
烏瓜の花と蛾 寺田寅彦
 今年は庭の烏瓜からすうりがずいぶん勢いよく繁殖した。
 中庭の四よツ目垣めがきの薔薇ばらにからみ、
 それから更に蔓つるを延ばして手近なさんごの樹を侵略し、
 いつの間にかとうとう樹冠の全部を占領した。
~~~~~~~~~~~~~~~~
それでも飽き足らずに今度は垣の反対側の楓樹
 かえでのきまでも触手をのばしてわたりを付けた。
 そうしてその蔓の端は茂った楓の大小の枝の間から糸のように長く垂れさがって、
 もう少しでその下の紅蜀葵こうしょっきの頭に届きそうである。
 この驚くべき征服慾は直径わずかに二、三ミリメートルくらいの細い茎を通じて
 どこまでもと空中に流れ出すのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 毎日夥おびただしい花が咲いては落ちる。
 この花は昼間はみんな莟つぼんでいる。それが小さな、可愛らしい、
 夏夜の妖精フェアリーの握にぎり拳こぶしとでも云った恰好をしている。
 夕方太陽が没してもまだ空のあかりが強い間はこの拳は堅くしっかりと握りしめられているが、
 ちょっと眼を放していてやや薄暗くなりかけた頃に見ると、
 もうすべての花は一遍に開き切っているのである。
 スウィッチを入れると数十の電燈が一度に灯ともると同じように、
 この植物のどこかに不思議なスウィッチがあって、
 それが光の加減で自働的に作用して一度に花を開かせるのではないかと思われるようである。
 ある日の暮方くれがた、時計を手にして花の咲くのを待っていた。
 縁側で新聞が読めるか読めないかというくらいの明るさの時刻が開花時で、
 開き始めから開き終りまでの時間の長さは五分と十分の間にある。
 つまり、十分前には一つも開いていなかったのが十分後にはことごとく満開しているのである
 実に驚くべき現象である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 烏瓜の花は「花の骸骨がいこつ」とでも云った感じのするものである。
 遠くから見ると吉野紙よしのがみのようでもありまた一抹の煙のようでもある。
 手に取って見ると、白く柔らかく、少しの粘りと臭気のある繊維が、
 五葉の星形の弁の縁辺から放射し分岐して細かい網のように拡がっている。
 莟んでいるのを無理に指先でほごして開かせようとしても、
~~~~~~~~~~~~
 この白い繊維は縮れ毛のように捲き縮んでいてなかなか思うようには延ばされない。
 強しいて延ばそうとすると千切ちぎれがちである。
 それが、空の光の照明度がある限界値に達すると、
 多分細胞組織内の水圧の高くなるためであろう、
 螺旋らせん状の縮みが伸びて、するすると一度にほごれ拡がるものと見える。
 それで烏瓜の花は、云わば一種の光度計フォトメーターのようなものである。
 人間が光度計を発明するよりもおそらく何万年前からこんなものが天然にあったのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 烏瓜の花が大方開き切ってしまう頃になると、
 どこからともなく、ほとんど一斉に沢山の蛾がが飛んで来てこの花をせせって歩く。

 無線電話で召集でもされたかと思うように
 一時にあちらからもこちらからも飛んで来るのである。
 これもおそらく蛾が一種の光度計を所有しているためであろうが、
 それにしても何町何番地のどの家のどの部分に烏瓜の花が咲いているということを、
 前からちゃんと承知しており、またそこまでの通路をあらかじめすっかり
 研究しておいたかのように真一文字に飛んで来るのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 初めて私の住居を尋ねて来る人は、たとえ真昼間でも、
 交番やら店屋などを聞き聞き何度もまごついて後にやっと尋ねあてるくらいなものである。
 この蛾は、戸外がすっかり暗くなって後は座敷の電燈を狙いに来る。
 大きな烏瓜か夕顔の花とでも思うのかもしれない。
 たまたま来客でもあって応接していると、
 肝心な話の途中でもなんでも一向会釈えしゃくなしに
 いきなり飛込んで来て直ちに忙せわしく旋回運動を始めるのであるが、
 時には失礼にも来客の頭に顔に衝突し、そうしてせっかく接待のために出してある
 茶や菓子の上に箔はくの雪を降らせる。
 主客総立ちになって奇妙な手付をして手に手に団扇うちわを振廻わしてみても
 なかなかこれが打落されない。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 テニスの上手な来客でもこの羽根の生えたボールでは少し見当が違うらしい。
 婦人の中には特にこの蛾をいやがりこわがる人が多いようである。
 今から三十五年の昔のことであるが或る田舎の退役軍人の家で
 大事の一人息子に才色兼備の嫁を貰った。
 ところが、その家の庭に咲き誇った夕顔をせせりに来る蛾の群が
 時々この芳紀二八にはちの花嫁をからかいに来る、
 その度たびに花嫁がたまぎるような悲鳴を上げてこわがるので、
 息子思いの父親はその次の年から断然夕顔の裁培を中止したという実例があるくらいである。
 この花嫁は実際夕顔の花のような感じのする女であったが、
 それからわずか数年の後亡くなった。
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 この花嫁の花婿であったところの老学者の記憶には
 夕顔の花と蛾とにまつわる美しくも悲しい夢幻の世界が残っている。
 そう云って彼は私に囁ささやくのである。
 私には彼女がむしろ烏瓜の花のように果敢はかない存在であったように思われるのである。
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 大きな蛾の複眼に或る適当な角度で光を当てて見ると気味の悪いように赤い、
 燐光りんこうに類した光を発するのがある。何となく物凄い感じのするものである。
 昔西洋の雑誌小説で蛾のお化けの出るのを読んだことがあるが、
 この眼玉の光には実際多少の妖怪味と云ったようなものを帯びている。
 つまり、何となく非現実的な色と光があるのである。
 これは多分複眼の多数のレンズの作用で丁度光ひかり苔ごけの場合と同じような
 反射をするせいと思われる。
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 蛾の襲撃で困った時には宅うちの猫を連れて来ると、すぐに始末が着く。
 二匹居るうちの黄色い方の痩せっぽちの男猫が、
 他には何の能もない代りに蛾をつかまえることだけに妙を得ている。
 飛上がったと思うと、もう一遍にはたき落す。
 それから散々さんざん玩具にした揚句あげくに、
 空腹だとむしゃむしゃと喰ってしまうのである。
 猫の神経の働きの速さと狙いの正確さには吾々人間は到底叶かなわない。
 猫が見たら人間のテニスやベースボールは定めて間だるっこくて滑稽なもの
 だろうという気がするのである。
 それで、仮りに猫の十分の一秒が人間の一秒に相当すると、
 猫の寿命が八年ならば人間にとっては八十年に相当する勘定になる。

 どちらが長生きだかちょっと判らない。
~~~~~~~~~~~~~~
 これは書物で読んだことだが、
 樫鳥かしどりや山鳩やまばとや山鴫やましぎのような鳥類が目にも止まらぬような
 急速度で錯雑した樹枝の間を縫うて飛んで行くのに、
 決して一枚の木の葉にも翼を触れるような事はない。
 これは鳥の眼の調節の速さと、その視覚に応じて反射的に行われる羽翼の
 筋肉の機制の敏活を物語るものである。
 もし吾々人間にこの半分の能力があれば、銀座の四つ角で自動車電車の行き違う間を、
 巡査やシグナルの助けを借りずとも自由自在に通過することが出来るにちがいない
 しかし人間にはシグナルがあり法律があり道徳があるために
 鳥獣の敏活さがなくても安心して生きて行かれる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 そのために吾々はだんだんに鈍になり気永くなってしまったのであろう。
 しかし鳥獣を羨うらやんだ原始人の三つ子の心はいつまでも生き延びて
 現代の文明人の社会にも活動している。
 蛾をはたき落す猫を羨み讃歎する心がベースボールのホームランヒットに喝采を送る。
 一片の麩ふを争う池の鯉の跳躍への憧憬がラグビー戦の
 観客を吸い寄せる原動力となるであろう。
 オリンピック競技では馬や羚羊かもしかや魚の妙技に肉薄しようという
 世界中の人間の努力の成果が展開されているのであろう。
 機械的文明の発達は人間のこうした慾望の焔にガソリン油を注いだ。
 そのガソリンは、モーターに超高速度を与えて、自動車を走らせ、
 飛行機を飛ばせる。太平の夢はこれらのエンジンの騒音に
 攪乱かくらんされてしまったのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 交通規則や国際間の盟約が履行されている間はまだまだ安心であろうが、
 そういうものが頼みにならない日がいつ何時来るかもしれない。
 その日が来るとこれらの機械的鳥獣の自由な活動が始まるであろう。
「太平洋爆撃隊」という映画が大変な人気を呼んだ。
 映画というものは、なんでも、吾々がしたくてたまらないが
 実際はなかなか容易に出来ないと思うような事をやって見せれば
 大衆の喝采を博するのだそうである。なるほどこの映画にもそういうところがある。
 一番面白いのは、三艘の大飛行船が船首を並べて断雲の間を飛行している、
 その上空に追い迫った一隊の爆撃機が急速なダイヴィングで礫つぶてのごとく落下して来て、
 飛行船の横腹と横腹との間の狭い空間を電光のごとくかすめては
 滝壷の燕つばめのごとく舞上がる光景である。
 それがただ一艘ならばまだしも、数え切れぬほど沢山の飛行機が、
 あとからもあとからも飛び来り飛び去るのである。
 この光景の映写の間にこれと相錯綜あいさくそうして、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 それらの爆撃機自身に固定されたカメラから撮影された
 四辺の目まぐるしい光景が映出されるのである。
 この映画によって吾々の祖先が数万年の間羨みつづけに羨んで来た望みが遂げられたのである。
 吾々は、この映画を見ることによって、吾々自身が森の樹間をかける
 山鳩や樫鳥になってしまうのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 こういう飛行機の操縦をするいわゆる鳥人の神経は訓練によって
 年とともに次第に発達するであろう。
 世界の人口の三分の一か五分の一かがことごとくこの鳥人になってしまったとしたら、
 の世界は一体どうなるであろうか。
 昔の日本人は前後左右に気を配る以外にはわずかに
 鳶とんびに油揚あぶらげを攫さらわれない用心だけしていればよかったが、
 昭和七年の東京市民は米露の爆撃機に襲われたときに如何なる処置をとるべきかを
 真剣に講究しなければならないことになってしまった。
 襲撃者は鳶以上であるのに爆撃される市民は芋虫以下に無抵抗である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ある軍人の話によると、重爆撃機には一キロのテルミットを千箇搭載し得るそうである。
 それで、ただ一台だけが防禦の網をくぐって市の上空をかけ廻ったとする。
 千箇の焼夷弾しょういだんの中で路面や広場に落ちたり河に落ちたりして
 無効になるものが仮りに半分だとすると五百箇所に火災が起る。
 これは勿論水をかけても消されない火である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 そこでもし十台飛んで来れば五千箇所の火災が突発するであろう。
 この火事を呆然として見ていれば全市は数時間で火の海になる事は請合いである。
 その際もしも全市民が協力して一生懸命に消火にかかったらどうなるか。
 市民二百万としてその五分の一だけが消火作業に何らかの方法で手を借し得ると仮定すると、
 四十万人の手で五千箇所の火事を引受けることになる。
 すなわち一箇所につき八十人宛あてということになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 さて、何の覚悟もない烏合うごうの衆の八十人では
 おそらく一坪の物置の火事でも消す事は出来ないかもしれないが、
 しかし、もしも十分な知識と訓練を具備した八十人が、完全な統制の下に、
 それぞれ適当なる部署について、そうしてあらかじめ考究され練習された方式に従って
 消火に従事することが出来れば、たとえ水道は止まってしまっても
 破壊消防の方法によって確実に延焼を防ぎ止めることが出来るであろうと思われる。
 これは極めて大ざっぱな目の子勘定ではあるが、
 それでもおおよその桁数けたすうとしてはむしろ
 最悪の場合を示すものではないかと思われる。
~~~~
 焼夷弾投下のために怪我をする人は何万人に一人くらいなものであろう。
 老若ろうにゃくの外の市民は逃げたり隠れたりしてはいけないのである。
 空中襲撃の防禦は軍人だけではもう間に合わない。
 もしも東京市民が慌てて遁げ出すか、あるいはあの大正十二年の関東震災の場合と同様に、
 火事は消防隊が消してくれるものと思って、手をつかねて見物していたとしたら、
 全市は数時間で完全に灰になることは確実である。
 昔の徳川時代の江戸町民は永い経験から割り出された賢明周到なる法令によって
 非常時に処すべき道を明確に指示され、そうしてこれに関する訓練を十分に
 積んでいたのであるが、西洋文明の輸入以来、
 市民は次第に赤ん坊同様になってしまったのである。

 考えると可笑おかしなものである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 何箇月か何年か、ないしは何十年の後に、
 一度は敵国の飛行機が夏の夕暮れに烏瓜の花に集まる蛾のように
 一時に飛んで来る日があるかもしれない。
 しかしこの大きな蛾をはたき落すにはうちの猫では間に合わない。
 高射砲など常識で考えても到底頼みになりそうもない品物である。
 何か空中へ莫大な蜘蛛くもの網のようなものを張って
 この蛾を喰い止める工夫は無いものかと考えてみる。
 あるいは花火のようなものに真綿の網のようなものを丸めて打ち上げ、
 それが空中でぱっと烏瓜の花のように開いてふわりと敵機を包みながら
 プロペラにしっかりとからみ付くというような工夫は出来ないかとも考えてみる。
 蜘蛛くものあんなに細い弱い糸の網で大きな蝉せみが捕られることから考えると、
 蚊帳かや一張りほどもない網で一台の飛行機が捕えられそうにも思われるが、
 実際はどうだか、ちょっと試験してみたいような気がするのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 子供の時分に蜻蛉とんぼを捕るのに、細い糸の両端に豌豆えんどう大の小石を結び、
 それをひょいと空中へ投げ上げると、蜻蛉はその小石を多分餌えさだと思って追っかけて来る。
 すると糸がうまい工合に虫のからだに巻き付いて、そうして石の重みで落下して来る。
 あれも参考になりそうである。
 つまりピアノ線の両端に重錘おもりをつけたようなものを矢鱈やたらと
 空中に打ち上げれば襲撃飛行機隊は多少の迷惑を感じそうな気がする。
 少なくも爆弾よりも安価でしかも却って有効かもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 戦争のないうちは吾々は文明人であるが、
 戦争が始まるとたちまちにして吾々は野蛮人になり、
 獣になり鳥になり魚になり、また昆虫になるのである。
 機械文明が発達するほど一層そうなるから妙である。
 それで吾々はこれらの動物を師匠にする必要が起って来るのである。
~~~~~~~~~
潜航艇のペリスコープは比良目ひらめの眼玉の真似である。
海翻車ひとでの歩行は何となくタンクを想い出させる。
ガスマスクを付けた人間の顔は穀象こくぞうか何かに似ている。
今後の戦争科学者はありとあらゆる動物の習性を研究するのが
急務ではないかという気がして来る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 光の加減で烏瓜の花が一度に開くように、
 赤外光線でも送ると一度に爆薬が破裂するような仕掛も考えられる。
 鳳仙花ほうせんかの実が一定時間の後に独りではじける。
 あれと似たような武器も考えられるのである。
 しかし真似したくてもこれら植物の機巧はなかなか六かしくてよく分らない。
 人間の智慧はこんな些細ささいな植物にも及ばないのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
植物が見ても人間ほど愚鈍なものはないと思われるであろう。
 秋になると上野に絵の展覧会が始まる。
 日本画の部にはいつでも、きまって、色々の植物を主題にした大作が多数に出陳される。
 ところが描かれている植物の種類が大抵きまり切っていて、
 誰も描かない植物は決して誰も描かない。
 例えば烏瓜の花の絵などついぞ見た覚えがない。
 この間の晩、床に這入ってから、試みに宅の敷地内にある、
 花の咲く植物の数を数えてみた。
 二、三十もあるかと思って数えてみたら、
 実際は九十余種あった。しかし帝展の絵に現われる花の種類は、
 まだ数えてみないが、おそらくずっと少なそうである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 数の少ないのはいいとしても、花らしい花の絵の少ないのにも驚歎させられる。
 多くの画家は花というものの意味がまるで分らないのではないかという
 失礼千万な疑いが起るくらいである。
 花というものは植物の枝に偶然に気紛れにくっついている
 紙片や糸屑のようなものでは決してない。
 吾々人間の浅墓あさはかな智慧などでは到底いつまでたっても究め尽せないほど
 不思議な真言しんごん秘密の小宇宙なのである。

 それが、どうしてこうも情ない、紙細工のようなものにしか描き現わされないであろう。
 それにしても、ずっと昔私はどこかで僧心越しんえつの描いた
 墨絵の芙蓉ふようの小軸を見た記憶がある。
 暁天の白露を帯びたこの花の本当の生きた姿が実に言葉通り紙面に躍動していたのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 今年の二科会の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見付からなかった。
 昔の絵描きは自然や人間の天然の姿を洞察することにおいて常人の水準以上に
 卓越することを理想としていたらしく見える。
 そうして得た洞察の成果を最も卑近な最も分りやすい方法によって表現したように思われる。
 然るにこの頃の多数の新進画家は、もう天然などは見なくてもよい、か、
 あるいはむしろ可成的なるべく見ないことにして、あらゆる素人よりも
 一層皮相的に見た物の姿をかりて、最も浅薄なイデオロギーを、
 しかも観者にはなるべく分りにくい形に表現することによって、
 何かしら大したものがそこにありそうに見せようとしている、
 のではないかと疑われても仕方のないような仕事をしているのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 これは天然の深さと広さを忘れて人間の私を買いかぶり思い上がった
 浅墓な慢心の現われた結果であろう。今年の二科会では特にひどくそういう
 気がして私にはとても不愉快であった。尤もその日は特に蒸暑かったのに、
 ああいう、設計者が通風を忘れてこしらえた美術館であるためにそれが更に一層蒸暑く、
 その暑いための不愉快さが戸惑いをして壁面の絵の方に
 打ぶつかって行ったせいもあるであろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 実際二科院展の開会日に蒸暑くなかったという記憶のないのは不思議である。
 大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨しゅううがあって、それが晴れると蒸暑くなって、
 竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出遇ったのであった。
 そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、
 庭の葉鶏頭はげいとうはおよそ天下に何事もなかったように
 真紅しんくの葉を紺碧こんぺきの空の光の下に耀かがやかしていたことであった。
 しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞ぜんだいみもんの
 火事の渦巻が下町一帯に拡がりつつあった。
 そうして生きながら焼かれる人々の叫喚きょうかんの声が
 念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、
 山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群はいつものように忙せわしく
 蜜をせせっているのであった。
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 地震があれば壊れるような家を建てて住まっていれば地震の時に毀こわれるのは
 当り前である。しかもその家が、火事を起し蔓延させるに最適当な燃料で出来ていて、
 その中に火種を用意してあるのだから、これは初めから地震に因る
 火災の製造器械を据付けて待っているようなものである。
 大火が起れば旋風つむじかぜを誘致して焔の海となるべきはずの広場に集まっていれば
 焼け死ぬのも当然であった。これは事のあった後に思うことであるが、
 吾々には明日の可能性は勿論、必然性さえも問題にならない。
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 動物や植物には百千年の未来の可能性に備える準備が出来ていたのであるが、
 途中から人間という不都合な物が飛び出して来たために時々違算を生じる。
 人間が燈火を発明したためにこれに化かされて蛾の生命が脅かされるようになった。
 人間が脆弱ぜいじゃくな垣根などを作ったために烏瓜の安定も保証されなくなってしまった。
 図に乗った人間は網や鉄砲やあらゆる機械を工夫しては鳥獣魚虫の種を絶やそうとしている。
 因果はめぐって人間は人間を殺そうとするのである。
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 戦争でなくても、汽車、自動車、飛行機はみんな殺人機械である。
 この頃も毎日のように飛行機が墜落する。
 不思議なことには外国から遠来の飛行機が霞ヶ浦へ着くという日にはきまって
 日本のどこかで飛行機が墜落することになっているような気がする。
 遠来の客へのコンプリメントででもあるかのように。
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 蜻蛉とんぼや鴉からすが飛行中に機関の故障を起して墜落するという話は聞かない。
 飛行機は故障を起しやすいように出来ているから、それで故障を起すし、
 鳥や虫は決して故障の起らぬように出来ているから故障が起らなくても
 何も不思議はない訳である。むしろ、一番不思議なことは落ちるときに
 上の方へ落ちないで必ず下に落ちることである。
 物理学者に聞けば、それは地球の引力によるという。
 もっと詳しく聞くと、すぐに数式を持ち出して説明する。
 そんならその引力はどうして起るかと聞くと事柄は一層六むつかしくなって
 結局到底満足な返答は得られない。実は学者にも分らないのである。
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 吾々が存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、
 あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって吾々の主人であり
 父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもりで、
 本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれないと思われる。
 科学がほんの少しばかり成長して丁度生意気盛なまいきざかりの
 年頃になっているものと思われる。
 天然の玄関をちらと覗いただけで、もうことごとく
 天然を征服した気持になっているようである。
 科学者は落着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、
 画家はろくに自然を見もしないで徒いたずらに汚らしい絵具を塗り、
 思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデオロギーを展開し、
 そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、
 そうして横文字のお題目を唱えている。
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 しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。
 その時には吾々はもう少し謙遜けんそんな心持で自然と人間を熟視し、
 そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。
 そうなれば現在の色々なイズムの名によって呼ばれる盲目なる
 ファナチシズムの嵐は収まって本当に科学的なユートピアの真如しんにょの
 月を眺める宵が来るかもしれない。
 ソロモンの栄華も一輪の百合の花に及ばないという古い言葉が
 今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。
(昭和七年十月『中央公論』)




日記(10.24)

2022-10-24 14:02:18 | 日常
10月24日 (月曜日) 雨
昨日、渋柿を少しだけ干してみた。「ハチヤ」

干したら雨の朝だ!
蜂屋柿のこと・・調べてみた。
★カキの栽培品種。
 岐阜県美濃加茂(みのかも)市蜂屋原産の渋柿。
 果実は大きく長楕円形で頂部がとがり、浅い四つの縦溝がある。
 重さは約二五〇グラム。果皮は暗橙色で白粉をかぶる。
 果肉は緻密で多汁、黄紅色で、褐斑はない。
 種子はほとんどない。
 古くから栽植されているが、脱渋が困難なため、
 乾し柿にして食する。はちや。
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★通院したので待合でスマホをいじっていたら
 基礎代謝基準値の図があったので載せる。

私達の年齢では1200~1300キロカロリーなんだなあ!
そう思うと・・随分余分に食べているんだ・・太るわけだ。
ピークが17歳くらいというから驚きだ!
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経済アナリストの森永氏の・・ちょっと怖い今後の日本経済動向
◆ 今月19日、米国の長期国債金利が4・1%まで上昇して、
 リーマンショック前夜の2008年7月以来の高水準となった。
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 FRBは今後も金融引き締めを続ける予定だから、
 私は米国株のバブル完全崩壊が目前に迫ったとみている。
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◆米国株投資の長期平均利回りは、6%強だ。
 来年早々には、長期金利がそれに近づく。
 そうなった時、リスクが非常に小さい米国債と、
 値下がりリスクの高い米国株のどちらを投資家が選ぶかは、
 火を見るより明らかだ。
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 バブル崩壊は、ほとんどの場合、オーバーシュートする。
 だから、来年末のニューヨークダウが、
 1万ドル割れになる可能性も否定できないだろう。
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 私は、いまの経済が、
 世界恐慌に至った1929年の状況と酷似していると思う。
 当時のアメリカは自動車と家電産業で圧倒的に世界をリードしていて、
 株価もバブルを起こしていた。
 しかし、本来よりあまりに高い株価は維持できない。
 同年の10月24日に始まった株価下落は、3年近く続き、
 ニューヨークダウは10分の1になった。

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 GAFAやテスラに、とんでもない株価がつく現在の状況は、
 1929年と同じだ。
 しかも、米国株のバブル崩壊が始まったその年に、
 日本では浜口雄幸が総理大臣に就任した。
 そして、「明日伸びんがために、今日縮む」と言って、
 財政・金融の同時引き締めに走った。
 その結果、日本は4人に1人が失業する昭和恐慌に突入した。
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 今月18日の国会で、岸田総理は「消費税を下げるつもりはない」と断言
 した。
 来年4月には、日銀の黒田総裁を金融引き締め派の総裁  に交代させる予定だ。
 世界経済が減速するなかで、財政金融の同時引き締めをすれば、恐慌になる
 ただ岸田総理はやるだろう。引き締めこそが正常化だと信じているからだ。
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